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2005年12月27日

京都教育大OB管の演奏会

職場の同僚が参加しているオーケストラの演奏会に出かける。
半分は義理だが半分はドヴォルザーク;Vc協を独奏される柳田耕治さんに惹かれて。
今は群馬響の首席だが、以前京都市響の首席奏者として活躍しておられた方である。
そもそもは、25年ほども前、在学していた学校のオーケストラ部の定期演奏会で、やはりドヴォルザークを演奏されたのが、お名前に接したきっかけ。
本番のあと、たまたま舞台裏をうろうろしていたところ、サインを求める部員たちに誠実に接しておられたのが、いまだに印象に残っている。
今日の演奏もやはり誠実そのもの、必ずしも合奏慣れしていないと思われる団員たち(無礼の段はお許しを)を、温かくリードしながら、ドヴォルザークの美しい旋律を奏でておられた。
申し訳ないが、前半終了時点で失礼させていただいた。

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2005年11月26日

桐山建志さんの演奏会

いつもCDで聴いている桐山建志さん(Cem)が京都でコンサートを開かれるというので参じる。
最近、バッハのCDで共演されている大塚直哉さん(Cem)と御一緒。大塚さんの楽器は50鍵ほどのヴァージナルである。
会場は京都南郊・伏見桃山の住宅地にあるラ・ネージュというスペース。
サロンというか小ぶりの画廊のような場所で、椅子を並べて30脚ほど。上階へ吹き抜けになっている部分もあって、ピリオド楽器には適度な空間か。
 
今日の曲目は、前半がイギリス・バロック、後半がバッハ。
当時流行した『ディヴィジョン・ヴァイオリン』なる曲集から民間歌謡に主題を採った変奏曲や(ショップ;涙のパヴァーヌグリーンスリーヴズなど)、有名なパーセルの弟ダニエル・パーセル;シャコンヌ & ソナタ第6番といったあたりも佳かったが、ひときわ瞠目したのがマシュー・ロック;組曲 ホ短調
解説された大塚さんも「我々の間でも凄い曲、という評判で」とおっしゃっていたが、充実した書法や深い歌、終曲ジーグ(Jigg)の大胆な音遣いなど、感嘆三嘆。
 
後半のバッハは無伴奏Vnソナタ第2番ソナタ ホ短調 BWV1023
無伴奏曲の前半は、なぜか名手桐山さんにしては不安定な演奏だったが、アンダンテあたりから調子が上がり、終曲では快速テンポの流れに圧倒された。
ホ短調ソナタは、いきなりヴァイオリンがカデンツァふうにアルペジオを上下するという破格の曲であるが、比較的小規模な曲ゆえ、正直、もう1曲しっかり聴いてみたい…と思った。
アンコールはホールの名前に因み、何かの歌と「雪やこんこん」に基づく即興(?)演奏。
桐山さんのお話からすると、会場入り後に準備されたようだ(笑)。
 
終演後に飲み物も出て「どうぞお話を」ということだったが、常連さんが多いらしく、ちょっと話の輪に入りづらかったので、そのまま失礼してしまった。
 
今日の収穫は桐山さんの温かい音色を至近距離から拝聴できたこと。
またいつか、渾身・会心のバッハを聴いてみたい。

投稿者 seikaisei : 22:30 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月08日

リリー・ブーランジェの歌曲を聴く

京都フランス歌曲協会によるレクチャー・コンサートを聴きに行く。
会場は関西日仏学館内の稲畑ホールという、100人程度収容の小ホール。
「稲畑」とは、この会館の建設に尽力した稲畑勝太郎氏の名を採ったもの。
余談だが、稲畑勝太郎は京都市出身、染色の研究のためフランスに派遣され、帰国して染料や染色機械の輸入販売を行う稲畑染料店(現稲畑産業)を創業した。
氏は大阪商工会議所の会頭を務めるなど実業界で活躍したが、フランスとの文化交流にも熱心に取り組んだのである。
また、この人は日本に初めて映画を持ち込み上映した人物としても有名。
 
閑話休題、今夕のテーマは「フランス近代の女性作曲家たち」
シャミナードタイユフェールリリー・ブーランジェの作品が演奏されるというので、馳せ参じたもの。
京都フランス歌曲協会は、かねて彼女の作品をたびたび演奏しておられるのだが、なかなか都合が合わず、今回、初めてコンサートに伺ったのである。
 
なお、解説は中村順子さん、大阪大学・神戸大学で仏文学・音楽学を専攻され、現在甲陽音楽学院で教鞭を執られているとのこと。
 
前半はセシル・シャミナードの音楽。
解説の主旨は、「シャミナードというとサロン音楽という評価だったが、その機知やユーモア、歌曲での旋律と韻律の一致など、芸術音楽としての再評価が必要。」というもの。
演奏されたのは、ピアノ独奏曲2作品と歌曲9作品。
全体に、屈託のない明るさがあり、たしかにまだまだ評価されてよい作曲家だと思われる。
演奏者では歌曲の後半5曲を歌われた緋田芳江さんの繊細な美声が印象に残った(略歴。バッハ・コレギウム・ジャパンにも参加されているとのこと)。
 
後半の初めはジェルメーヌ・タイユフェール
フランス六人組の紅一点として有名だが、作品はそれほど聴かれているとは言えない。
解説によれば「歌曲の代表作」である「6つのフランスの歌」と「晩年の代表作」というピアノ独奏のパルティータが演奏された。
前者は、題名からは想像がつきにくい、女性の奔放な官能を歌った作品。歌手(津山和代)の声質も少し陰のあるものでふさわしかった。
音楽はいずれも「シンプルで軽やか」(解説より)、「パルティータ」の第2曲「夜曲(ノットゥルノ)」でも深刻にはならない。
 
最後にリリー・ブーランジェ;「空のひらけたところ」から5曲が歌われた。
当日のプログラムでは曲名を「空のぽっかり明るい場所」と表記。
第1曲冒頭の和音が響いただけで、他の2人とは次元の違う芸術性が感じられる。
歌われたのは第1・4・5・9・12曲だったが、もう何というか、聴いているだけで幸せ(笑)。
できれば冒頭の和音が再現する第13曲で締めくくってほしかったところ。もっとも9分以上かかる長大な曲なので、構成上、難しかったのかもしれない。
歌唱は下田和恵さんというソプラノの方。初めは少し硬いかな?と思ったが、音楽が進むにつれ、不満を忘れさせる出来栄え。
 
聴くたびに思うことだが、「女性作曲家」という括りでは片付けられない、音楽の深さ・強さを持っているのが、ブーランジェの音楽である。
いつか、「空のひらけたところ」全13曲がまとめて演奏される機会の訪れることを願ってやまない。
終演後に伺ったお話では、歌手には相当な負担がかかる曲集らしい。

投稿者 seikaisei : 23:57 | コメント (3) | トラックバック

2005年09月18日

広島響でトゥビンを聴く

アヌ・タリ(指揮) 広島交響楽団
第252回定期演奏会、広島厚生年金会館
エッレル;交響詩「夜明け」
ドヴォルザーク;Vc協(独奏長谷川陽子)
トゥビン;交響曲第5番(日本初演)
(とりあえず曲目・演奏者のみ掲載します。コメントは後日…<(_ _)>)

投稿者 seikaisei : 23:24 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月15日

ボッセ・大フィルのハイドンほか

ゲルハルト・ボッセ(指揮) 大阪フィルのコンサートを聴きに、いずみホールへ赴く。
今日の曲目は
バッハ;管弦楽組曲第3番
モーツァルト;Vn協第5番
(独奏ロバート・ダヴィドヴィッチ)
ハイドン;交響曲第101番「時計」
というもの。
客の入りはあまりよろしくなく、5~6割程度。
折角のボッセさんなのに…と思うのはマニアだけで、一般の集客力には欠けるということなのだろうか。
それとも曲目に今ひとつパンチがないせいか、あるいはソリスト(大フィルの首席コンサートマスター)が地味なのか。
 
昨日の日本経済新聞夕刊(関西面)に、
「指揮者ボッセ、関西の楽団と次々共演/ドイツ音楽の神髄伝授/あす、大フィルに初登場」
という見出しで大きな記事が掲載されていたので、もしかしたら当日券がないかも、と心配してきたのだが。
おそらく、チケットの売れ行きがあまりに良くないために、関係者が手配して掲載された記事だったのではなかろうか。
 
閑話休題、1曲目のバッハでは、第1Vnから順に6-4-3-2-1とCem、それと管楽器という編成。
序曲では、少ない人数のヴァイオリンが更に弓の圧力を軽めに保ち、主部などかなり速めのテンポで進めてゆく。
本来ならサクサクした心地よいバッハになるはずなのだが、人数が少ないわりには音が粗く、Trpなども響きが浮わつき気味で、どうも感心しない。
第2曲、有名なアリアの冒頭では、ヴィオラを強めの音量で浮かび上がらせ、ヴァイオリンはピアニシモからクレッシェンドしてゆくという手法。
ここのヴィオラに、こんな美しい旋律が隠されていたのか!と吃驚するほど美しい瞬間であった。
また、チェンバロの通奏低音の扱いも美しく、感心することしばしば。
ボッセさんの標傍する純良・清潔なアーティキュレーションが見事な効果を上げる楽章となった。
その後の楽章については序曲と同様の印象。
 
2曲目のモーツァルトでは、弦の編成が8-6-4-3-2に。
ソリストは、ギトリスがよく着ているような、ふわっとした黒のシャツ姿。
快調なテンポの序奏に続いて、独奏が流れを断ちきるように、じっくりした音楽で入ってきたのには少し驚いた。
ちょっと昔風のやり方だ。
ダヴィドヴィッチはルーマニア生まれ、ガラミアンに師事したというが、いかにもアメリカの旧世代という感じで、やや重心の低い音程感覚と、細部までゆるがせにしない音楽づくりで、モーツァルトを紡いでゆく。
くどくはないが、ピリオド奏法とはもちろん無縁。
ボッセさんの指揮ともども、いわば「楷書」のモーツァルト。
 
拍手にこたえているうしろでフルートが2人入場してきてアレレと思っていると、アンコールが管弦楽付きでアダージョ K.261
ヴァイオリニストは「この曲のオリジナルの第2楽章」とアナウンスしていた。
これが本編とはうってかわって、モーツァルトの微笑みと愁いがこぼれんばかりの美しさ。
堪能させていただいた。
 
3曲目のハイドンでは、更に編成が大きくなり、10-8-6-4-2。
第1楽章序奏の弦合奏の和音も美しく、主部に入ってはアクセントを強調気味に、キビキビした音楽が展開する。展開部冒頭の微妙な掛け合いも巧妙。
第2楽章も、生き生きした音楽で、ティンパニが入るところでの落差もくっきりさせ、表情の転変が時に面白く愉しい。
上記の新聞記事では、
"時計"の由来にもなった規則正しい伴奏リズムの第二楽章を、音楽の流れだけを意識するとベタッと単調な感じになってしまう。だが、一音一音を刻むように演奏すれば、時計の振り子を思わせる弾むようなリズムになってくる。
と書かれていた。おそらくボッセさんの語りどおりの文章だろう。
俊敏な第3楽章、展開部の立体感が印象的だった第4楽章も含め、弦合奏の隅々まで掃除(笑)したような、気持ちのいいハイドンを聴かせていただいた。
 
なお、ステージ上にマイクが林立していたが、ラジオ放送されるのかそれともCDでも製作されるのであろうか?

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2005年07月03日

「W.ステーンハンマルの音楽」

今日は東京へ。
待ちに待ったステーンハンマル友の会による、オール・ステーンハンマル・コンサートの当日である。
同会は、2004年10月以来、「サロンコンサート・シリーズ」として、北欧の佳曲を取り上げる演奏会を継続してきたが、今日はその集大成として、ステーンハンマルの作品だけのプログラムで実施されるもの。
この企画については構想段階から伺ってきたので、いよいよ実現するとなると、感無量である。
本業が忙しくなっている時期ではあるが、この日を逃すわけにはいかない。
 
会場は東京オペラシティ・リサイタルホール
心配していた客の入りも、空席はあまり見られない様子で、嬉しい限り。
もっとも見たところ大半は演奏者の力によるもので、ステーンハンマルの音楽が聴きたくて来たという雰囲気の人は、う~ん、10人もいたかどうか…(激汗)。
 
まあ、逆に言えば、それだけ多くの人に、これまで御存知なかったステーンハンマルの名前と音楽を"布教"できたということになる。(^^;
 
さて、以下は演奏順に。
 
(1) スヴァーリエ(独唱版)
向野由美子(M-S) 和田記代(P)
これまでのサロンと違ってホールの容積が桁違いに大きい。向野さんの歌声が美しく伸びて、空間を一杯に満たすのが本当に快い。
この人はサロンでも聴いているが、これほどの声とは(実は)認識していなかった(恥)。<(_ _)>
ややオペラ寄りの、朗々としたスケールの大きい歌唱で、この曲の美しさにあらためて胸が熱くなる思いがした。
 
(2) 3つの無伴奏合唱曲
大束省三(指揮) 北欧合唱団
大束先生は傘寿も間近でいらっしゃるはずだが、それを思わせない、表情豊かな指揮。
合唱団は16人ほど、大束先生に一生懸命ついて行かれるひたむきな様子に感銘を受けた。
 
(3) ルーネベリの「牧歌と警句」による5つの歌曲
向野由美子(M-S) 和田記代(P)
作曲者が妻との婚約中に彼女に捧げた第2曲は、高らかに誇らしく愛を歌い上げる曲。その後半、ややテンポを上げて実に輝かしく歌い抜かれた、素晴らしい歌唱!
静かな悲しみを歌う第3曲の翳りや、ドラマティックな振幅を持つ第4曲での表現も見事。
1895年というステーンハンマルの創作の比較的初期に書かれた作品だが、それゆえに、音符の端々からこぼれ落ちるような瑞々しい情感がある。
向野さんの素晴らしい声が、それを間然とすることなく明らかにしていたと思う。
 
(4) ヴァイオリン・ソナタ
青木調(Vn) 和田記代(P)
この曲もサロンで聴いているが、その時と同様の見事な演奏。
青木さんのヴァイオリンは、第1楽章冒頭こそやや硬さを感じたが、ホールの大きな空間を得た高音の美しい伸びや、第3楽章での音楽の自在な躍動感は前回以上と思われた。
ピアノの濃やかなサポートも素晴らしく、2人の名演にあらためて感激させられた。
 
ここで休憩、前半は1曲目を除いてステーンハンマルの創作活動の初期(前半)に属する作品、後半は盛期(後半)の作品から。
 
(5) 歌曲集「歌と印象」より5曲
向野由美子(M-S) 和田記代(P)
「牧歌と警句」~より書法が練達を加えているのが聴いていてよく判る。
詩人の創作の苦闘を謳う「星」の力強さや、船乗りの歌である「船は行く」・「幸福の国への旅」での闊達さなどが、向野さんの表現力を得て十全に歌い抜かれた。
 
(6) 「晩夏の夜」
松尾優子(P)
松尾さんによるこの曲の演奏も、前にサロンで聴いている。
その時同様、彼女のほの暗く暖かい音色は曲趣にふさわしく、また、更に練り上げられている印象を受けた。
5曲からなる小曲集だが、曲間を空けずに弾かれたことも風情があった。
 
(7) 2つのセンチメンタル・ロマンス
青木調(Vn) 和田記代(P)
第1曲が、ややゆっくり目のテンポで弾きはじめられたとき、胸がいっぱいになった。これこそ理想のテンポ! 休憩前のソナタ同様、高域の美しい伸びは感涙もの!!
ただただ、「酔わせて」いただいた。心から感謝したい。
 
(8) スウェーデン狂詩曲「冬至祭」(室内楽版)
青木調(Vn) 向野由美子(M-S) 松尾優子・和田記代(P)
もとはオーケストラと合唱のための曲だが、演奏者による編曲で。
小編成のわりに聴き映えがするのはヴァイオリンが入っているからだろう。民俗音楽の調べには、やはりヴァイオリンがふさわしい。
終結の高揚感も素晴らしかった。
 
とにもかくにも、これだけの高水準の演奏で、ステーンハンマルの代表的な作品を聴かせていただければ、もう言うことはない。
今年秋から、またサロンコンサート・シリーズが始まり、来年9月に、今日のホールで再び「スウェーデン音楽の調べ」が予定されている。
各回の演奏者は若手の実力者揃いとのこと、大いに期待したい。
それにしても、今日の演奏者を、ぜひ管弦楽付きで聴いてみたい…というのが参集した北欧音楽好きの一致した意見。
宝くじで3億円当てて、指揮者とオーケストラと合唱団を雇って(できれば指揮者は北欧から招聘したい)、3日連続でステーンハンマル・フェスティヴァルだ!と、妙な盛り上がり方をしてしまった(汗)。
 
ちょっとプログラムを想定してみると、
1日目
2つのセンチメンタル・ロマンス
P協第1番
交響曲第2番
(アンコール)交響曲第3番(断章)
 
2日目
セレナード
P協第2番
(アンコール)「歌」間奏曲
 
3日目
序曲「エクセルシオール!」
スウェーデン狂詩曲「冬至祭」
カンタータ「歌」
(アンコール)スヴァーリエ(合唱版)
 
といった感じか。
 
これでも、交響曲第1番劇音楽「チトラ」が漏れている…
2曲のオペラ、「ティルフィング」「ソルハウグの宴」の演奏会形式上演も…
と、夢は果てしない。

投稿者 seikaisei : 22:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月08日

ルクー;P四重奏曲の実演

京都大学音楽研究会の第100回記念定期演奏会を聴きに行く。
もっとも本業の都合もあって、演奏された7曲のうち、実際に聴けたのは1曲だけ。
とはいえそれがルクー;P四重奏曲(第1楽章)、この曲の実演に接することができて、ただただ感涙にむせぶのみ。
 
演奏者は、中古音盤堂奥座敷同人の工藤庸介さん(Vn)に加え、吉川昌毅(Va)、山形崇(Vc)、西村嘉晃(P)といった顔ぶれ。
 
何より工藤さんの共感に溢れたVnが素晴らしい。ピアノも達者、またコーダの追い込みもかっこよく、ルクーの音楽の美しさが大勢の人にアピールされた場に居合わせる幸福を味わうことができた。

投稿者 seikaisei : 23:37 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月05日

京都フィロムジカ管のトゥビン

京都フィロムジカ管弦楽団の第17回定期演奏会@京都府長岡京記念文化会館を聴きに行く。
指揮は遠藤浩史公式Webpageもある。
 
今日の曲目は、
マスネ;管弦楽組曲第3番「劇的風景」
ワーグナー;ジークフリート牧歌
トゥビン;交響曲第4番「抒情」
というもの。
目的はもちろん、珍しい北欧作品、トゥビン。ちょうど10年前の6月5日に父ヤルヴィ大阪フィルで日本初演して以来、本邦再演ということになるのだそうである。
このオーケストラを前に聴いたのは、たしか一昨年の6月。
そのときはニルセン;交響曲第3番「ひろがり」だったから、いつも珍しい曲を取り上げていただいてお世話になっているわけだ。
 
そのトゥビンは、期待にそぐわぬ、いやそれ以上に素晴らしい出来。
↓のヴォルメル盤で聴いたときには、わりとサラサラしたリリカルな曲という印象を持ったのだが、今日の実演に接してイメージが一変した。
これほど熱いものを閉じこめた曲であったとは…!
プログラムに、この曲を提案した団員の方が曲目解説を執筆しておられたが、その文章も実に熱い。
特に第2楽章の緊迫感や第4楽章の「人類の未来への希望」(プログラムより)を託した輝かしさには、深く心を打たれた。
なお、指揮者のWebpageにも、この曲への思い入れが吐露されている。
 
隔年で(?)北欧の佳曲を演奏してくださっている団体なので、いつかステーンハンマル;交響曲第2番を聴かせていただけることを念願したい。
 
1曲目のマスネも分厚い響きが立派。
シェイクスピアの戯曲の場面をイメージして書かれた曲だそうだが、『オセロー』の「デスデモーナの眠り」に基づく第2楽章「メロドラマ」が美しく、印象に残った。
 
弦の美しかったワーグナーは、Hrnが少し不安定だったのが残念。

投稿者 seikaisei : 22:22 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月26日

テレフセンを聴く

久しぶりにコンサートへ。
3年前広島響とのショスタコーヴィッチ;Vn協第1番の名演を聴いた、アルヴェ・テレフセンが再来日してのコンサート・ツアー、最終日の神戸公演@松方ホールである。
普段だと平日に神戸まで出かけることは厳しいのだが、幸い、この週の後半は本業が都合をつけやすい時期になったのと、チケットをお譲りくださる方がいらっしゃったのとで、聴きに行くことができた。
 
このホールは、6年前かぶとやま響を聴いて以来。
ウィーン・フィルのラルス・ストランスキー(Hrn)が独奏と指揮で客演し、フォルカーさんがエキストラ出演されたりという演奏会だったことを思い出す。
 
今日は1階が8~9割の入り。2階は客を入れなかったのだろうか。
ただしさる音楽鑑賞団体の催しだったので、楽章間で拍手が起こるなど、ちょっと残念。
 
曲目は、
ベートーヴェン;Vnソナタ第7番
スヴェンセン;ロマンス
ブル;ポラッカ・ゲッリエラ
ヌールハイム & テレフセン;独奏Vnのためのカデンツァ
ラヴェル;ツィガーヌ
後半はピアノ三重奏の編成で
グリーグ;アンダンテ・コン・モート
ショスタコーヴィッチ;P三重奏曲第2番
というもの。
共演はホーヴァル・ギムゼ(P)、ヤン・エリク・グスタフソン(Vc)。
ギムゼ(1966年生れ)は録音も出ており、これからのノルウェーを代表するであろうピアニスト、またグスタフソン(1970年生れ)も力量充分の名手とのこと。
 
ステージに登場したテレフセン、髪の毛はすっかり白いのだが、無造作に弾き始めたヴァイオリンには年齢の陰などさらになく、立派の一言に尽きる音楽。
1曲目のベートーヴェンは、第1楽章から古典の格調と、憧れや愁いといった情感の横溢とが両立していて感嘆三嘆。
「アダージョ・カンタービレ」の第2楽章では、木質の音色による優しい子守歌に、ただただ聴き惚れるのみ
暗い情熱に満ちた終楽章も、聴き応え充分。
独墺派の正統からは少し外れた音楽づくりだと感じたが、それこそが「北欧の香り」(パンフレットから)という所以だろう。
 
続くスヴェンセンは、元来管弦楽伴奏の作品だが、これはギムゼのピアノが素晴らしく、前奏では漆黒の宇宙にまたたく星の神秘的な輝きを思わせた。
独奏の旋律は題名どおりのロマンティックな歌ふしなので、そちらがちょっと聴き劣るほど。
もちろんテレフセンにとっては手の内に入った小品、文字通りの北欧の抒情を堪能できた。
 
初めて聴くブル作品は、技巧的なショーピース(ちょっとパガニーニの楽曲を連想させる)。
これも鮮やかに弾ききった。
 
テレフセンに献呈されたVn協のカデンツァを独立させたヌールハイム & テレフセン作品は、ヴァイオリンの音の諸相を描き尽くそうとしたような多種多彩なテクニックの連発。
ヴァイオリンでは足りないのか、足でリズムを踏んだり口を鳴らしたり(笑)、という多彩さ。
 
前半の白眉はラヴェルで、まさに完璧。
鈍色(にびいろ)がかったヴァイオリンの音色から、フランス系ヴァイオリニストとはまったく違った音楽が展開された。
 
後半から登場したチェリスト、グスタフソンは、まず巨体に圧倒され(チェロが小さく見える)、ついで朗々たる音色と完璧な技巧に舌を巻いた。
未完に終わったP三重奏曲の第1楽章となるはずだったグリーグ作品、なるほどピアノ・トリオとしては少し書法に問題がある感じがした。
三重奏曲というより、ピアノと「8本の弦を持つ弦楽器」のための二重奏曲という趣。
とはいえ、ちりばめられたグリーグの旋律美やピアノのグランドマナーには聴くべきものがあり、埋もれてしまうには惜しい音楽と思われた。
 
結論から言えば最も素晴らしかったのは最後のショスタコーヴィッチ
寂寥感漂う第1楽章、力感たっぷりの第2楽章を経て、第3楽章冒頭のピアノの凄まじい響き!
弔鐘を思わせる和音の連打なのだが、その中から滲み出る色彩感に圧倒された。ギムゼ、やはり素晴らしいピアニスト。
それを受けるチェロの濡れた音色もまた素晴らしい。
更に圧倒されたのは終楽章で、泣き笑いの行進がやがて号泣となり、そして涙も凍る終結に到達する
合奏の力強さ、緊密さ、とにかくショスタコーヴィッチの音楽だけを感じさせる没我の演奏だった。
もうアンコールは聴きたくないくらいだったが、聴衆も盛り上がっており、第2楽章が2割増くらいの超高速で演奏された。これはさすがにヴァイオリンも乱れ気味。

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2005年04月10日

宇野功芳の「すごすぎる」世界

4月1日の記事に書いた人事異動の影響で、いくら時間があっても足りない状況ではあるのだが、これだけは聴きに行かずばなるまい。
宇野功芳(指揮) 大阪フィル
「宇野功芳の "すごすぎる" 世界」
会場はザ・シンフォニー・ホール。
超満員とはいかないが、ほとんど満席に近い状態。
司会者が「新幹線で来た人~」と呼びかけるとワラワラと拍手が起こり、さすがにと頷かされた。
何といっても宇野師が8年ぶりでプロのオーケストラを指揮する機会なのである。
また大阪では5年前にアンサンブルSAKURAを指揮して以来、もちろん大阪フィルとは初めての顔合わせ。
客席を眺めた感じでは、いかにもコアなマニアという人よりも、長年クラシックを聴き宇野師の評論も目にしてきたという雰囲気の年配の方が多かった。
とはいえ若いカップルや子ども連れも散見され、多少心配に…(笑)。
 
入口で渡されたプログラムを開けて吃驚、
客演コンサートミストレス 佐藤慶子
とのこと。
佐藤さんは、かつて宇野師が10回にわたって開いた「オーケストラ・リサイタル」で、今は亡き新星日響のコンサートミストレスを務めていた奏者。
おそらく大フィル側のローテーションの問題ではなく、指揮者の要望で招かれたものと推測される。
それでなくてもハラハラする宇野師の指揮で、客演するオーケストラを率いなければならないのだから、御辛苦は想像に余りある。
 
さて、今日の曲目は
モーツアルト;歌劇「フィガロの結婚」序曲
同;交響曲第40番
ベートーヴェン;交響曲第5番
というもの。
お得意の曲目ではあるが、斉諧生としては今ひとつ期待しかねるプログラム。過去の実演ではあまり感心したことがない。
むしろワーグナーブルックナーの方が聴きたいのだが、まあ仕方ないだろう。
 
なお、オーケストラの編成は、弦がモーツァルトでは14-12-9-8-6、ベートーヴェンでは16-14-12-10-8、管は2管編成でHrnのみ4人だったか。
 
さて、「フィガロ」序曲が始まって驚いた。
あまり遅くない!
もちろん通常のテンポよりは遅いのだが、かつてのお化けでも出そうな物々しい遅さではなく、まず音楽がもたれない程度で収まっている。
とはいえ弦の細かい音型がくっきりしないのは、やはりオーケストラが不慣れなせいか。
もっとも75小節からの全合奏での和音や101小節からのFgソロの部分で大減速するのはいつもどおり。
コーダ直前の弱奏でも減速、ここは夕暮れの雰囲気が醸し出され、なかなか佳かった。
コーダも意外に速く、クレンペラー盤でくっきり聴こえる木管の下降音型がはっきりしなかったが、終結では案の定ティンパニが最強打、胸のすく思い。
司会者が言うには、リハーサル初日に「『春の祭典』のように叩いてください!」という指示があったそうな(笑)。
 
1曲目のあと司会者が出てきて、ひとくさりやりとりがあったのだがそれは↓にまとめることとして、交響曲第40番
例によって主題3小節目の上行音型にポルタメント、ただしディミヌエンド付きなので、あまり煩わしくない。
すこし音楽がすっきりしたのかなと思ったが、10小節目からの経過句では相変わらずの大減速。
これ以降、「ロマンティック」(指揮者談)どころか、めまぐるしくくらいの加速・減速で、音楽の流れに乗ることができなかった。
211小節の頭に、ワルターばりのルフトパウゼを入れるのもいつもどおり。
もっともかなり「タメ」が入ってしまい、あまりスマートなパウゼにならなかったが。
 
続く第2楽章は、遅めのテンポで始まった冒頭、Va→第2Vn→第1Vnと受け渡される動機にディミヌエンドが付され、非常にはかなげな響きがして、これは気に入った。
17小節でFlが入ってからはテンポが上がり、普通の音楽になってしまって残念。
53小節(展開部)冒頭は陰の濃いpからクレッシェンドし、地の底から湧き上がってくるようなデモーニッシュな感じがして、さすがと思わされた。
 
どうなるかと思った後半2楽章は、硬いリズムに終始したメヌエット、普通の速さでほぼ押し通した終楽章と、見るべきものがなかった。
終楽章の展開部冒頭もあっさり通り過ぎたのにはガッカリ。
 
さてメインのベートーヴェン
いつも問題になる第1楽章冒頭の主題は、完全にコンサートミストレスのタイミングで入っている。フェルマータはもちろん長目。
もっとも主部に入ると結構早めのテンポでサクサク進んでゆく…と思いきや、やはり第2主題は遅く粘る。
提示部の繰り返しあり。
展開部に入ってCbのピツィカートの強調や196小節からの減速など、なかなか面白い。
再現部でのObソロ、かなり遅いテンポで吹いているわりには無表情。
指揮者は棒を下ろしているのだが、奏者の自発性は無さそうな感じ。
(そうそう、宇野師は久しぶりに指揮棒を使っていたのである。)
コーダではやはりティンパニが「春の祭典」ばりに大活躍、479小節・481小節のフェルマータを思いっきり伸ばして締めくくり。
 
低弦の素晴らしい響きで始まった第2楽章は、モーツァルト同様、全曲の白眉か。
39小節以下で弱音と遅いテンポで粘ったのも聴き応えあり、105小節以下では弦を抑えて木管の煌めきを聴かせた。
 
これもモーツァルト同様、第3楽章はあっさり目に通過。
移行部ではかなり粘った上、最後は更にリタルダンドしてティンパニを最強打させた…のだが、肝心のフィナーレ冒頭が腰砕け気味。
26小節以下、ホルンが幅の広い英雄的な主題(推移主題)を吹き流すところ、ティンパニの刻みで強拍にアクセントを付けさせたのは効果的だった。
こちらは提示部を繰り返さず。
展開部113小節以下でトロンボーンの動機を強調したのは、他にも例はあるが、面白し。
コーダではやはりティンパニが最強打、最終小節では後半のトレモロで音量を上げさせたのには思わず笑ってしまった。
カーテンコールでも単独で起立させたのはティンパニのみ。
 
アンコールは十八番「ハイドンのセレナード」
これは絶品。第1Vnは、おそらくコンサートミストレスが絞ったのだろうと思うが、見事に美しい弱音を聴かせてくれた。
妙に思い入れがないのが却って幸いして、実にすっきりした表情。
もちろんポルタメントは付いているのだが。
かつて新星日響でも聴いているが、もしかしたら最上の出来栄えではないかと思う。
 
以上、やや分析的な書き方になってしまったので、全体的な印象を書いておきたい。
テンポの動きが激しく、音楽の流れを分断してしまっている。
思い入れ(思いつき?)のあるところで部分的に減速して粘るのは良いとしても、そのあとすぐ巡航速度に復帰してしまうので、とってつけたような変動になってしまう。
遅くするならするで、指揮者もオーケストラも、それだけのエネルギーを投じてほしいのだが、どうも「お約束」にしか聞こえない。
 
指揮者の動作を見ていても、かつてのような没入ぶりを感じさせたのはベートーヴェンの第1楽章後半くらい。
あとは淡々とした振りで、テンポだけを操作する印象を受ける。宇野師が賞揚する「命を賭けた遊び」の境地にはほど遠い感じだ。
 
『レコード芸術』での筆鋒同様、宇野師の音楽も鈍ってしまったのだろうか。
今一度、生の火花を散らすような、本当の「凄すぎる世界」を聴かせていただきたいと切に願う。
なお、補助マイクも多数立っており、司会者もライヴCDの発売が予定されていると述べていたことを付け加えておく。
司会者と宇野師の会話及び「生演奏で聴き比べ」の顛末は以下の如し。
 
(1曲目と2曲目の間)
「3日前に大阪入り、朝比奈隆氏の墓参をして、助けてくださるように祈った。」
「モーツァルトとブルックナーでは、今はモーツァルトの方が好きである。理由は『チャーミング』。」
「いちばんロマンティックな曲として、第40番を選んだ。」
 
聴き比べは、40番第1楽章の冒頭約40小節を「普通のテンポ、スタイル」で演奏し、あとは本番。
 
(休憩後)
「ベートーヴェンで一番やりがいがあるのは『第九』」
 
第9番スケルツォの第2主題で、原典版・ワーグナー版(Hrnが主題を補強)・ワインガルトナー版(Trpが主題に加わる)の3種を聴き比べ。
 
「『第九』4楽章の最後は大爆発。それに対して1~3楽章の終結は疑問形だと考えている。」
 
第9番第1楽章の終結、約35小節程度を、普通のスタイルと「宇野版」で聴き比べ。

投稿者 seikaisei : 22:17 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月19日

ステーンハンマル友の会のコンサート

久々に東京へ出かけ、コンサートを聴く。
目的は、トップページにリンク・バナーを掲げているステーンハンマル友の会によるサロン・コンサート。
昨年10月から始まっているが、シリーズ5回目にしてようやく参じることに。
それというのも今日の曲目は
モーツァルト;Vnソナタ第28番 ホ短調 K.304
ステーンハンマル;Vnソナタ イ短調 op.19
プロコフィエフ;Vnソナタ第2番 ニ長調 op.94bis
ラヴェル;ツィガーヌ
ステーンハンマルのVnソナタが聴ける! これを逃さずにおられようか!!
60人ほどが座れる会場はほぼ満席、北欧音楽MLのメンバーの顔もちらほら見える。
 
演奏は青木 調(Vn)、和田記代(P)のお二人。
青木さんは前にここで2つのセンチメンタル・ロマンスほかを聴いた。…と思って調べたら、平成12(2000)年12月だから、もう4年以上前のこと。
出演者紹介に掲載されているとおり、昨年10月からはNHK響の契約団員として活躍しておられる。
 
和田さんはもちろんステーンハンマル友の会の中心人物。
ちょうど昨年2月にP協第2番の2台ピアノ版を聴かせていただいて以来になる。
 
それぞれ演奏の前に曲の簡単な紹介があり、ステーンハンマルについては
作曲家はピアニストだったが、ピアノが入った室内楽曲は意外に少なく、完成された作品としては、このVnソナタのみ。
息の長いフレーズと和声の移ろいが特長。
演奏者としては、Vnのフレーズが長く不定形な点(4小節、8小節といった規則的な把握ができない)、Pパートが技術的に大変(大きな手が前提になっていると思われる)、といったあたりが難しい。
というコメントがあった。
 
ステーンハンマルとしては初期の作品(1900年完成)で、当時よく共演したVn奏者・作曲家トゥール・アウリンに献呈され、彼ら2人が初演した。
非常に古典的な作風で、ピツィカートは一音もなく、重音奏法も控えめにしか用いられない。
聴いた感じだけでいうと、淡彩のブラームスというか、ハンブルクの巨匠がシューベルトの作風をなぞったような雰囲気がある。
この日は次にプロコフィエフが演奏されたこともあって、特にその印象を強くした。
ただし、上記の演奏者のコメントにあるように、一筋縄ではいかない面もあるようだ。
 
全曲で約20分程度、第1楽章 Allegro con anima は、気持ちのこもった(しかし控えめな)嘆きの歌、 "con intimissimo sentimento" (極めて内面的な感情をもって)と指定された第2楽章 Andantino での心の慰めは、この曲の核心。
非常に歌謡的な楽章で、ちょっとシューベルト幻想曲あたりを思わせる。
心の襞を優しく心地よく掻いてくれるような、いつまでも身も心もゆだねて揺られていたい音楽、とでも言えようか。
第3楽章 Allegro は、かすかに民族調を帯びた愛らしい主題による、弾むような音楽となり、喜ばしげに曲を閉じる。
 
青木さんのヴァイオリンは、前回もそうだったが、端整で美しい音程と音色清潔かつ誠実な音楽が持ち味。
この曲でも、ステーンハンマルの良さをきちんと引き出しておられ、特に第3楽章が立派な出来だった。
欲を言えば、2楽章はもう少し纏綿とした歌が好み。
プロコフィエフの緩徐楽章でも同じ印象を受けたので、それは彼女の行き方ではないのだろう。
 
和田さんのピアノは、雄弁ながら出過ぎない表情が、音楽を立体的にしている。弱音の柔らかく美しい音色も素晴らしい。
独奏では時に感興を抑えきれない情熱のほとばしりに、聴いている側は多少ハラハラすることもあるピアニストだが(失礼お許しを<(_ _)>)、今日のような室内楽ではよくコントロールされている。
上記のコメントどおり、見ているとけっこう忙しそう。聴こえてくる音楽の優しさとは裏腹に、ずいぶん手のこんだ書法になっているようだ。
 
ともかくこれだけの高い水準でステーンハンマルを聴けたのには満足を通り越して歓喜々々。
来る7月3日(日)には、東京オペラシティ・リサイタルホールで、このVnソナタを含む、オール・ステーンハンマル・プログラムの「スウェーデン音楽の調べ Vol.2」が予定されている。
ぜひぜひ一人でも多くの方に足をお運びいただき、実際に彼の音楽を聴いていただきたいと念願する。
他の曲については簡単に…。
モーツァルトでは青木さんの美質が前面に出て、木質感のある美しい中低音に聴き惚れつつ、古典の格調の中に込められた嘆きに心を打たれた。
 
プロコフィエフは当日の白眉。
音楽の振幅の大きさ、多彩な表情(ヴァイオリンもピアノも)。
これと並べると、ちょっとステーンハンマルも旗色は悪いかもしれない…(苦笑)。
ただし、これはもう少し大きな会場で聴きたかったという気もする。
 
ラヴェルも格調高い再現。
曲が曲だけに多少の崩しというか媚態があってもと思うが、それは斉諧生の好みにすぎないだろう。
 
アンコールはドビュッシー;亜麻色の髪の乙女
 

投稿者 seikaisei : 22:52 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月06日

ボッセのベートーヴェン・アーベント

地元のホール高槻現代劇場で、ゲルハルト・ボッセ(指揮) 大阪センチュリー響の演奏会を聴く。
ボッセ氏は高槻市に住んでおられ、当地でのコンサートは今日が5回目とのこと。
前回までの情報をまったく知らず、聴き逃していたのは残念。
このホールは阪急高槻市駅から徒歩5分以内、京都・大阪の中間点にあって特急が停車するのでどちらのターミナルからも30分以内で来場できる。
もっと企画とPRに励めば、ここを中心とした豊かな音楽文化が栄えるのでは…と期待したいところである。
 
中ホールは約600席、音響は悪くなく、室内楽、小編成のオーケストラや合唱に良い器ではないかと感じている。
今日は8~9割の入り。
 
オール・ベートーヴェン・プログラムで、
序曲「プロメテウスの創造物」
交響曲第1番
Vn協(独奏;カトリーン・ショルツ)
と、コンチェルトを休憩後に配する。
 
ボッセ氏は、昨年7月10日の項に記した講演会で、ベートーヴェンに対するC.P.E.バッハ等の影響を強調し、ピリオド・アプローチによる演奏への共感を強く打ち出しておられた。
例えば、
自分としては、過去のドイツの大家の演奏解釈には、今となっては共感しかねるところがある。
フルトヴェングラーやワルターといった大指揮者は、19世紀の音楽の伝統を受けつぎ、マーラーやR・シュトラウスなどの響きのイメージの中で音楽を創っていた。
それに対し、18世紀のC.P.E.バッハの音楽はまったく別な世界である。音もべったり作ってはいけない。アーティキュレーションが重要で、音の頭・延ばし方・終わり方・次の音(または休符)を注意して作っていくと、まったく別な響きが得られる。
ラトルの演奏は、ところどころ素晴らしく、共感できる。
ジンマンの演奏は、おそらく最も速いものだろうが、合理的だ。
アーノンクールも、なかなか良い。
 
実際の演奏が、どの程度まで古楽風になっているのか、非常に興味を持って聴きに出かけた。
管弦楽の編成は、弦が10-8-6-6-4、管楽器はもちろん2管。
下手に第1Vn・第2Vn、上手にVa・Cbを配置するやり方で、高関健のもとでは対向配置を実践していたオーケストラだけに、もしかしたらあまり徹底したモダン・ピリオドではないのかもしれない、と予感した。
 
なお、昨年5月に左上腕骨と左大腿骨を骨折されたボッセ氏だが、椅子も用いず、終始元気に指揮しておられたので安心した。
 
序曲冒頭のトゥッティは音価を短めに取っており、やはりピリオド…と思ったが、ヴィブラートは排さず、自然に弾かせていたようだ。
一言でいえば、キビキビしたベートーヴェン。
 
交響曲でも、快速でキビキビした音楽は同様。
終楽章コーダに向けての追い込みでは、ホルンや木管を音を割り気味に強奏させ、迫力ある表現をとる。
 
目立ったのは、長い音符での音の減衰や、フレーズの中でのデクレッシェンドを多用し、清潔な美しさを表出していたこと。
例えば第3楽章のトリオ冒頭、木管がpで繰り返す和音をそれぞれデクレッシェンド。
ヴィブラートも控えめに使わせており、第2楽章展開部冒頭のppでは、神秘的な和音がくっきりと浮かび上がった。
 
休憩後の協奏曲では、独奏者のスタイルが前面に出て、ドイツ伝統の新古典的な演奏様式を聴くことになった。
デビュー当時の「お嬢様」イメージが強いショルツだが、実際にはけっこう大柄だったので目を見張った。
1969年生れというから30歳代半ば、既にベルリン室内管を10年間率いるからには、それなりに逞しい人なのだろう。
髪も短くしており、がっちりした肩に、引き締まった体型。
 
音楽も、所謂女流ふうのなよやかな媚や何か風変わりなことをする素振りは毛筋ほどもなく、堂々たる正攻法、ドイツ伝統のベートーヴェン。
第1楽章開曲早々は高音に少し硬さも聴かれたが、中低音の美しい音色と和音感覚をベースにどんどん調子を上げていく。
ヨアヒムのカデンツァなどは間然とするところなく弾ききった。
もちろん剛球一本ではなく、第2楽章後半で独奏Vnが新しい旋律を出すところなど、ゆったりしたテンポで実に美しい。
 
贅沢を言うとすれば、技術的・音楽的にもう一次元上に突き抜けて、心の底からの幸福感、更には神々しさをも顕現するような音楽であれば…といったところか。
華やかなスター奏者としては扱われていない人だが、実力は十二分、今度はブラームスの協奏曲あたりで聴衆を圧倒するところを聴いてみたいと思わずにはいられなかった。
 
アンコールはバッハ;ジーグ (無伴奏Vnパルティータ第2番より)
かなり急速なテンポで弾かれ、ちょっと技巧曲じみた感じがしたのは僻目か。
なお、休憩後、後半の演奏に入る前に、ボッセ氏のレクチャーがあった。大意、次の如し。
通訳は、いつものように美智子夫人。
 
ベートーヴェンがVn協を作曲したのは36歳の頃だが、今日はそれに近い時代の作品を3曲採り上げた。
序曲は、はじけるような力強さがみなぎる曲。
 
交響曲は、短めの曲だが、「ハイドンの105番」とも言える作風である。
作曲は1800年、まさに18世紀の様式の結晶となっている。
しかし、この最初の交響曲の中に、ベートーヴェンの大きな世界が、エッセンスとして入っている。
 
Vn協になると、作曲技法が進んでおり、第1楽章だけでモーツァルトやバッハの作品と同じくらいの長さがある。
古典派の範疇に収まってはいるものの、ロマン派の時代を予感させる、大きな構想がある。
特にオーケストラのトゥッティの大きさは、新しいものだ。
Vn独奏は、技術的にも難しいし、かつ、トゥッティを長い間、待たなければならないという苦しみもある(笑)。
私もこの曲は50回、60回と弾いてきたが、延々と待つのは辛いものだ。
第2楽章は、本当に美しく、心の奥底に届く音楽である。
ベートーヴェンがこの曲に取り組んでいた頃、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたことを思い出さずにはいられない。
彼は、耳の病気という困難を作曲を通じて克服し、音楽によって人々に希望を与えた。
第3楽章は、ツグミの鳴き声をモチーフにしている。
 
大阪センチュリー響とは初めての共演だが、2日間、良いリハーサルができた。
我々がすぐに理解しあえたことは、音楽に現れていると思う。
 
ショルツさんとは、17年ぶりの共演になる。
1988年のバッハ・コンクールで、受賞者の演奏会を指揮したのが私だった。
一昨日、17年ぶりに会って話をしたところ、彼女の夫君が私の昔の生徒であることがわかって驚いた。
彼女の楽器は夫君の父上のものを使っておられるのだが、実は私も50年来、知っている楽器である。

投稿者 seikaisei : 23:21 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月02日

大阪シンフォニカーのシベリウスを聴く

久々にオーケストラの定期公演を聴きに出かける。大阪シンフォニカーの第98回定期で、会場はザ・シンフォニー・ホール。
大阪での平日19時開演は京都から参じるにはチト厳しく、何度か行きたい演奏会を逃していた。
今日は幸い早めに退勤でき、最も聴きたいプログラムを逃さずにすんだ。
すなわち、
シベリウス;交響曲第7番
猿谷紀郎;音の風韻II
シベリウス;交響曲第5番
という、シベリウスの後期交響曲2曲を採り上げるもの。
猿谷作品はオーケストラの委嘱新作とのこと。
 
ただ、事前に少し心配だったのは指揮者が山下一史氏という点。
北欧のオーケストラを指揮した経験が多いこと(ヘルシングボリ響マルメ響等)を買われたのかもしれないが、斉諧生の知るかぎり、この人は熱っぽい推進力が持ち味。
悪く言えば「煽り系」の人ゆえ、第1・2番あたりなら格別、後期作品に適合するかどうかは問題だと思っていた。
 
そうした先入主のせいとは思いたくないが、満足のゆかない結果となってしまった。
 
第7番は、弦合奏の響きが厚ぼったくなってしまっている(合奏の精度が低い)等、練度が低い印象を受けた。
弦の編成は14-12-10-8-6。
また、木管の性格的な音色を生かし切れておらず、金管の厳しい打ち込み(短く「ババッ」と吹き抜く部分)が意味を持たない等、斉諧生として「これぞシベリウスの音楽の醍醐味」という「ツボ」を外された感が拭えない。
 
特に全曲終結の直前、第1・第2Vnだけになって、全音符をクレッシェンドで弾き上げて、「Affettuoso」指定の絶唱を歌う部分。
ここで胸に沁みるような響きを奏でてもらえなかったのは、たいへん残念だった。
もっとも、斉諧生はシベリウス(とブルックナー)の演奏に関して「かくあるべし」が強すぎることは自覚しているので、その点は割り引いてお読みいただきたい。
 
また、この曲の終結は、けっして「閉じられる」ものであってはならず、解決しないまま消え入ってゆくもの、敢えて言えば「永劫回帰」の無限の世界へ溶けこんでいく趣を表現しなければならない。
非常に狭い考えといえば狭いのだが。
ここが満足できたのはベリルンド(指揮) ヨーロッパ室内管盤(FINLANDIA)のみ。
その点、当夜の演奏は、やはり「終止符を打つ」傾きを強く感じたと言わねばならない。
 
7番で失望したのが祟って、オーケストラはかなりよく弾いていた第5番の評価も、辛くなってしまう。
第1楽章最初の高揚で既に「煽り」傾向が感じられ、北欧の厳しい大自然を仰ぎ見る趣を失ってしまった。
ややあって長大なソロを吹くFgも、自然音ではなく人間の歌になっており、斉諧生のシベリウス演奏の理想とは食い違う。
楽章後半への入りや楽章終結も、