音盤狂日録


9月30日(水): 

 久しぶりに京都・河原町の清水屋を覗く。昔はよく行ったが、輸入盤中心に買うようになってからは足が遠ざかっていた。スタンプ割引もないし…。
 斉諧生にとって、ここの唯一のポイントは新世界レコード社取扱いの輸入盤、主にOLYMPIAとASVを置いていること。
 案の定、ASVを2枚購入。

鈴木秀美(Vc)シギスヴァルト・クイケン(指揮)ラ・プティット・バンド、ハイドン;Vc協第1・2番ほか(DHM)
鈴木さんのチェロは聴き逃せない。
早々と輸入盤が入荷したので、購入。
吉田雅夫(Fl)岩城宏之(指揮)NHK響、尾高尚忠;Fl協ほか(KING)
初演者、吉田雅夫の独奏で聴いてみたく、購入。あるいは初CD化か。
外山雄三;『ラプソディ』小山清茂;『木挽歌』等も収録。
デトレフ・ハーン(Vn)マーク・フィールディング(P)シマノフスキ;Vn曲全集(ASV)
シマノフスキには目がないので、見るなり購入。
"Quicksilver"という廉価盤シリーズだが、これが初出らしい。
それにしてもジャケット写真が熱帯魚なのは「?」。
リリック四重奏団ほか、ヒナステラ;弦楽四重奏曲全集(ASV)
最近よく聴いているヒナステラ。これは27日の項に書いた弦楽のための協奏曲の原曲に当たる第2番の四重奏を聴くために購入。
演奏自体は別な盤の方が優れているらしいが、こちらしか見つからなかったので。
(追記:↑10月2日の項参照。)
吉野直子(Hp)「バロック・ハープ」(PHILIPS)
吉野嬢久々の新譜。斉諧生は原産地主義なので、こういうオランダ製作の録音は輸入盤で買いたいのだが、前のクレーメルとの現代曲集の輸入盤が出ないので、今回は国内盤を購入。
バッハ他のバロック曲を現代のハーピストによる編曲で演奏したもの。

9月29日(火): "In Tune"誌の最新号が、終刊号になっていた。前に隔月刊化がアナウンスされたときにも懸念していたが、早くも、とは残念である。

 

ヘルベルト・ケーゲル(指揮)ライプツィヒ放送響ほか、オルフ;カルミナ・ブラーナ(Berlin Classics)
ケーゲルの旧録音を、ふと思い立って聴いてみた。夜間なのでヘッドホン使用。
よく言われるように、凄い演奏である。
恐ろしいほど切れるリズム猛烈なエネルギーのクレッシェンド、息もつかせぬ…という形容がピッタリ。
マルPが1960だから、1950年代末の録音だろうか? 復刻が悪いのかヘッドホンの限界か、少々音が悪いが、そんなことを超越して、演奏の力に圧倒される。
なお、斉諧生架蔵のCDは「0031202BC」という番号。「BC2047-2」の2枚組で三部作が入っているのは1974年の新録音の方なので御注意。

9月28日(月): 許光俊著『クラシックを聴け!』@青弓社を読む。退勤時だけでほぼ読了。
 本気で書いているのか冗談で書いているのかよくわからないが(冗談だと思って読み始めたのだが、読んでいくうちに、ひょっとしたら本気かもしれないという気もしてきた)、「クラシックは滅びた!」などという見出しを付け、ヴァントとジュリーニとザンデルリンクがいなくなったら指揮者は死滅すると言わんばかりの口振りだ。
 そりゃ、機能和声とソナタ形式(とそれを裏付ける弁証法哲学)をクラシックと定義すれば(はっきりそうとは書いていないが)、「クラシックはブルックナーで完成し、いまや『恐竜と同じく滅んでいくしかない』」「ベートーヴェンからマーラーまでおよそ百年の間に起こった『文化的な狂い咲き』」なのかもしれないが…。
 一般的には、巻末の「誰を信じればいいのか? 評論家ぶったぎり」の章だけ立ち読みするのがいいだろう。(^^)
 著者の推薦盤(これさえ聴けばクラシック音楽がわかるそうである)を掲げておくので、興味のある方は1,600円(税別)お出しになってもよろしかろう。

チェリビダッケ(指揮)ミュンヘン・フィル、チィイコフスキー;幻想序曲「ロメオとジュリエット」
内田光子(P)モーツァルト;Pソナタ第15番K.545
ヴァント(指揮)北ドイツ放送響、ベートーヴェン;交響曲第9番
ヴァント(指揮)ベルリン・フィル、シューベルト;交響曲第8番「未完成」
チェリビダッケ(指揮)ミュンヘン・フィル、ブルックナー;交響曲第8番
(以上紹介順)
もっとも、本を買った上に、こういう反応を示すこと自体が著者の術中に陥っているのかもしれない。(^^;;;
それにしても「出る**は打たれる式のコミュニケーションの仕方をしている国」なんて書いてるようでは(また編集者が見逃しているようでは)困る。

 おかしいな、本業が忙しいはずなのに…

ニコラウス・アーノンクール(指揮)ウィーン・コンチェントゥス・ムジクス、モーツァルト;交響曲第16〜18・21番(TELDEC)
アーノンクールのモーツァルト;交響曲、最初に出た第34・35番を買ったのが大学4年生の時、ほとんど意地で買い続けている。
イーゴリ・マルケヴィッチ(指揮)ベルリン・フィル、ベルリオーズ;幻想交響曲&ムソルグスキー(ラヴェル編);展覧会の絵(DGG)
ドイツ・グラモフォン創立100周年記念CDの一。
ベルリオーズは1953年11月、ムソルグスキーが同年2月の収録。マルケヴィッチのDGGデビュー録音の、初めてのCD化である…
とジャケットにはあるが、「展覧会の絵」のみ1993年にフランス・ポリグラムから2枚組の"DOUBLE"シリーズで出たことがある。
この"DOUBLE"シリーズはマルケヴィッチ・ファンには狂喜もので、ベルリオーズでは、ベルリン・フィルとの「イタリアのハロルド」(1956年録音)が、ミュンシュ&バイエルン放送響のレクイエムとのカプリングで出たり、ラムルー管との「ファウストの劫罰」が出たりしたものだ。
なお、幻想には1961年録音のラムルー管とのステレオ盤(DGG)、展覧会には1973年録音のゲヴァントハウス管とのステレオ盤(BC)がある。
マルケヴィッチが最も勢いに乗っていた頃の、フルトヴェングラー治世下のベルリン・フィルとの録音、期待したい。
ゲオルグ・ティントナー(指揮)アイルランド国立響、ブルックナー;交響曲第8・0番(NAXOS)
最近話題のティントナーのブルックナーを、初めて買ってみる。
この人のCDは、前にCBCから出たディーリアス;Vn協ほかを持っているが、これはあまり良くなかった。その上、ブルックナーも6番から始めたので、食わず嫌いを起こしていたのである。
(6番から録音を始める指揮者のブルックナーは避けた方がいいというのが斉諧生のジンクス。たとえばサヴァリッシュがそうである。)
ようやく8番が出たので聴いてみる気を起こしたのだが、1887年版、いわゆるノヴァーク第1稿というところがひねっている。これがメジャー・レーベルから出るのはインバル盤(1983年録音)以来では?
モニク・アース(P)ハンス・シュミット・イッセルシュテット(指揮)北西ドイツ放送響、ラヴェル;P協ほか(DGG)
ドイツ・グラモフォン創立100周年記念CDの一。
ピアニストはともかく、指揮者とオーケストラはおよそラヴェルを演奏しそうにない顔ぶれ、イッセルシュテットの珍(?)盤である。
やはりアースのDGGデビュー録音の、初めてのCD化である。
カプリングはフリッチャイ(指揮)ベルリンRIAS響とのストラヴィンスキー;カプリッチオで、初出LPでも同じ組合せだった。更にアース独奏の「クープランの墓」をフィル・アップ。
なお、イッセルシュテットの珍(?)録音にはシュターダーヘフリガーとの「ラ・トラヴィアータ」(抜粋)というのもあるので、ぜひCD化してもらいたい。「乾杯の歌」がヨハン・シュトラウスになっているのは聴きもの!
ヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn)ヴィルヘルム・ケンプ(P)ベートーヴェン;Vnソナタ第9・10番ほか(DGG)
ドイツ・グラモフォン創立100周年記念CDの一。
これも初CD化、前にAMADEOから出たシュナイダーハン・エディションにも入っていなかった。
前に"ORIGINALS"で出たモーツァルト;Vn協第4番で思ったのだが、この人の全盛はモノラル期だったと思われる。壮年期のケンプ(1952年の録音だから57歳くらいか)とともに、期待したい。
ついでに他の曲もCD化してほしいところだ。ライナーには第3〜6番のジャケット写真だけ掲載されているが…
細君イルムガルト・ゼーフリート独唱のモーツァルト;コンサート・アリアK.490をフィルアップ。
エリック・エリクソン(指揮)オランダ室内合唱団、プーランク;宗教合唱曲集(GLOBE)
「合唱の神様」エリクソン(あ、ロバート・ショウもだったけ?)が、珍しくスウェーデン以外の団体を指揮している。ライナーノートによれば、以前から客演はしていたらしい。
プーランクの無伴奏の宗教合唱曲のうち、「悔悟節のための4つのモテット」「クリスマスのための4つのモテット」「アッシジの聖フランチェスコの4つの祈り」「ミサ曲ト長調」等を収録。
「黒い聖母のためのリタニア」も入ってたら、もっと嬉しかったが…。
「神様」の棒に期待。

9月27日(日): 引き続き、部屋からCD棚を追い出しにかかる。
 先に右側の棚を1本出したのだが、今日聴いてみると左右のバランスが大きく崩れてしまっている。斉諧生現用のアンプは、プリ・メインともバランス調整ができないので、こうなると左側の棚を外さないと回復不可能。
 で、えいママヨと、次々に大小3本の棚を、部屋から追い出すことになった。
 また右側のスピーカーを数センチ外へ移動させ、左側の木製ドアに反射を抑えるために厚手の布を掛ける。これでバランスが回復、響き・音場とも、かなりの向上を見た。
 しかし、もうガラガラ音が変わるので、あらためて驚いた。やはりオーディオは部屋だと痛感する。
 こういうときに斉諧生が利用するチェック用のCDはつぎのようなもの。必ずしも最新・最優秀録音というのではないが、昔から使い続けているので、比較にはよいのである。

クレーメル(Vn)アーノンクール(指揮)ウィーン・フィル、モーツァルト;Vn協第4・5番(DGG)
ボネル(G)デュトワ(指揮)モントリオール響、ロドリーゴ;アランフェス協奏曲(DECCA)
クイケン兄弟・コーネン、バッハ;音楽の捧げ物(DHM)
有田正広(Fl)ほか、モーツァルト;Fl四重奏曲全集(DENON)
宇野功芳(指揮)日本女声合唱団、「幻のコンサート」(ART UNION)
吉原すみれ、「とぎれた闇」(Chez TACHIBANA)

 

エサ・ペッカ・サロネン(指揮)フィルハーモニア管、ストラヴィンスキー;バレエ音楽「春の祭典」(Sony Classical)
サイモン・ラトル(指揮)バーミンガム市響、ストラヴィンスキー;「春の祭典」(EMI)
サロネンVSラトル聴き比べ。
両方とも極めてスマートな「ハルサイ」。昔、メータ&ロス・フィル盤で初めてこの曲を聴いたとき(もちろんLP)を思えば今昔の感強し。
更にその昔には、この曲を振れる指揮者が珍しいくらいだったのだから…
この2人にかかれば、そうしたレベルを楽々とクリアして、どこまでリズムをシェイプするか、楽器のバランスをどう組み立ててどういう響きで聴かせるか、が問題なのだろう。
サロネン盤は、「序奏」のファゴットがメロウな美音を聴かせ、ホルンやクラリネット等も良い音を聴かせる。弱音器を付けたピッコロ・トランペットのモティーフも美音が決まっている。
「春のきざし」は極めてスマートなリズムと速いテンポ、「ズン・ズン・ズン・ズン」ではなく「ザ・ザ・ザ・ザ」という感じ、もちろんアクセントも決まりまくる。
録音上も弦のウェイトが小さいようで、木管の動きが目立つ。練習番号31のホルンや「春のロンド」(練習番号50)で半拍遅れで吹くバス・クラリネット、練習番号51のピッコロの対旋律もしっかり聴こえる。
「春のロンド」の後半、練習番号53の途中からトランペットが入って音色が変わるところの効果、大きめにポコ・リタルダンドしてヴィヴォ(練習番号54)にサッと入る鮮やかさ、いずれも素晴らしい。
「対立する部族どうしの戯れ」のテンポの速いこと! そのあとペザンテの指定になっても緩めないまま、突き進んでゆく。
そして、第1部を締めくくる「大地の踊り」の速いこと速いこと、まさに疾風迅雷の勢い! これほど速い演奏は初めてである。
第2部の「序奏」は弦の弱奏が美しい。ここはデリケートな美を描いてゆくのが、もはや常道になっている。練習番号95の前から96までの弱音器付きのトランペットの音色も見事。
「乙女達の神秘な集い」では練習番号101で分割された弦合奏の絡みが聴き分けられる。
「生贄の賛美」あたりからはリズミックな動きが重視されだす。練習番号114ではティンパニが叩く特徴的なリズムとヴァイオリンのピツィカートが絡む効果が目覚ましい。
ティンパニやグラン・カッサの打ち込み、弦合奏や金管のスフォルツァンドが鮮やかに決まってゆく。
「祖先の儀式」の練習番号133、フルートとアルト・フルートが吹く下でヴァイオリンが弱奏するトレモロに付けられたアクセントは、目が眩むような効果を挙げている。
「生贄の踊り」はつまらない演奏をする方が難しいくらいの音楽だが、グラン・カッサの打ち込みやピッコロの煌めきが効果を挙げつつ、終結へ向かうのである。
ところで、途中、練習番号183で一瞬、ルフト・パウゼが入るように聴こえるのはどうしてだろう?
続いてラトル盤を聴く。
冒頭「序奏」は似たアプローチだが、ファゴットは少々苦しそう。機能的にはやはりフィルハーモニア管が上なのだろう。
「春のきざし」はやはり速いがサロネンほどではない。
バランスの作り方が面白く、バス・クラリネットやコントラ・ファゴットの音色をワサビのように効かせながら、音楽を進めてゆく(「春のロンド」の前半など)。
また「春のロンド」の終わり(練習番号56)で、ちょっと間を持たせた節回しは味わい深い。
「大地の踊り」はサロネン同様、超快速。
長めの間を取って始まる第2部、「序奏」はやはりデリケートな音色配合が美しい。
その後はポイントポイントでのコンセプトがサロネン盤によく似ている。練習番号114でピツィカートを強調するところ、練習番号133で弦にアクセントを付けるところ(付け方は少し違うが)など。
大きく異なるのは「生贄の踊り」、かなりじっくりしたテンポで攻めていく。どこからアッチェランドを掛けるのかと期待していたら、結局最後までそのまま。練習番号189以降では弦に付けられた▼型の記号を活かして「タメ」をつくるのが面白い効果を挙げている。
スピードのサロネン、技のラトル、甲乙付けがたいが、「生贄の踊り」のテンポに少々欲求不満を残したラトル盤を「負」としたい。
ジゼル・ベン・ドール(指揮)ロンドン響、ヒナステラ;バレエ音楽「エスタンシア」(全曲版)(Conifer)
エンリケ・バティス(指揮)メキシコ・シティ・フィル、ヒナステラ;「エスタンシア」組曲(ASV)
全曲版と組曲版を聴き比べ。
組曲に採られた4曲はいずれも素晴らしいものだが、漏れたナンバーにも佳曲が多い。ラヴェル;「マ・メール・ロワ」と同じで、全曲版も演奏されてほしいものだ。音楽のレベルとしてはファリャやコープランドに互しているのだから。
冒頭、ホルンの咆哮は組曲版と同じ始まり方だが、これは一種のライト・モティーフか。
第2曲「小さな踊り」では弦楽器の特殊奏法(スル・ポンティチェロかな?)の効果が美しく、面白い。
第3曲「朝;小麦の踊り」ではフルートとホルンの旋律が美しい。組曲版の第2曲に当たる。
第4曲「農場労働者」は組曲版の第1曲、ダイナミックな舞曲。
第5曲「牛飼い」は「春の祭典」によく似た感じ。組曲版の第3曲。
第7曲には「トリステ・パンペアーノ(草原の『悲しみ』)」という美しい歌が入る。
第8曲、「ロデオ」ではピアノのリトミコな動きが面白く、第9曲「薄明の牧歌」は美しい静けさが印象的。第11曲の「夜明け;情景」はフルート独奏と弱音器付きのトランペットの美しい旋律で歌いかわす。
終曲、「マランボ」は組曲版でもフィナーレを飾るが、CDには入りきらないような熱狂の舞曲。これは実演に接してみたいもの。
なお、ジャケット裏の写真では、指揮者ベン・ドールは左手に指揮棒を持っている。裏焼きでなければ、非常に珍しい。ベルグルンドともう一人フィンランドにいるだけだと思っていたが…。
イェラン・ニルソン(指揮)エレブロ室内管、ヒナステラ;弦楽のための協奏曲(Bluebell)
続いてヒナステラ。北欧のアンサンブルらしい硬質な音色がヒンヤリした空気を醸し出す第3曲が面白い。
南米と北欧の違いを感じさせないのは、演奏者の理解もあろうが、ヒナステラの音楽自体が民俗色に寄りかかっているだけではないことを示すといえよう。
ただ、全体に、ちょっと合奏力不足ではないか。とくにフィナーレでその感を強くする。佳曲だけに、もっといろいろな団体に録音してもらいたいものだ。
リチャード・ヒコックス(指揮)シティ・オヴ・ロンドン・シンフォニア、ハウェルズ;弦楽合奏のための協奏曲(CHANDOS)
エルガーと作曲家の愛息の死を悼んで書かれたという曲、両端楽章は賑やかに始まるが、いつしか追悼の淵に沈んでいくのはそのためだろう。
緩徐楽章も愁色の味わい深く、これももっと演奏されていい曲だ。
ハンス・ロスバウト(指揮)南西ドイツ放送響ほか、モーツァルト;FlとHpのための協奏曲(DATUM)
遅めのテンポ、念を押すようなリズム。ソロにももう一つ魅力が無く、ちょっと残念な出来。
1962年12月の録音だから、ロスバウトの最晩年、衰えがあったのか、あるいは放送用のスタジオ録音か何かで感興に不足があったのか。
ミクロロゴス、アルフォンゾ賢王;聖母マリアのカンティガ(OPUS111)
スペイン色を出そうというのか、カスタネットがけたたましく鳴ったり、低めの太い女声が歌い上げたり。
やっぱりパニアグワ盤かなぁ。
ウィリアム・クリスティ(指揮)レ・ザール・フロリサン、モンテヴェルディ;「聖母マリアのための夕べの祈り」(ERATO)
全曲聴き通して1時間40分ほどの演奏だが、全然長いと感じさせない。やはり名曲。
曲間にアンティフォンを挿入するのは、最近の録音では一般的になっているが、更に同時代の他の作曲家(ジョヴァンニ・パオロ・チーマ)の器楽曲を2曲挿入している。
管楽器はコルネットとトロンボーンで、けばけばしい音色は斥けられているが、全体にリズミック、華やかに歌い上げる傾向の演奏。
中でも「マニフィカト」の冒頭は、器楽・合唱全体が見事な和音を鳴らして壮麗の極み
メリスマ歌唱がちょっと粗いような気もするが、このあたりは他の演奏と聴き比べて評価してみたい。

9月26日(土): 部屋からCD棚を1本、追い出した。
 右側のスピーカーの横の壁面を塞いでいたもので、そのままだとかなり音を濁らすので、前に厚手の布を垂らしておいたのだが、もう一度、元の状態に戻そうというわけである。
 今の部屋に引っ越してきた当初、前の部屋に比べて音が良いのに狂喜したものの、CD棚等が増えるに連れてグレードが落ちていく感じがしてきた。
 今回、初めて物を減らす方向で変更があったわけで、その効果や如何に、というところ。
 とりあえず、音場定位が向上し、より響くようになったようだ。今日かけたCDの問題かもしれないが、響きすぎてもやつく感じもあり、またスピーカーの置き方など研究する必要がありそう。

 TowerRecordsからCDが届いた。

ハンス・ロスバウト(指揮)南西ドイツ放送響ほか、マーラー;交響曲第6番&モーツァルト;FlとHpのための協奏曲(DATUM)
ハンス・ロスバウト(指揮)南西ドイツ放送響ほか、マーラー;「大地の歌」&ブルックナー;交響曲第7番(VOXBOX)
いずれもロスバウトのマーラーを聴くべくオーダーしたもの。
第6番は1960年頃のモノラル、「大地の歌」は1957年のステレオ録音である。

 スウェーデンの作曲家2人の作品を聴く。

スティーグ・ヴェステルベリ(指揮)スウェーデン放送響、アルヴェーン;交響詩「岩礁の伝説」(Swedish Society)
弦が高音で和音を出す上に木管やハープのきらめき、星が瞬く夜の海を想起させる、まことに詩的な開曲。
ヒロイックな主題とロマンティックなメロディ、嵐を思わせる経過句、波のうねりのように上下する音型。
ライナーノートには「若い頃に作曲者が経験した恋物語に基づいて書かれている。」とあるが、さもありなん。
シベリウスよりは描写的、R・シュトラウスのようによく書けたオーケストレーション。アルヴェーンというとスウェーデン狂詩曲「夏至祭」の民俗的味わいを連想するが、それよりもインターナショナルな方向に傾斜した、なかなかの佳曲である。
このページも御覧ください。ここを読んで聴きたくなった曲なのです。
ウェルナー・トーマス・ミフネ(Vc)カルメン・ピアッツィーニ(P)、アッテルベリ;Vcソナタ(KOCH Schwann)
アッテルベリ(アッターベルクとも)というと、シューベルト没後100年記念作曲コンテストで優勝した交響曲第6番が有名で(といっても知らない人の方が多いだろうなぁ…)、これには広上淳一&ノールショピング響盤もあるくらい(BIS)だが、Vcソナタは、まず無名か。
聴きものは第2楽章で、主旋律の出だしが「鳥の歌」にそっくりなのだが、ファンタジー豊かで愁色に満ちた音楽が次々と繰り出される。
第1楽章はヒロイックな第1主題と悲愴感漂う第2主題が魅力的。
終楽章は、まさしく「アレグロ・エネルジコ、ポコ・ペザンテ」の指定どおりの音楽。悲劇的な味わいが印象深い。
ただ、ピアノ・パートの書法が、ちょっと陳腐かも。ややピアノの音像が肥大した録音が、その印象に輪をかける。
トーマス・ミフネの独奏は、いつもながら嫋々たるもの、もう少し芯が強くても、と思うが、この曲の紹介としては十二分の出来。
なお、このディスクもこのページに紹介がありますので、どうぞ。

9月25日(金): 関屋晋『コーラスは楽しい』@岩波新書読了。出勤時に読み始めたら職場に着く頃には終わりかけていた。
 斉諧生は合唱経験はないので、合唱団運営のコツみたいな話は関心の外だが、やはり共演してきた指揮者のことどもが興味深い。

 山田一雄

「どうして、ここで出られないんだ」。みんなもう、黙りこんでしまった。指揮者の方からそう言われたら、合唱団は「ごめんなさい」しかありません。山田さんはそのとき、自分の指揮がわかりにくいのかと思われたのでしょう、「ぼくの棒がわからない人、いますか?」合唱団はもう、シーンです。そうしたら、オーケストラの方が、「ハーイ」と手を挙げてくださったのです。山田さんは苦笑いでしたが、おかげで空気がなごみ、無事練習が続きました。

 小澤征爾

小澤さんは集中力というか、人の気持ちをピタッと一つに集めるのが見事です。棒が実によくわかる。細かいことが全部わかるわけです。なんとなく雰囲気で指揮をされるというようなことがない。なぜこう振るのか、といったことに一つひとつ意味がある。つぎにこう振る、というのが感じとれるから、非常に歌いやすく、のりやすい。

 ロストロポーヴィッチ

演奏については実に厳しい。最高のものを要求し、絶対にゆずらない。とくに特徴的だったのは、リズムとかピッチとか、細かなところをキチッと詰めることです。(略)そして、緻密に創りあげたあと、今度は「歌え! 歌え!」 あらんかぎりのパワーを引き出そうとするわけです。

 その他、マゼールメータベルティーニ等についての記述があるが、残念なのは、ヘルベルト・ケーゲルの名が、共演した指揮者のリストに挙げられているだけであること。


9月24日(木): 京都・十字屋三条店に寄ったら、「輸入楽譜全点20%引きセール」実施中(27日まで、たぶん上半期決算処分だろう)。
 ベルワルド;シンフォニー・セリューズ(「厳粛な交響曲」でよかったかな)とシベリウス;「カレリア」組曲のスコアを買う。
 北欧物が置いてあるだけで嬉しくなって手を出してしまう…悪い病である。

 ちょっと買い込んでしまった…

ポール・クロスリー(P)エサ・ペッカ・サロネン(指揮)ロンドン・シンフォニエッタ、メシアン;峡谷から星たちへほか(Sony Classical)
これは一般にも評価の高い録音、前から気になっていたのだが、中古屋で見かけたので、ここぞと購入。
それにしても増えてきたなぁ、サロネンのディスク…。
ジゼル・ベン・ドール(指揮)ロンドン響、ヒナステラ;バレエ音楽「パナンビ」・「エスタンシア」(Conifer)
最近集め始めているヒナステラ、「エスタンシア」全曲版の初録音とあっては買わずにはいられない。(組曲版にはティルソン・トーマス盤、バティス盤他がある)
指揮者は前にkoch盤の「パブロ・カザルスの主題によるグローセス」等が良かったベン・ドールなので、大いに期待したい。
ブリテン四重奏団、ハウェルズ;弦楽四重奏曲第3番&ディーリアス;弦楽四重奏曲ほか(EMI)
これも最近集めている英国音楽シリーズ。…はて何回目だったけ? (^^;
ハウェルズの第3番は、故郷に思いを馳せて「グロースターシャーにて」と標題を付した曲、またディーリアス唯一の弦楽四重奏曲は、第3楽章が「去りゆくつばめ Late Swallows」、もちろんフェンビーによる弦楽合奏編曲で有名なもの。
千住真理子(Vn)エリック・ハイドシェック(P)ベートーヴェン;Vnソナタ第5・7・8番(Victor)
ハイドシェック久々の室内楽録音、1970年代終わり頃にネル・ゴトフスキーフォーレ;Vnソナタ集で共演して以来では。
ライナーノートを宇野*尊師*が書いておられないのも珍。(^^) でも曲目解説はハイドシェック自撰
アーロン・ロザンド(Vn)バッハ;無伴奏Vnソナタとパルティータ(全曲)(Vox)
アメリカの実力派、ロザンドがついにバッハを録音。
2枚組だが値段は1枚分、これも買っておきたい。
うーん、でもバッハの無伴奏、ヴァイオリンもチェロも買ったまま聴いてないのが一山ほどあるんだよなぁ…
ヤン・フォーグラー(Vc)バッハ;無伴奏Vc組曲第1・2番&レーガー;無伴奏Vc組曲第1・2番(BERLIN CLASSICS)
と、言う端から別なのを買っているんだから…(^^;。
一昨日もベートーヴェンを買ったフォーグラー、今日はバッハを見つけたので即購入。
ミクロロゴス、アルフォンゾ賢王;聖母マリアのカンティガ(OPUS111)
昔「スペイン古楽集成」というシリーズで出たパニアグワ盤以来、この曲集は出れば買うようにしている。
この曲集を扱った素敵なWebpageがあります。→こちらをどうぞ。

9月23日(祝): 

 

アラン・ロンバール(指揮)ストラスブール・フィル、モーツァルト;歌劇「魔笛」(全曲)(仏Barclay、LP)
ようやく入手した長年の探求盤、ワクワクしながらターンテーブルに載せてみた。
序曲から首をひねる。序奏のテンポもひきずり加減。どうもオーケストラの音が溶け合わない。フランスの団体ゆえ、ドイツのそれと響きが違うのは仕方ないが、どうにも雑然とした響きである。納得できないまま幕が上がる。
タミーノはペーター・ホフマンだから、ヴンダーリヒシュライヤーのようなリリック・テノールとは随分感じが違う。蛇に追っかけ回されるような若君には聴こえないんだな、これが。
3人の侍女、第2を歌うアン・マレーの声が可愛いけれど、第1と第3(伊原直子)はイマイチ。
次に登場するフィリップ・フッテンロッハーのパパゲーノ! ちょっと吃驚するキャスティングだが、意外とはまっている。
さあ、タミーノ唯一のアリアだが、これは重い! 声も歌唱も…。「憧れ心」が、全然羽ばたかない、これでは。
グルベローヴァ登場! 夜の女王の第1のアリア、これは素晴らしかった。美声から悲しみが滲み出し、高音域でも硬くならないのだ。
パミーナのキリ・テ・カナワって、こんな声だったかしら? ずいぶん重くて粘り気がある。これもいただけない。
童子を歌うチューリヒ少年合唱団員は上手。天国的とまでは言わないが、水準以上の力だ。
弁者はホセ・ファン・ダム、美声だがこの役に必要な「叡智」は感じられない。
モノスタトスはノルベルト・オルトという人だが、あまり性格的な歌唱ではない。つまらぬ。
クルト・モルのザラストロ、えーっ、これじゃ弁者より器量が小さく聴こえる… 声がプロフォンドじゃない…
あーあ、結局キャストで良かったのはグルベローヴァキャスリーン・バトル@パパゲーナだけだった。
ロンバールの指揮も、第12曲"Wie,wie,wie"の速いテンポが清新だったくらいで、あとは常識的、時に緩い音楽。
入手に苦労した盤は、えてしてハズレになるものだ。(T-T)(T-T)
当間修一(指揮)大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団、柴田南雄;「無限曠野」(大阪コレギウム・ムジクム)
柴田先生の絶筆となった作品、初演については新聞紙上でも話題になった。
大いに期待したのだが、うーん、どうかなぁ。
大部分は昔ながらの技法だし、第4曲や第6曲で民俗音階のこだまが聴こえるのは、懐かしいといえば懐かしいが…
生前の柴田先生が力説しておられた「今なぜ音楽するのか」という問いかけへの答が、この曲集にあるだろうか?
あるいは、それを通過した境地がこの曲集なのであろうか?
終曲「大白道(だいびゃくどう)」(草野心平詩)も話題になった曲だが、第3連を繰り返した上に(しかも絶叫調の朗読で)、まだシアターピース風に唱え歩くというのは演奏効果を減殺させている。
この詩、「詩人は『無限の天の大白道に』戦死した将兵たちの行進を幻視する」(ライナーノートから)ものだが、ここで取り上げられているのは明らかに反戦詩としてで、実際、そうとしか読めないのだが、問題は発表年。
昭和*19*年7月に発行された『亜細亜』という雑誌の創刊号が初出だという。
となれば、発表当時は「英霊を讃え、日本精神を鼓舞する」という読みが成立していた筈なのだ。
あの瞬間の無念さも。あの瞬間の地団駄も。あの瞬間の。天皇陛下万歳も。すべてとほくにかすんで消え。日本の無数の将兵たちが。しづかにほほゑみ。歩いている。
イフラー・ニーマン(Vn)エリック・パーキン(P)アイアランド;Vnソナタ第2番(Lyrita)
エリック・グリューエンバーグ(Vn)ジョン・マッケイブ(P)バックス;Vnソナタ第2番(CHANDOS)
ジェラルディン・オグレイディ(Vn)チャールズ・リンチ(P)、モエラン;Vnソナタ(アイルランドEMI、LP)
近代英国のマイナーVnソナタ三連発。
作曲年代が近いせいか(順に1915〜1917、1915・1921改訂、1923)、3曲とも何となく良く似ている。
エネルギッシュな序奏と抒情的旋律がノタクタ続く主部を持つ第1楽章、民謡主題か民俗音階による緩徐楽章、陽気な終楽章。
中ではアイアランド(なぜ地名ならアイルランド、人名ならアイアランドなのだろう? 同じ綴字なのに)が良かった。緩徐楽章の主題はこれが一番魅力的だし、終楽章の構成感もまだはっきりしている方。
残念なことに独奏が一番下手。
バックスは重厚な書法で来ておいて、終楽章の最後になってズブズブにセンチメンタルなきれいなメロディを出す。初演の時には独立した「エピローグ」という楽章だったらしいが、やっぱりロマンティックな人だったのだと思わせる。
辻井淳(Vn)藤井由美(P)ヴァイオリン小品集Vol.1(イソダ)
別に京響の縁で身びいきするわけではないが、予想以上に美しい演奏だった。
やや細身ながら音が美しく、また重音の和音が良い。節回しにもちょっと古風な感覚があって面白い
例えば、冒頭のクライスラー;プニャーニのスタイルによる序奏とアレグロの序奏でルバート気味にリズムを崩していくのは、今時分珍しいといえよう。
収録曲の中では、ショパン(ミルシテイン編);夜想曲フィビヒ;詩曲といったゆっくりしたナンバーが、とりわけ良く、リムスキー・コルサコフ;熊蜂の飛行も速いだけでない味を出している。
ちゃんと比較したわけではないが、クライスラーのSP録音をかなり勉強しているのではないか、そんな気がした。
ヴィニャフスキ;スケルツォとタランテラを手近にあった諏訪内晶子盤と比べてみたが、諏訪内嬢がジュリアード育ちらしく、主部は豪快に中間部は粘っこく弾くのに対し、辻井氏はじっくりしたテンポで美しく弾こうとしている。
昨日は見つからなかったので書けなかったのだが、"In Tune"誌の1997年12月号の編集後記にこの録音が登場しており、それによれば「辻井さんは後で編集するというのがきらいで、一発収録したものをそのまま聞いてもらいたいのだそうです。」とのこと。
無傷の演奏ではないが、とても無編集とは思えなかった。
録音も自然な音場と音の伸びが快い。ヴァイオリンが好きな人にはお薦めしたい1枚である。

9月22日(火): 今日は、最後の夏休み(もうお彼岸なのに…(^^;)。
 ところが台風襲来! 家も傾ぐかと思うほどの強風!
 昼から大阪のCD屋に遠征して、それからフェスティバル・ホールに行く予定だったが、台風の通過を待ったために出立が遅れ、更にJRの一部運転休止で着くのが遅れたため、ホールに行く道すがら1軒覗くことができただけ。
 ホールでは佐々木CD三昧日記さんに遭遇、席もすぐ近くだった。
 帰りには雨も上がり、電車も順調。

 大阪フィルハーモニー交響楽団第321回定期演奏会(指揮:井上道義)@大阪フェスティバル・ホールを聴く。
 大フィルの定期は、たぶん昭和61年に朝比奈さんのブルックナーを聴いて以来、やっと2回目。フェスティバル・ホールに来ること自体、平成3年の東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ以来だろう。

台風のせいか、入りは6〜7分、遅刻者も目立つ。
もっとも斉諧生がチケットを手配したのは昨21日、それでも1階中央前から6列目というポジションが取れたから、売れ行き自体悪かったのかも。
さて、今日の曲目は
リスト;ハンガリー幻想曲
リスト;死の舞踏(以上P;フランス・クリダ)
ショスタコーヴィッチ;交響曲第15番
というもの。
何を狙って、こういうプログラムを組むのだろう?
クリダがリストを得意にしているにせよ、ショスタコーヴィッチ最後の交響曲の前に置くのはいかがなものか。同工異曲を2つ並べるのも…。
で、リストの2曲ではあえて睡魔に抵抗しないことにした(^^;。
すっかり貫禄のついたクリダが巨躯を揺すって登場。ブリリアントではあるが、やや単調な音色でケロケロ弾きまくる。
ハンガリー幻想曲は、どうもポプリのような構成感の薄い曲で、オーケストレーションも単純、目の前でピアノは鳴っているのに意識が薄らいでいく…
死の舞踏冒頭、「ディエス・イレ」がオーケストラに出るところでは井上ミッチーのエネルギッシュなアクションが目を引いたものの、ピアノの低音での提示は迫力不足、すぐ空疎なフレーズが続いたところで集中を断念。
アンコールはリストによるロッシーニのパラフレーズ。
メインのショスタコーヴィッチは、さすがに日本ショスタコーヴィッチ協会会長の棒で、見事な演奏となった。
第1楽章はとりわけ素晴らしく、ショスタコーヴィッチ特有の「醒めた狂騒」とでもいった曲想が十全に表現された。
お得意の百面相が客席からでも窺える大きく派手な指揮ぶり、それに応じてオーケストラもストラヴィンスキー;ペトルーシュカの第1幕を思わせる、「玩具箱をひっくり返したような」カーニヴァルぶり。
それでいて金管が時折見せる陰の濃さ、打楽器の無機的な表情を湛えた打ち込みが、醒めたサタイアを伝える。
第2楽章は、冒頭の金管の和音がもっと冷たい美しさを吹ければ良かったと思うが、続くチェロ独奏は思い入れたっぷりのエスプレッシーヴォ。
それに対してトロンボーン独奏は、破綻なく吹ききったものの、チェロとのバランスで言えば、もっと積極的な表現が欲しいところ。また終結近くのコントラバス独奏は、ちょっと音程が悪すぎ。
うーん、もうちょっと感動が欲しかったなぁ…。
アタッカで続く短い第3楽章では剽げた味わい。
第4楽章も、第2楽章同様、悪くはないのだが、もう一つ感動につながる表現が出ない。
ただ、チェレスタが出るあたりから終結にかけて、弦合奏も美しく、その和音に種々の打楽器の音色が乗っていく音彩の美しさと、笑いながら泣いているような不思議な感覚は、素晴らしかった。この辺は実演ならでは。
客席の反応も割と良く、指揮者の「台風の中、ありがとうございました!」でお開き。

 家にいる間にMusic BoulevardからCDが届いた。

イェラン・ニルソン(指揮)エレブロ室内管、ヒナステラ;弦楽のための協奏曲ほか(Bluebell)
15日の項に書いたヒナステラの傑作、某BBSでお薦めいただいた演奏をオーダーしたもの。
そのほかガーシュウィン、バーバー、ヴィラ・ロボス、アイヴズを収録。北欧のアンサンブルによるアメリカ音楽という変わったCDである。
リチャード・ヒコックス(指揮)シティ・オヴ・ロンドン・シンフォニア、ハウェルズ;弦楽合奏のための協奏曲ほか(CHANDOS)
最近集めている英国音楽シリーズ。
ハウェルズはレクイエム等の声楽曲が有名だが、イギリス作曲界の伝統(?)弦楽合奏曲を集めたディスクをオーダー。
「弦楽合奏〜」はエルガーの追憶に捧げられた曲とか。
その他「エレジー」「弦楽オーケストラのための組曲」「弦楽セレナード」を収録。
アカデミー室内アンサンブルほか、バックス;Fl・Ob・Hpと弦楽四重奏のための協奏曲ほか(CHANDOS)
これも最近集めている英国音楽シリーズ。
13日の項に書いた、「哀愁のセレナード」他が良かったので、もう少しバックスの室内楽が聴きたいとオーダーしたもの。
エサ・ペッカ・サロネン(指揮)スウェーデン放送響、ニールセン;交響曲第4番ほか(CBS)
ここからは大阪で買ったディスク。
サロネンのCBSデビューに当たるニールセン。「不滅」と訳されることが多いが、「消し難きもの」くらいが原題のニュアンスに近いとか。
中古格安につき購入。サロネンのニールセンは3枚目、少しづつ全集を揃えていくことになるだろう…。
ヤン・フォーグラー(Vc)ブルーノ・カニーノ(P)ベートーヴェン;Vcソナタ第1・2番ほか(BERLIN CLASSICS)
ヤン・フォーグラー(Vc)ブルーノ・カニーノ(P)ベートーヴェン;Vcソナタ第3番・変奏曲集ほか(BERLIN CLASSICS)
ヤン・フォーグラー(Vc)ブルーノ・カニーノ(P)ベートーヴェン;Vcソナタ第4・5番ほか(BERLIN CLASSICS)
ヤン・フォーグラー(Vc)ブルーノ・カニーノ(P)ブラームス;Vcソナタ第2番&ドビュッシー;Vcソナタほか(BERLIN CLASSICS)
20日に聴いたアルペジオーネ・ソナタが佳かったフォーグラーをまとめ買い。
ベートーヴェンのディスクはすべてシューマンのVc曲がフィルアップされており、これでベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスのチェロ曲が揃ったことになる。
辻井淳(Vn)藤井由美(P)ヴァイオリン小品集Vol.1(イソダ)
数年前まで京響のコンサートマスターを勤めていた辻井さんの自主製作盤が出たことは知っていたが、店頭で見たのは初めて、迷わず購入。
「タイスの瞑想曲」、「序奏とロンド・カプリチオーソ」ほかヴァイオリンの有名小品満載。
余談だが、京響というところはどうも阪神タイガースに似ていて(^^;、監督が突然解任されたり、スタープレーヤーがどうも円満ならざる退団をする。たしか辻井さんも突然の退団だったし、チェロの首席の柳田さんも同様。
鈴木雅明(指揮)バッハ・コレギウム・ジャパン、バッハ;カンタータ全集Vol.8(BIS)
出れば買うBCJのバッハ。
とはいえ全然聴けてないのが恥ずかしい(^^;;;

 今日の演奏会を演奏会出没表に追加する。


9月20日(日): 

 

オットー・クレンペラー(指揮)バイエルン放送響、ベートーヴェン;交響曲第4番(EMI)
せっかく輸入盤で早く買ったのに、聴かないまま国内盤が出て、その上に『レコ芸』に月評まで出てしまうのは情けない。(^^;;;
小石氏宇野*尊師*も絶讃の「特選盤」だが、期待に違わず、クレンペラー独特の雄大なスケールを誇る名演である。
テンポは遅いが粘った感じ・もたれた感じから無縁なのが彼の音楽の特長で、第1楽章で主部に入ってもテンポは上がらず、誠に堂々とした進軍、なかんずく132小節以降のズッシリしたフォルテは聴き応え十分。
全盛期のバイエルン放送響の木管連中のソロも見事、録音の加減か少し引っ込み傾向なのがもったいない(クレンペラーは徹頭徹尾木管を重視したから実際のバランスはこんなものではなかったはずだ)。
クレンペラーの、そしてバイエルン放送響お得意のヴァイオリン対向配置も威力を発揮、とりわけ245小節以下での第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンのずらし効果が目覚ましい。
第2楽章、主題のカンタービレが美しく、9小節では休符をはっきり取ったリズムが素晴らしい。
遅めのテンポから更にリタルダンドして出る第2主題を吹くクラリネットは、侘び寂びすら感じさせる。
40小節では、やはり休符を効かせたリズムが巨大だが、最後のティンパニの一打ちが見事な締め。
進むに従い、音楽はどんどん立派に、そして美しくなってゆき、もはや斉諧生如きの筆の及ぶところではない。89・90小節のホルンの美しさ、終結2小節間の誠に充実した響きを特筆するに留まる。
第3楽章、この堂々たるテンポはとてもスケルツォとは言えないが(^^;、ずっしりした音楽は誠に素晴らしい。
ここでもヴァイオリンの対向配置がものを言っており、13〜16・24〜51小節での弦の各パート間のずれの効果など、その好例である。
リタルダンドして入るトリオでは、ヴァイオリンのスフォルツァンドの鮮やかなこと! 遅いテンポから生まれる、装飾音がくっきりする効果も面白い(271小節など)。
第4楽章もゆっくりしたテンポによって、刻みが実に迫力を持つ。熱狂はないが、最高の充実である。
展開部の終わり(165〜180小節)のズッシリした響き! コーダに入って282小節で内声がクレッシェンドする効果! 大詰め302小節以降、強拍をしっかり奏させる迫力! そして最後のページでディミュニエンドするファゴットの味わい!
いやぁ、堪能した。テンポが遅い上に提示部を繰り返すので、40分以上を要する演奏だが、ちっとも長いとは感じない。
ただ、第1楽章と第3楽章の冒頭で、落っこちている奏者がいた(^^)のは残念。
ところで、この輸入盤の録音データ欄には1969年5月30日とあり、ライナーノート本文でもそう書かれているが、『レコ芸』では月評と巻末データ欄とも1965年としている。輸入盤の間違いを国内盤で訂正したのか、あるいは逆か、それとも『レコ芸』のミスか、疑問を提起しておきたい。
マリス・ヤンソンス(指揮)ロンドン・フィル、ショスタコーヴィッチ;交響曲第15番(EMI)
ヤンソンスのショスタコーヴィッチ、オーケストラが次々に変わる事情がよく判らないが、ロンドン・フィルは前にハイティンクで全集を完成したこともあり、出来映えを期待したいところ。
第1楽章、冒頭のフルート独奏は屈託がない。全合奏がフォルティッシモに盛り上がっても、どこかスポーティな感じがするし、225小節以降の大太鼓も、その響きに不吉の翳りはない。245小節以降のヴァイオリン独奏にも切迫感やアイロニーはない。
あれれ、無感動の演奏なのかなと首をひねった。
第2楽章に入って気がついた。この演奏を支配しているのは、「落ち着いた哀しみ」なのだ。
冒頭のチェロ独奏も激情はないが静かな哀しみを湛えている。有名なトロンボーン独奏(142小節以降)も淡々としたもの。180小節以降のフォルティッシモも、慟哭ではなく、壮麗な響きを築く。
208小節以降の弦の響きにも「落ち着いた哀しみ」を聴き取ることは容易だろう。
第3楽章でもクラリネットの表情に誇張は無く、それでいて効果的なスケルツォ。
第4楽章でも「落ち着いた哀しみ」が支配し、17小節以降や294小節以降のヴァイオリンは透明な悲しみを歌う。
232小節の小太鼓のフォルティッシモの痛切な響きは、ヤンソンスがしっかりと心に感じていることを証明するものだ。
そして、緊張に満ちた終結。
なるほど、この曲にはこういうアプローチもあったのかと、あらためてヤンソンスの芸術性に感心した。オーケストラを鳴らしまくるのだけが彼の音楽ではないのだ。
なお、録音が、最近のEMI特有の遠目の音像で、これは斉諧生の好みから外れる。
エフレム・クルツ(指揮)フィルハーモニア管、ショスタコーヴィッチ;バレエ組曲「黄金時代」(TESTAMENT)
ロバート・アーヴィング(指揮)フィルハーモニア管、ショスタコーヴィッチ;バレエ組曲「黄金時代」(米CAPITOL、LP)
クルツ盤は序曲と第4曲「舞踏」の快速テンポが最高。特に第4曲は、これでこそショスタコーヴィッチ
文字通り「黄金時代」にあったフィルハーモニア管も(1956年録音)、冴えたソロを聴かせる。ソプラノ・サキソフォンが少し弱いのと、速い曲で縦の線が乱れるのが残念。
アーヴィング盤はゆったりしたテンポ、どことなくストラヴィンスキー;「ペトルーシュカ」を連想させる。
特に第2曲「アダージョ」の各ソロが素晴らしく、ソプラノ・サキソフォンは安定しているし(たぶんクルツ盤とは別人)、ヴァイオリンも「憧れ心」さえ感じさせる見事なもの。
どちらの演奏でも楽しく聴けたのだが、困ったのは第2曲「アダージョ」、工藤さん解説にあるような「妖艶さと頽廃したフェロモンをまき散らす」音楽には聴こえないのだ… ノスタルジックな懐かしい美しさが聴こえてくる…
トーマス・イェンセン(指揮)デンマーク放送響、シベリウス;「カレリア」組曲(英DECCA、LP)
ハンス・ロスバウト(指揮)ベルリン・フィル、シベリウス;「カレリア」組曲(DGG)
タウノ・ハンニカイネン(指揮)シンフォニア・オヴ・ロンドン、シベリウス;「カレリア」組曲(EMI)
イェンセンは前に聴いたニールセンが良かったので、シベリウスとの相性も期待できよう。
「間奏曲」冒頭の弦のざわめきも雰囲気十分、跳ねるようなトランペットのリズムが面白い。
「バラード」の主題はマルカート気味に弾かせるが、ちょっとフレージングの息が短くなりすぎる気がする。変奏に入って合いの手を出すヴァイオリンのピツィカートを強めに奏してくっきり活かすのが効果的。「行進曲風に」でも歯切れの良いフレージングが特徴的。
この人のシベリウスには、独特の晴れやかさがある。憂愁より晴朗を感じさせ、北欧の澄み切った青空を連想する。交響曲の録音が残っているのなら、聴いてみたいものだ。
ロスバウト盤は、ドイツの指揮者らしく弦の刻みがくっきりしている。強拍をおろそかにすることがないのだ。
各パートをくっきり弾かせるので、雰囲気には乏しいが、聴いていて面白い。
圧巻は「行進曲風に」で、念を押すようなゆっくりしたテンポで克明に弾かせていく。後半、どんどん音楽が立体的になってゆき、堂々たる感動的な盛り上がりで終結。いや、やはり凄い指揮者だ。
ハンニカイネン盤は「間奏曲」主部の速いテンポに驚かされたが、なんといっても模範的なシベリウス演奏。弦合奏の内声が立体的。
トーマス・イェンセン(指揮)デンマーク放送響、シベリウス;「トゥオネラの白鳥」(英DECCA、LP)
弦合奏の硬質な明るさが良いが、イングリッシュ・ホルンは音が変に震えているし、表現も弱く、楽器の音以上のものを表現できていない。残念。
デジレ・エミール・アンゲルブレシュト(指揮)イルマ・コラッシ(Sop)ほか、ベルリオーズ;序曲「ベンヴェヌート・チェッリーニ」&ラヴェル;歌曲集「シェヘラザード」(仏CDC-INA、LP)
ベルリオーズは1960年、アンゲルブレシュト80歳の録音だが、金管のバリバリした響き個性的な木管の音色、勢いのあるリズム、ベルリオーズにふさわしい音楽の白熱、いずれも素晴らしい。ミュンシュのライヴ盤(ディスク・モンテーニュ)よりも激しい音楽ではないか。
1956年録音のラヴェルは初めて聴く曲で、オンマイクの独唱は生々しすぎるほどだが、第1曲のオーボエとヴァイオリン、第2曲のフルート、素晴らしいソロを聴かせる。
両曲とも録音の鮮度は十分、良い音楽を堪能できた。
アイリーン・ジョイス(P)レスリー・ハワード(指揮)ハレ管、ショスタコーヴィッチ;P協第1番(DUTTON)
ラインホルト・フリートリッヒ(Trp)トーマス・デュイス(P)ルッツ・ケーラー(指揮)、ショスタコーヴィッチ;P協第1番(CAPRICCIO)
ミハイル・ルディ(P)オーレ・エドヴァルド・アントンセン(Trp)マリス・ヤンソンス(指揮)、ショスタコーヴィッチ;P協第1番(EMI)
今日はショスタコーヴィッチをたくさん聴いた。
ジョイス盤は、この曲の初録音ではなかったか。第1楽章はかなり速いテンポだが、ピアノのタッチは柔らかい。硬めに飛ばす弦合奏と好対照だが、ちょっと物足りない。切迫感もなく、ケロケロ弾いていく感じ。
第2・第3楽章は抒情味が好ましいが、終楽章はやはり大人しすぎる。
トランペットは少し弱く、1楽章最後の低音や2楽章のソロは危なっかしい。
昨日買ってきたフリートリッヒ盤。トランペット奏者で呼ぶのも変だが、彼をフィーちゃーしたアルバムには違いない。もっとも、録音のバランスは自然なもので、弦合奏の後方に位置し、クローズアップされることもない。
ピアノに個性味はないものの、十分満足できる。終楽章のスポーティなまでの快速テンポも良い。弦合奏も内声の刻みを活かして活発な表現を見せ、2楽章終わりのチェロの表情も素晴らしい。
メインの(?)トランペットはさすがに上手く、ドイツ風の渋い音が美しい。細かい音型でも流さない正確な吹奏、1楽章最後の低音も美しいし、2楽章の弱音器付きの長いソロでも見事なコントロールで素晴らしい音色。
ルディ盤アントンセンの吹奏をチェック。フリートリッヒとどちらに軍配が?
まずベルリン・フィルの弦合奏のズッシリ感が凄い。さすが。
ピアノも美音、神経の行き届いた演奏である。
で、アントンセンだが、録音バランスが強めで得をしている面もあるが、やはり上手い。1楽章最後の弱音も余裕が感じられるし、2楽章のソロも万全の美しさ。今日の3盤の中ではやはり第1に指を屈すべきであろう。
とはいえ、どちらの盤もピアノがあっさりしすぎのように感じる。時代の趣味なのか。
加藤元章(Fl)十束尚宏(指揮)東京フィル、尾高尚忠;Fl協(LIVENOTES)
これほど日本人の「笛」に寄せる気持ちにピッタリ来る曲はないのではなかろうか。ぜひ御一聴をお薦めしたい
そういえば、初演の吉田雅夫盤がCD化された(KING)。今度買ってみよう。
ピエール・フルニエ(Vc)ヴィルヘルム・ケンプ(P)ベートーヴェン;Vcソナタ第1番(DGG)
第1楽章、序奏の自然な流れが心地よい。ケンプの音からもフルニエの音からも、「暖かさ」が伝わってくる。
何より、チェロとピアノのバランスが最高。時に表へ出、時に裏に回る、その呼吸が実に見事。
音楽も中庸を得て、強烈な個性味はないが、ケチの付けようもない立派なもの。
ただ、ケンプのフォルテが潰れた感じで音が抜けきらないのと、フルニエの低音がコントロールされないボンボンした響きになるのが耳障り。これは録音ないしCD化の際の問題かもしれないが…。
ナサニエル・ローゼン(Vc)橋本京子(P)シューベルト;アルペジオーネ・ソナタ(LIVENOTES)
ヤン・フォーグラー(Vc)ブルーノ・カニーノ(P)シューベルト;アルペジオーネ・ソナタ(BERLIN CLASSICS)
ローゼン盤はチェリスト来日時のスタジオ録音だが、ライヴ的な感覚を大切にしたのか、演奏上の傷もあるがノリの良い、「歌」に満ちた演奏
第3楽章のゆったりしたテンポが印象的。
使用楽器が現代日本製のためか、ちょっとしゃがれた音しか聴けないのは残念。
「ベーレンライター原典版」(全音)を参照しながら聴いていたのだが、ローゼンが使用した演奏譜は全く違うもののようで、第3楽章ではカットも多かった。
フォーグラー盤は、そのベーレンライター版に準拠しているようで、細部の表情もよく一致する。
特にアクセント記号を活かして、力強い音楽を奏でてゆく。第1楽章では57・58小節が好例。
第3楽章でも早めのテンポでアクセントを効かし、まさしくアレグレット。259小節からそこはかとなくテンポを落とすのも美しい。
こちらはストラディヴァリの銘器を使用、音も美しく音程も正確。このチェリストは気に入った。バッハやベートーヴェンの録音もあるようなので、ぜひ聴いてみたい。
アルト・ノラス(Vc)タパニ・ヴァルスタ(Org)ヒナステラ(フルニエ編);「悲しみ」(5つのアルゼンチン民謡作品10の2)(FINLANDIA)
某BBSで話題のヒナステラ。前から架蔵している"Masterpieces for Cello"というアンソロジーに収録されている演奏だが、AYAさんに教えて貰うまで気がついていなかった。(^^;
オルガンの神秘的な序奏が印象的、チェロのレシタティーヴォも渋くて多彩な音色を聴かせる。
主部に入って出る主題は、アルゼンチン民謡とはいうものの日本の追分節あたりを連想させる懐かしい、切々たる歌ふし
ノラスが大きなヴィブラートを効かせながら、あるいは高くあるいは低く、主題を変奏していく。
3分強の小品ながら、なかなかの佳曲。嬉しい出会いである。
長谷川陽子(Vc)ダリア・ホヴァラ(P)ヒナステラ;パンペアーナ第2番(VICTOR)
これも某BBSで話題のヒナステラ。"スペインのバラ"というアルバムに収録されている演奏だが、AYAさんに教えて貰うまで忘れていた。長谷川陽子さんのCDだから、発売後すぐ買って、聴いているのに…(^^;;;
チェロの雄壮なプロローグから長谷川さんの雄大な表現に魅了される。彼女のチェロには、いわゆる「女性的」なところがちっともないのだ。
これは9分強の曲だが、音楽のスケールはそれ以上に大きい。名品といえよう。

9月19日(土): 

 昨日から始まった京都・十字屋三条店のバーゲンに、開店から乗り込む。(^^)
 そのあと、主だったところを一回り。ちょっと値の張るLPを買ってしまった。
 家に帰ると、通販業者からLPが届いた。

ガリー・ベルティーニ(指揮)ケルン放送響、マーラー;交響曲第6番(EMI&DHM)
この全集も中古で揃える感じになってきている。(^^;
2枚組なのは仕方ないとして、なぜか紙箱に1枚用のケースが2個入っているという構造。
それはそうと、ドイツ・ハルモニア・ムンディ原盤とは知らなかった。今ではBMG傘下のレーベルだが、ベルティーニ盤の版権はどうなっているのだろう?
サイモン・ラトル(指揮)バーミンガム市響、ストラヴィンスキー;「春の祭典」・「ミューズを導くアポロ」(EMI)
ラトルの録音は見落とせないと思っているが、多作の人なので、すぐ揃えるというわけにもいかず、中古格安で見つけたチャンスに購入。
またサロネンと聴き比べでもしようかな。
トーマス・ツェートマイヤー(Vn)クリストフ・エッシェンバッハ(指揮)フィルハーモニア管、シューマン;Vn協・幻想曲(TELDEC)
あまり演奏されないVn協と、もっと演奏されない幻想曲のディスクなので、中古格安を見つけたチャンスに購入。
エッシェンバッハもシューマンの録音が多く、思い入れもある様子なので、指揮にも期待したい。
ヨーゼフ・シゲティ(Vn)ハーバート・メンゲス(指揮)ほか、プロコフィエフ;Vn協第1番(Ph)
珍しく国内盤だが、Philipsの24bitリマスタリングがミッド・プライスで復活したので飛びついた。
この曲はシゲティが世に出したといっていい。SP期にもビーチャムと録音しているし、セル&ニューヨーク・フィルとのライヴ盤もあるが、このステレオ盤が、一種、記念碑的な録音である(少々ヒビは入っているが(^^;)。
アルトゥール・バルサム(P)とのプロコフィエフ;Vnソナタ第1・2番とのカプリング。
ヤシャ・ハイフェッツ(Vn)マルコム・サージェント(指揮)ベンノ・モイセイヴィッチほか、エルガー;Vn協&ベートーヴェン;Vnソナタ第9番ほか(BMG)
ヤシャ・ハイフェッツ(Vn)マルコム・サージェント(指揮)ほか、モーツァルト;Vn協第4番ほか(BMG)
ハイフェッツ・エディションの未架蔵盤2種を中古格安で見つけたので購入。
エルガーは1949年録音ながら、独奏に関しては今なお冠絶すると評される録音。
モイセイヴィッチとの「クロイツェル」は、前にEMIのリファレンス・シリーズでも出ていたが、数多あるこの曲の録音の中でも最右翼。ピアノも聴きもの。
モーツァルトの盤では、グレゴル・ピアティゴルスキーと共演したヴィヴァルディやヘンデルがフィルアップされているのが聴きものだろう。
ラインホルト・フリートリッヒ(Trp)トーマス・デュイス(P)ルッツ・ケーラーほか、ショスタコーヴィッチ;P協第1番ほか(CAPRICCIO)
トランペット奏者がメインのCDにピアノ協奏曲が入っているのも珍な風景だ。(^^)
ピアノのデュイスは未知の人だが、フリートリッヒはフランクフルト放送響の首席、前にハイドンほかのCDを聴いている。
ショスタコーヴィッチの1番は集めている曲だし、ワゴン・セールの格安品だったので購入。
ジャン・ユボー(P)ヴィア・ノヴァ四重奏団ほか、フォーレ;P五重奏曲・P四重奏曲・弦楽四重奏曲・P三重奏曲(ERATO)
ジャン・フィリップ・コラール(P)パレナン四重奏団ほか、フォーレ;P五重奏曲・P四重奏曲・弦楽四重奏曲(EMI)
Vnソナタ以外にフォーレの室内楽を味わってみようと思い立って購入(そろそろそういう年齢かも)。
両盤とも、LP期から「フォーレ室内楽曲全集」の双璧として著名だった演奏。今日のバーゲンで両方見かけたので、どうせどっちも聴きたくなるに違いないと思う。
前者は1969〜70年の録音で3枚組、後者は1975〜78年の録音で2枚組。
それはそうと、CD時代になってから、大手レーベルから「フォーレ室内楽曲全集」は出ていないのではないか? 流行らない音楽なのか。
ジュリアン・ロイド・ウェッバー(Vc)ベングト・フォルスベリ(P)ディーリアス;Vcソナタ&グリーグ;Vcソナタほか(Philips)
英国音楽シリーズの一環、これはレギュラー・プライスで購入。
ディーリアスは管弦楽曲とVnソナタは良く聴くが、Vcソナタはほとんど聴いたことがなく、一度試してみようと購入。
ソナタは10数分の短いものだが、その他のチェロ・ピースも入っているし、彼と親交厚かったグリーグとのカプリングもセンスが良い。
高名なロイド・ウェッバーだが、CDを買うのはこれが初めて。どんなチェリストか、興味津々、期待したいものである。
デジレ・エミール・アンゲルブレシュト(指揮)イルマ・コラッシ(Sop)ほか、ベルリオーズ;序曲「ベンヴェヌート・チェッリーニ」&ラヴェル;歌曲集「シェヘラザード」ほか(仏CDC-INA、LP)
CD屋廻りの最後に"La Voce"さんに行ったら、これが入ったばかりだった。
ちょっと身分不相応な価格だったが、アンゲルブレシュトの未知の録音となれば、買わざるべからず。
御主人永井さんのお話では、このLP、後にディスク・モンターニュとなるレーベルとのこと。
CD期にはアンゲルブレシュトのドビュッシーを出してくれたが、これはCD化されていない。
なお、アンゲルブレシュトの演奏は片面だけ。もう片面はロジェ・デゾルミエールの指揮で、ミヨー;「屋根の上の牡牛」ブーレーズ;「水の太陽」
ロバート・アーヴィング(指揮)フィルハーモニア管、ショスタコーヴィッチ;バレエ組曲「黄金時代」ほか(米Capitol、LP)
この曲については、中古音盤堂奥座敷同人、工藤さんが詳細な解説と聴き比べをアップしておられるが(しかも御自身がコンサートマスターとして演奏された)、その中で非常に高く評価しておられた演奏。
CD化されているのだが、どうにも入手できず、オリジナルのLPを通販業者のカタログに見つけて購入したもの。
カプリングはバルトーク:組曲「不思議な中国の役人」

 上記のアンゲルブレシュトの情報を指揮列伝名匠列伝中アンゲルブレシュトディスコグラフィに追加。


9月16日(水): 

 

パーヴォ・ベルグルンド(指揮)ロンドン・フィル、チャイコフスキー;交響曲第4番・序曲「1812年」(CLASSIC FM)
いかんですなぁ、こういう「おっ、珍しい」だけでCDを買っては。(^^;
シベリウスの新全集で進境著しいところを発揮したベルグルンド、今年2月の録音になるチャイコフスキーの出来映えは如何に?
ピエール・フルニエ(Vc)ヴィルヘルム・ケンプ(P)ベートーヴェン;Vcソナタ全集(DGG)
何を今更の定盤だが、実はLP期にも買った・聴いたことがない。(^^;
昨日聴いたVcソナタ第1番が思いの外、気に入ったので、何か別な録音を買おうと考えたときに思い出したのが、前に長谷川陽子さんが御自分の公式ページに書き込んでおられた、
「フルニエは最近になって、ようやく「すごさ」がわかってきたチェリストです。誰がなんといおうと私は彼がケンプと弾いたベートーヴェンが好き。」
という一文。(→こちらを御覧ください。ページの一番下の方に出てくると思います。)
確かに「フルニエのベートーヴェンならグルダとの録音をとるべし」との説も強力だが、ここは陽子さんのお声に従わん。
1965年、サル・プレイエルでのライヴ録音。
ネヴィル・マリナー(指揮)ASMF団員ほか、ブリテン;「カーリュー・リバー」(Ph)
これも昨日聴いたブリテンの後期作品が良かったので、後期の代表作とされるオペラを聴いてみようと購入。
作曲者自演盤という超強力な決定盤があって(DECCA)、永らく競合盤が出もしなかった(録音皆無というわけではないが)。
自演盤をCDで買い直すことも考えたが、ここはひとつ、製作者(やはりエリック・スミスだ)・演奏者の挑戦意欲を買って、新録音を選んでみた。
なお、有名な話だが、このオペラ、ブリテンが来日時に観能した「隅田川」に感銘を受け、教会劇のスタイルに翻案したもの。
能は茫々たる空虚に消え去るが、オペラは救済で完結する。東西の精神、かくの如く隔てり。

9月15日(祝): 

 

ディミトリ・ミトロプーロス(指揮)ベルリン・フィル、メンデルスゾーン;交響曲第3番&ドビュッシー;交響詩「海」(Orfeo)
1960年、ザルツブルグ音楽祭ライヴ。
メンデルスゾーンは、とにかく速い! 第1楽章の提示部を反復しないせいもあるが、全曲で33分半。マーク(ARTS盤、反復なし)と比較すれば、
第1楽章11'42(14'07)、第2楽章3'47(4'32)、第3楽章9'47(10'17)、第4楽章8'15(10'45)となる(カッコ内がマーク盤)。
基本テンポが速いだけでなく、普通の指揮者ならテンポを緩めるところで、全然落とさないのだから驚く。
第1楽章483小節のassai animatoからは猛然とアッチェランドを始めるし、第4楽章のコーダはmaestoso指定も何のそのの、快速テンポ。
第2楽章はなおさらで、冒頭のクラリネット・ソロに聴き惚れている間もなく(ライスターかな?)、猛スピードで飛ばして行く。弦も木管も必死で縦を揃えてついていこうという感じ。
強弱指定に敏感に反応するのも全曲を通じての特徴で、とりわけ第4楽章の69・70、77・78小節等でヴァイオリンに付けられた<f>の活かし方は耳を抉る。
ドビュッシーは、聴いてびっくり、という演奏。
木管・金管の音型が良く聴こえるとか、弦の和音があまり響かないとか、そうした個別の操作の問題を超えて、バランス、響きが、とにかく違うのである。
これまでモントゥーやアンゲルブレシュトらフランス勢の演奏に慣れてきた斉諧生の耳には、異形の音楽に聴こえる。
流れることを拒否する演奏、とでも言えるだろうか。
ミトロプーロスの音楽は、単に「ザッハリッヒ」とかでは片づけることはできないと思う。残っている録音は少ないが、突き止めてみたい気がする。
両曲を通じて、オーケストラの緊張感にはただならぬものがあった。その意味でも、聴き応えのあるディスクだ。
録音が、モノラルはやむを得ないとしても、少しクオリティが落ちるのは残念。
ピエール・モントゥー(指揮)ボストン響、ドビュッシー;交響詩「海」(BMG)
ミトロプーロス盤を聴いてびっくり、比較対照のため、聴いてみたもの。
ユーリ・トゥロフスキー(指揮)イ・ムジチ・ド・モントリオール、ヒナステラ;弦楽のための協奏曲(CHANDOS)
本日、随一の収穫
「南米のバルトーク」の異名に違わず、バルトーク;ディヴェルティメントを想起させる音楽。
第1楽章は四分音を使用したヴァイオリン独奏が、チェロ・ヴァイオリン・ヴィオラ・コントラバスの独奏へ変奏されていく。コントラバスのカデンツァ、聴きものですよ。(^^)
トゥッティの突っ込みも迫力十分。
第2楽章は特殊奏法満載で、その効果が誠に鮮やか。ピツィカート・グリッサンド、スル・ポンティチェロ、コル・レーニョ…。全曲の白眉といえよう。
第3楽章の熱いエレジー。
第4楽章冒頭のバルトーク・ピツィカートは鳥肌もの! 基本的には伝統的な書法であるが、変拍子を混じえながら追い込んでいく迫力には圧倒される。
オスカル・タラゴ(P)エンリケ・バティス(指揮)メキシコ・シティ・フィル、ヒナステラ;P協(ASV)
ヒナステラ第2弾。
両端楽章のあるいは暴力的なまでの迫力・運動性と、第2・第3楽章の繊細な夜の音楽の対比が鮮やか。
ただ、弦楽のための協奏曲に比べると、ちょっと結晶度不足かもしれない。
ポール・トルトゥリエ(Vc)エリック・ハイドシェック(P)ベートーヴェン;Vcソナタ第1番(EMI)
某BBSで話題になっている曲を、少し聴き比べてみる。架蔵品の中から、現代楽器による演奏を抜き出してみた。
さすがにハイドシェックで、ピアノの表現力は、これが随一。もちろん、トルトゥリエも負けじとスケールの大きな演奏を聴かせる。
ところがCD化に問題があるのか、チェロの音に芯のない感じがして、もひとつ感動につながらない。
また、この時期のトルトゥリエの欠点である、高音での音程の甘さも気になる。第2楽章の終結では、それがまともに出てしまった。
ミクロシュ・ペレーニ(Vc)デジュー・ラーンキ(P)ベートーヴェン;Vcソナタ第1番(HUNGAROTON)
初期作品(作品番号5)であることを考慮したのか、大風呂敷を広げない、まとまりの良い演奏。ペレーニの演奏も模範的。
1970年代終わり頃の録音で、当時人気絶頂だったラーンキの音も円やかな美しいもの。
これもCD化に問題があるのか、音に伸びが無く、チェロとピアノが混濁気味で残念。
アルト・ノラス(Vc)ブルーノ・リグット(P)ベートーヴェン;Vcソナタ第1番(FINLANDIA)
ノラスの独奏が最高に素晴らしい。
序奏から伸びやかに朗々と歌い、アレグロに入ってからは、誠に英雄的な音楽である。作品5であろうが何だろうが、これがベートーヴェンだ! という演奏である。
聴いていて、本当にワクワクしてしまう。何て素晴らしい音楽なのだろうと思わせてくれる、最高の独奏だ。
もちろんノラスの男性的な音も、いつもどおり。現役チェリストの最高峰だと思う(ヨーヨ・マは、ちょっと特殊な音だ)。
リグットも良くやっているのだが、伴奏という意識からか控えめになっているのが物足りない。
そもそもこの曲はどっちが主役かわからないところがあって、第1楽章第1主題はピアノが出すくらいなのである。チェロに負けず、自己主張してほしかった。
ラファエル・ウォルフィッシュ(Vc)スチュアート・ベッドフォード(指揮)イギリス室内管、ブリテン;チェロ交響曲(CHANDOS)
最近、中古音盤堂奥座敷MLでイギリス音楽談義が盛り上がっているので、ブリテンの作品を少しまとめ聴き。
1984年録音の旧蔵盤である。
第1楽章は、ショスタコーヴィッチを思わせる悲劇性が素晴らしい。力のこもった独奏チェロ、ティンパニの炸裂。
目まぐるしい第2楽章。エレジアックな第3楽章ではティンパニの轟きが意味深い。
終楽章はブリテンが好んだパッサカリア楽章だが、屈折した響きがやはりショスタコーヴィッチを想起させる。ただ、イギリスの作曲家に多い、いろんなムードを持ち込みすぎて音楽の性格が曖昧になる弊を免れていないと思う。楽章終結の盛り上がりも唐突に感じる。
アマデウス四重奏団、ブリテン;弦楽四重奏曲第3番(英DECCA、LP)
第1楽章は半音階的な音の動きが漂う、前衛風の響き。何とも謎めいた…
第3楽章では、第1ヴァイオリンが、高音域で苦しげに悲痛なカンティレーナを奏でる。
終楽章は、やはりパッサカリアだが、パッサカリア主題が、ほとんど変形されないままチェロが反復し続けるのが、不気味である。ショスタコーヴィッチ;弦楽四重奏曲第8番あたりを思い出すのだが、どうだろうか。
ティム・ヒュー(Vc)ブリテン;無伴奏Vc組曲(hyperion)
これも深い音楽である。歌謡主題なども聴き取れるのだが、バッハの曲を思わせる、音楽宇宙を蔵した曲だと思う。
どうもブリテンの晩年の音楽は、ショスタコーヴィッチにも似て、一筋縄では捉えきれない底深さを持つ。まだまだ、聴かねばならないものは多い。
今井信子(Va)ローランド・ペンティネン(P)ブリッジ(ブリテン編);「小川のほとりに柳の木が斜めに立ち」(BIS)
シェークスピア;「ハムレット」の有名な場面「オフェリアの川流れ」を音化した、室内管のための交響詩を、ブリッジの弟子ブリテンが編曲したもの。
レクイエム風のメランコリックな音楽。中間部ではオフェリアの回想であろうか、少しテンポを速め、明るさと悲しみが綯い混じった曲想となる。
原曲も聴いてみたい。

9月13日(日): 昨日買ってきた鈴木晶『踊る世紀』@新書館を読了。11日の項に書いた『ニジンスキー 神の道化』の前編に当たる。
 1909年5月18日、パリ・シャトレ座でのディアギレフのロシア・バレエ団の初日を焦点として、ロシアのバレエ史、西欧のエキゾティスムの系譜等をたどりながら、初期のロシア・バレエ団を物語ったもの。
 両著とも読み易さと読み応えが両立させた好著である。お薦めしたい。

 上記著書の影響もあって、ストラヴィンスキー;「兵士の物語」を聴き比べ。

イーゴリ・マルケヴィッチ(指揮)アンサンブル、ストラヴィンスキー;「兵士の物語」(Philips)
岩城宏之(指揮)アンサンブル、ストラヴィンスキー;「兵士の物語」(日本語版)(KING)
シュロモ・ミンツ(Vn、指揮)アンサンブル、ストラヴィンスキー;「兵士の物語」(AUDIVIS)
この3つ、いずれも少しづつ版が違う。
マルケヴィッチ盤は、語り手を担当したジャン・コクトーがラミュズの脚本をかなり改編し、舞台なしでもストーリーが楽しめるように、語り手のパートを大幅に増やし、原作ではマイム役の王女にも科白を付けたりしている。
岩城盤観世栄夫が脚色、語り手と兵士、王女役を一人でこなし、観世寿夫が悪魔役を語っている。マルケヴィッチ盤のライナーノートの対訳を見ながら聴いていると、コクトーの改編を下敷きにしていることがわかるが、悪魔の本のおかげで大富豪になった兵士の「すべてを所有することの空虚さ」を強調するなど、かなり自由な脚色を施し、ある意味ではわかりやすくなっている。
ミンツ盤は、シャンゼリゼ劇場での上演をもとにした録音で、原作どおりと思われる。ジェラール・ドパルデューが悪魔、息子ギョームが兵士役。
聴いて面白いのは岩城盤。とにかく日本語だから、話が良くわかる。対訳を見ながら聴くのとは大違い。オペラの日本語歌唱とは異なり、語りは訳詞になっても違和感は全くないのだ。
観世兄弟の語りは、別に能楽・謡曲風ではなく、ちょっと江戸っ子弁なのだが、声の実在感が素晴らしい。寿夫の悪魔が細身の、栄夫の兵士が骨太のキャラクターになっているのも面白い。
ミンツ盤では親父ドパルデューが存在感を誇示しすぎて、全体のバランスが悪い。語り手に女性を起用しているのは変化を付けるためかもしれないが、テキストには不釣り合いだろう。
マルケヴィッチ盤はコクトーの語りにユスティノフの悪魔が、よく拮抗しており、これはこれで良い出来だ。
器楽では、マルケヴィッチ盤切れ味の良い棒が最高。7人のアンサンブルからシンフォニックな味わいまで醸し出している。若きモーリス・アンドレのトランペットは聴きものだが、ドレクリューズのクラリネットは少々弱い感じ。
個々の奏者の達者さでは、ミンツ盤がダントツ。「タンゴ-ワルツ-ラグタイム」の独奏ヴァイオリンの濃厚な表情は、ちょっとした聴きものである。
ヴァイオリン以外でもクラリネットのパスカル・モラゲスが弱音の妙を聴かせる「パストラーレ」はじめ、見事なソロの連続。惜しむらくは、「コラール」の響きが貧弱になってしまったことか。
岩城盤では、場末の芝居小屋の下座音楽という、鄙びた味わいが良く出ている、と言えば誉めすぎだろうか(^^;。トランペットとファゴットが少し苦しそう。
エイドリアン・ボールト(指揮)ロンドン・フィル、パリー;合唱曲「神聖なる海の精よ」・ブラームスへの哀歌(EMI)
「神聖なる〜」は、壮麗な讃歌が美しい。パリーはブラームスに私淑していたそうだが、この曲もドイツ・ロマン派と聴き紛うばかりの書法、軽めのワーグナーか、重めのメンデルスゾーンか、という感じ。
「ブラームス〜」は、彼の死に献呈した曲だそうだが、レクイエム風の曲想ではない。
いかにもイギリス的なクネクネした音楽が耳に快く(^^;、時にブラームスのアレグレット楽章を思わせる味わいも見せる。
クリストフ・エッシェンバッハ(P)ヴィルヘルム・ブリュックナー・リュッゲベルク(指揮)、モーツァルト;P協第23番ほか(独EUROPA、LP)
エッシェンバッハの最初期の録音で、硬質な音は良いのだが、モーツァルトの愉悦が羽ばたいていかない。
ヴィクトル・トレチャコフ(Vn)アレクサンドル・ドミトリエフ(指揮)ソビエト国立響、シベリウス;Vn協(蘇MELODIYA、LP)
なんと、演奏会のライヴ録音であった。会場ノイズも盛大に入っている。
想像したとおり、骨太というか肉厚のヴァイオリンが見事な鳴りっぷり。第2楽章の後では拍手まで起こるほど。
中でも舌を巻いたのは、第3楽章中程に出るフラジョレットの楽節。実演だと外しまくる人もいるし、スタジオ録音でも何とも頼りない音になるケースが多いのだが、こんなにしっかりしたボディのあるフラジョレットは初めて聴いた。しかもライヴなのだから、驚異的である。
まぁ、北欧の抒情からは遠いが、これはこれで十分、納得できる演奏だ。
トリオ・ターナー、バックス;「哀愁のトリオ」ほか(ARION)
フルート・ヴィオラ・ハープのトリオ、ヴィオラとハープのソナタ、フルートとハープのソナタの組合せ。
これまでバックスというと晦渋なイメージが強くて敬遠していたのだが、とんでもない考え違いだったようだ。
トリオはドビュッシーと同じ編成だが、フランス印象派を思わせる抒情美が素晴らしい。
ハープの使い方が、アルペジオばかりで少し芸がない感じだが、コーダ近くでの高音の煌めきは鮮やかだ。
ヴィオラ・ソナタは、バックスが愛したというアイルランドの民俗音階が多用された美しい音楽。楽章ごとの性格付けがはっきりしない、これまた英国音楽的な単調さは否めないが…。
中では第4楽章が、主題(たぶん戦いの歌だ)のくっきりしたロンドで、楽しい。
フルート・ソナタも同様の佳曲。
録音もオンマイクでしかも響きが美しい、優れたもの。

9月12日(土): pseudo-POSEIDONIOSにBBS中古音盤堂壁新聞が設置されました。
 斉諧生も職場の始業前や昼休みに顔を出す予定です。好楽家の皆さんとの出会いを楽しみにしております。

  昼前まで惰眠を貪り、午後遅くからCD屋巡礼に出発。

朝比奈隆(指揮)大阪フィル、ブルックナー;交響曲第5番(毎日放送)
今年7月16日に行われた大阪フィル第320回定期演奏会のライヴ録音。「朝比奈隆90歳記念コンサート」との触れ込みである。
大阪フェスティヴァルホールでは大フィルの出来が悪いというのが定評で、少々気にはなるが、こういう限定盤のようなものは、ついつい買ってしまう。(^^;
井戸端で評判の良かった東京での天覧コンサートがCD化されないものか。
エイドリアン・ボールト(指揮)ロンドン・フィル、パリー;交響曲第5番ほか(EMI)
山尾敦史『近代・現代英国音楽入門』@音楽之友社に基づくイギリス音楽シリーズ第3弾。
交響曲の各楽章の表題が凄い。第1楽章「抑圧 Stress」第2楽章「愛 Love」第3楽章「遊戯 Play」第4楽章「現在 Now」
合唱曲「神聖なる海の精よ」交響的変奏曲ブラームスへの哀歌を収録。
1966年録音の「神聖なる〜」を除いて、いずれも1978年10〜12月、ボールト引退直前の録音だそうだ。
サイモン・ラトル(指揮)バーミンガム市響、ブリテン;鎮魂交響曲ほか(EMI)
↑同様、イギリス音楽シリーズ。
交響曲の他、「青少年のための管弦楽入門」「イギリス民謡組曲」等を収録。
ラトルの棒に、思いっきり期待したい。
ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ(Br)ジェラルド・ムーア(P)シューベルト;三大歌曲集ほか(EMI)
いずれも1950年代のモノラル録音である。
中古音盤堂奥座敷試聴会、次回はシューベルト:「冬の旅」。斉諧生は元来、ピアノと歌は苦手なので、勉強にと思い参加予定。
課題盤はプレガルディエン盤(TELDEC)なのだが、参考盤としては、やはりフィッシャー・ディースカウを外せまいと思い、冒頭に記した「壁新聞」で同人方に相談したところ、当盤をお奨めいただいた。
『彼の歌唱が「若い頃ほどよい」から』(野々村さん)『50年代後半の声、神々しいばかり』(佐々木@CD三昧日記さん)とのこと。

 syuzo's HomepageYosuke Kudo Homepageのサーバー移転に伴い、電網四方八通路を修正。ついでに新着サイトを少し追加。


9月11日(金): 鈴木晶『ニジンスキー 神の道化』@新書館を読了。
 ニジンスキー登場に至るまでのロシア・バレエ界の鳥瞰、コレオグラファー(振付師)としてのニジンスキーの革新性(「牧神の午後」「遊戯」「春の祭典」について詳しい)、「発狂」前後と晩年のニジンスキー等、目配りの利いた好著である。
 ディアギレフやバレエ・リュスについての記述は、やや簡素であるが、同じ著者の『踊る世紀』@新書館に詳しそうであるので、また読んでみたい。
 バレエの専門用語が注釈抜きで用いられているのが難だが(「彼女はエレヴァシオンに欠けた、いわゆるテール・ア・テールのダンサーだったが、そのピルエットは眼も眩むばかりだったといわれる。(88〜89頁)」って、何のことやら)、索引・参考文献目録・年表も備えており、立派な出来である。
 「牧神」や「ハルサイ」に興味のある人には一読をお勧めしたい。

 なお、脇筋ながら特に注意を引くのは、「春の祭典」の構想を巡る見解である。
 通説では、ストラヴィンスキーが「火の鳥」の作曲中に得た幻影が発端となって、彼と画家のレーリッヒが台本(と音楽)を練り上げていった、とされている。
「私は空想のうちに、おごそかな異教の祭典をみた。輪になって座った長老達が、死ぬまで踊る若い娘を見守っていた。」(『ストラヴィンスキー自伝』)
 しかし、著者は、古代スラヴ民族の処女生贄の儀式というテーマを着想したのは、レーリッヒの方であったとする。
 1910年4月28日付けの『ペテルブルク新聞』にレーリッヒが発表したバレエのプランが、「春の祭典」の第2幕と同一なのだそうだ。

9月9日(水): 買いそびれていたストラヴィンスキー;「火の鳥」同;「春の祭典」のスコアを購入。例のドーヴァー版である。

 

ヤン・パスカル・トルトゥリエ(指揮)BBCフィル、メシアン;トゥランガリーラ交響曲(CHANDOS)
御贔屓のトルトゥリエがトゥランガリーラを出したので注目していたところ、浮月斎pseudo-POSEIDONIOS大人の更新「Miscellaneous Orchestral 4」にて推奨されていたので、是非盤と購入。
トリオ・ターナー、バックス;「哀愁のトリオ」ほか(ARION)
これは3日の項に書いた山尾敦史『近代・現代英国音楽入門』@音楽之友社で教えられた1枚。
フルート・ヴィオラ・ハープのトリオ、ヴィオラとハープのソナタ、フルートとハープのソナタの組合せ。
演奏者の名前はイギリスのグループみたいだが、何でもフランス国立管の首席連中とか。
ゴーディエ・アンサンブル、フランセ;八重奏曲ほか(hyperion)
これも浮月斎pseudo-POSEIDONIOS大人の更新「フランセの妙味」にて推奨されていたので、是非聴いてみたいと購入。
トゥランガリーラはともかく、イギリスのレーベルが録音したフランスのマイナー室内楽とフランスのレーベルが録音したイギリスのマイナー室内楽を買ってきたことになる。

9月8日(火): ちょっと遅い夏休みを1日いただいた。

 INAからCDが届いた。
 先日来、ハンス・ロスバウトの録音を探しているのだが、ネットで検索を掛けたところ、上記のWebpageがヒットした。
 INAのCDは前にオイストラフブラームス;Vn協ペルルミュテールフランク;P五重奏曲等を購入していたが、最近はあまりCD屋で見ることがなかった。
 で、カタログを眺め回していると、あるわあるわ、欲しいディスクが一杯!
 絞りに絞って下記の3枚(組)をオーダーしたもの。
 残念ながら、オンラインでオーダーはできない。オーダーフォームがあるので、一見できそうなのだが、これは注文書を作成するだけ。
 実際には、銀行で海外送金小切手を作り(運転免許、パスポート等の証明書が必要。申込みから出来上がりまで3日かかる。手数料2,500円)、注文書と一緒に郵送しなければならない。
 面倒だったが、見逃すわけにはいかないディスクばかりなので、今度ばかりは手間を厭わずに注文を出したのが8月28日だったから、約10日で届いたことになる。

オイゲン・ヨッフム(指揮)フランス国立管、ブラームス;交響曲第1番&ブルックナー;交響曲第7番ほか(INA)
ブラームスは1982年5月14日、ブルックナーは1980年5月8日の、それぞれパリ、サル・プレイエルでのライヴ録音。
晩年のヨッフムは、2回聴いたことがある。1982年9月にはバンベルク響を率いて来日したときは元気で良かったが、1986年9月にアムステルダム・コンセルトヘボウ管に帯同したときには衰えを感じさせた。
それでいくと、今回の録音は、ヨッフムが円熟の頂点に達し、しかもまだ矍鑠としていた頃にあたる。これは期待したい。
クラウディオ・アラウ(P)イーゴリ・マルケヴィッチ(指揮)フランス国立管、ブラームス;P協第2番(INA)
1976年6月10日のローザンヌ国際音楽祭、ボーリュー劇場ライヴをスイス・ロマンド放送が録音したもの。前日にはパリ、シャンゼリゼ劇場で同じプロの「記憶に残る名演」を行ったと、製作者のノートにある。
70年代のマルケヴィッチの、しかもブラームスが聴けるとは、もう、狂喜、狂喜。
アラウのインタビュー(約10分)付き。
ライナーノートをもう少し読むと、当時、スイスの若手評論家だった筆者(フランソワ・ハドリーという人)は、リハーサルから聴いていたそうだが、こう書いている。
「オーケストラが、この世界中で尊敬されている指揮者に対して、まったく敬意を払っていないことに驚いた。また、当時はマルケヴィッチの聴覚障害が悪化していて、仕事を困難にしていた。リハーサルは幾分荒れていたが、演奏会は、一種の奇蹟だった。フランス国立管はベストを尽くしたし、聴衆はアラウとマルケヴィッチの大成功を祝した。」
ハンス・ロスバウト(指揮)パリ音楽院管、モーツァルト;歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」(INA)
1957年、エクス・アン・プロヴァンス音楽祭でのライヴ録音。ロスバウトはコンティヌオも自分で演奏している。
  フィオルディリージ テレサ・シュティッヒ・ランダル(1927〜)
  ドラベッラ     テレサ・ベルガンサ(1935〜)
  デスピーナ     マリエラ・アダニ(?)
  フェランド     ルイジ・アルヴァ(1927〜)
  グリエルモ     ロランド・パネライ(1924〜)
  ドン・アルフォンゾ マルチェロ・コルティス(?)
アルヴァやパネライはこれが当たり役で、カラヤンやクレンペラーの全曲録音にも加わっている。
このところ買っているロスバウトのモーツァルト、特にライヴ録音はいずれも素晴らしい音楽なので、これにも期待したい。

 

ハンス・ロスバウト(指揮)南西ドイツ放送響、シューベルト;交響曲ハ長調(WERGO)
1954年の録音で、音的には少し貧弱なのが残念。
演奏は、基本的にはオーソドックスなドイツ風で、冒頭のホルンの旋律も、特別な表情付けはしていない。
全体を通じてインテンポを徹底、第2楽章でホルンが降りてくるところ(150〜159小節、例のシューマンが絶讃したところ)も、ごくわずかに緩めるのみ。全曲の終結和音も全く引き延ばさず、あっさり終わる。
そんな中で、唯一、終楽章の614小節でグッと見得を切るところが、実に印象深い。
特筆したいのは、バランスが見事というか、最新録音でも埋もれがちなパートがちゃんと聴こえること。メロディを吹く下で対位的に動く木管がきちんと聴き取れる。
あるいはむしろ、対位法を意識的に強調しているとも言えよう。チェロが対位旋律を出すところはかなりくっきり奏させている。
力感十分、スケルツォや終楽章の冒頭は凄い勢いで弦が飛び出す。スケルツォ125〜140小節での弦合奏の盛り上がりも見事。
一方、弱奏のニュアンスにも欠けていない。第2楽章358〜360小節でのチェロは、シューリヒト(Archiphon盤)の表現に匹敵する。
ある面ではザハリヒで分析的なアプローチなのだが、ちゃんと"音楽している"のが偉いところだ。
ヴィクトリア・ムローヴァ(Vn)ムローヴァ・アンサンブル、バッハ;Vn協集(Philips)
BWV1041・1042・1056の3曲を聴く。
独奏ヴァイオリンと弦楽五重奏、チェンバロという構成なのだが、極めて室内楽的なバランスで、独奏が浮き上がらないようになっているのが面白いと言えば面白い。
古楽器派のアプローチを取り入れ、特に各曲の第1楽章では短めの音価でリズミックに弾いている。
一方、緩徐楽章ではヴィブラートをたっぷり使って大きく歌う。音色も中音域が充実した美しいもの。
3曲の中では、俗に第2番と呼ばれるBWV1042がとりわけ面白く、第1楽章での即興的なテンポの動きや中間部の愁色の味わいは、従来盤になかった表現だ。
ジャン・ジャック・カントロフ(Vn)ベルナール・トマ室内管、サン・ジョルジュ;Vn協op.5-1、3-1(仏ARION、LP)
2曲の中ではop.3-1が楽しかった。第1楽章はまさに耳の悦楽、ロココ的な妙音・妙技の連続である。第2楽章は、弱音器付きのトゥッティを従えた独奏が、甘美な旋律にコーティングされた愁色を湛える。
第3楽章のロンドも楽しいが、中間部でマイナー系の旋律が力強い動きを示すのは、フランス革命期に独立旅団を率いて革命軍に参加した作曲者の意気であろうか。
op.5-1は、ロココ調を脱して古典派に近い曲趣となる。第2楽章では陰の濃いデモーニッシュな雰囲気すら漂う。
クラウディオ・アラウ(P)イーゴリ・マルケヴィッチ(指揮)フランス国立管、ブラームス;P協第2番(INA)
1980年代半ば頃、デイヴィスとのベートーヴェン;協奏曲全集あたりから急にもてはやされるようになったアラウだが、このころから晩年の充実期に入ってきていたのだろう。派手さはないが誠実な弾きぶり、堅牢な音楽である。
オーケストラもスケールこそ大きいとは言えないものの、引き締まった男性的な音楽づくり、ライヴとは思えない完成度をみせる。
全曲を通じて内容が凝集した名演で、最後の和音が鳴りやまないうちに拍手喝采が起こるのも共感できる。
第1楽章冒頭のパッセージ、アラウは終わりをディミュニエンドさせ、しみじみとした味わいを醸し出す。続くカデンツァは、じっくり噛みしめるようなリズム。
第2楽章では独奏とオーケストラの絡み合いがスリリング、第3楽章ではしっとりとした味わいを聴かせる。
ただ、やはりフランスのオーケストラで、第1楽章冒頭のホルンや第3楽章のチェロ独奏の線が少々細いのは惜しい。
また、録音の傾向として、やや色彩感が薄く、木管・金管の音色感が淡いのが残念。
オーレ・エドヴァルド・アントンセン(Trp)ジェフリー・テイト(指揮)イギリス室内管、ハイドン;Trp協ほか(EMI)
上手いラッパだと思う。音色にどこか肉声を感じさせる味わいがあり、リズムも敏感、技巧的にも全く綻びがない。
ボロディン四重奏団ほか、シューベルト;弦楽五重奏曲(TELDEC)
これは良かった。この曲の新しい録音では、最も気に入った演奏だ。
冒頭から、5人の音の美しい溶け合いに耳を奪われる。和音の感覚が古風なのだろう。
演奏もノスタルジックな味わい、第2楽章での第1ヴァイオリンの甘い節回しが快い。
こういう演奏は、もう旧ソ連でアウアーあたりの遺風を仰いだ教育を受けた音楽家にしか期待できないのかもしれない。
もちろんスケルツォや第4楽章では力感も十分、終結に向けてのアッチェランドを伴う追い込みは迫力に富む。
ハンス・ロスバウト(指揮)パリ音楽院管、モーツァルト;歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」(INA)
なぜか木槌の強打が2回あって、序曲が鳴り始める。音質は極めて良好、分離も良く、つまらないステレオ録音よりよほど優れている。
やはりライヴのロスバウト、推進力と引き締まった弾力性が見事である。
第1幕の半分くらいまでしか聴けなかったのと、そもそもこのオペラはあまり聴いたことがないので、大きなことは言えないが、各歌手の若々しい声と清々しい歌唱を楽しむことができた。

9月6日(日): 

 通販業者からLPが届いた。

ヴィクトル・トレチャコフ(Vn)アレクサンドル・ドミトリエフ(指揮)ソビエト国立響、シベリウス;Vn協(蘇MELODIYA、LP)
昔はクレーメルスピヴァコフと並んでソ連の若手ヴァイオイリニスト三羽烏と讃えられたトレチャコフ、最近消息を聞かないが、どうしているのやら。
以前聴いたブラームスが、ちょっとスラヴ色がかった異色の名演だったので、ちょっと集めているヴァイオリニストである。
シベリウスだけに不安が無くもないが、骨太の名演を期待したいところ。

 

シャーンドル・ヴェーグ(指揮)カメラータ・アカデミカ・ザルツブルグ、モーツァルト;交響曲第41番(Orfeo)
8月24日の項に書いているが、聴き直してみた。
オーケストラの音質はあまり上等ではないが(特に強奏時)、フレージングは、ヴェーグが鍛え抜いたのだろう、見事なものだし、第2主題系の旋律を奏するときのたおやかな表情には陶然となる。
カザルスのような猛然たるものではないが、音楽に込められた「いのち」の力も特筆したい。
第1楽章では47小節・81小節・275小節、第2楽章では23〜25小節での低弦の活かし方、第3楽章で31・35小節をクレッシェンドして32・36小節の主題へ飛び込むところ、第4楽章の小結尾全体や216小節が、その好例である。
ヴェーグのモーツァルト、もっと聴いてみたい。ウィーン・フィルとの実演など、CD化されないものだろうか。
ギュンター・ヴァント(指揮)ベルリン・フィル、ブルックナー;交響曲第4番(BMG)
ヴァントはハース版の信奉者として有名だが、ここでもそれに拠っている。
几帳面なヴァントの指示に、オーケストラの合奏力が応えて、実に立派な楽譜の再現となっている。
ホルンがもう少しドイツらしい音だったらとか、オーボエが冴えないとか、多少の不満はあるが、弦合奏の美しい和音、フルートの清澄な音色と巧さ、金管のバリッとした吹奏、まことに聴き応えのあるブルックナー・サウンドである。
ヴァントのスコアの研究が行き届いていることもよくわかる。スケルツォ117〜119小節での第1ヴァイオリンのスタッカートや終楽章59〜62小節でのヴァイオリンのクレッシェンド等、納得の処理である。
これだけ立派な演奏に文句を付けるのも申し訳ないのだが、ちょっと心弾むものがないのも事実だ。
1楽章の290〜330小節は、楽章のハイライトなのだから、もっと金管を解放して格好良く決めてほしいし、楽章終結(557小節以降)でも主題を吹くホルンを浮かび上がらせてもらいたかったところだ。
第2楽章アンダンテも弦合奏は実に美しいのだが、終結前のクライマックス(221小節以降)での金管の息の短さは解せない。音楽のスケールが小さくなってしまった。
終楽章のテンポ変化も、楽譜の指定には忠実なのだが、ちょっと煩わしくなってしまった。このあたりまで来ると、ヴァントのというより、曲そのものの弱点なのかもしれない。
佐渡裕(指揮)フランス放送フィル、「フランス音楽の祭典」(ERATO)
8月31日(月)の京都新聞(夕刊)「親子で聴く音楽」欄で、この盤が紹介されていた。
曰く「どの曲も目配りの効いた仕上がりだが、佐渡の派手なステージ姿を知る聴き手には少しお行儀が良すぎる。」
そんな無茶なこと言いなさんな。(^^;
むしろ、これだけポピュラーな曲目に、これだけ個性を刻印したことを誉めるべきだと思う。
賑やかな部分での陽気な金管や、フルート独奏などに与えられた嫋やかな表情、ルーチンに流されない見事な表現だ。
中ではビゼーが素晴らしい。とりわけ「カルメン」組曲は、佐渡の十八番と言うべきだろう。
「魔法使いの弟子」は、これまで満足できる演奏を聴いたことがない。有名な割には難しい曲ではなかろうか。
ノーマン・デル・マー(指揮)ボーンマス・シンフォニエッタ、ウォーロック;セレナード(EMI)
昨日の項に書いたとおり、ディーリアス60歳の誕生日に捧げた作品。
なるほど、分割された弦の玄妙な和声は、ディーリアスそっくり。
ただ、音楽世界は、少々異なる。ディーリアスの漂うようなノスタルジーは、ここにはない。
36歳で自殺したウォーロック、ディーリアスの世界に安住できた方が幸せだったかもしれない。
ヴィクトリア・ムローヴァ(Vn)フランソワ・ルルー(Ob)ほか、バッハ;Ob&Vn協(Philips)
録音はなかなか優れているが、ソロとトゥッティの区別が付きにくくて困る。
独奏楽器がクローズアップされる第2楽章がとりわけ美しく、ムローヴァの重心の低い音と、ルルーの太めの甘い音が、耳を楽しませてくれる。
クリフォード・カーゾン(P)ラファエル・クーベリック(指揮)バイエルン放送響、ベートーヴェン;P協第4番(audite)
これは素晴らしい。
カーゾンの高貴な音色、円熟期のクーベリック&バイエルン放送響のコクのある響きと立体的な音楽。
第1楽章は優に雅で、そこはかとなく寂しげな音楽。大言壮語からは最も遠く、秋の夜の心に沁みわたる。
第2楽章、この演奏では5分39秒を要しているが、グルダ盤(Ermitage)では4分53秒。
ピアノのモノローグの深いこと! オーケストラが沈黙したあと、高音のトリルに絡む下降音型の凄まじさ!
第3楽章、一転してリズミカルに進行するが、打ち込みの間がよく、ドイツ系のピアニストとは違った味わいが好もしい。
アンデルス・オルソン(指揮)王立オペラ管ほか、オールソン;レクイエム(proprius)
作曲者ゆかりのグスタフ・ヴァーサ教会での収録、残響が豊かで雰囲気はあるのだが、歌詞は聞き取りづらい。
作曲者が父親の死をきっかけに筆を執ったとのこと、1曲目「レクイエム・エテルナム」の主題は、敬虔で神秘的な美しさが素晴らしい。ファゴットのオブリガートも絶妙。
2曲目「キリエ」、3曲目「ディエス・イレ」の、ほの暗さも心をそそる。
ところが、4曲目「レクス・トレメンダス」のバス独唱あたりから、ラテン的なムードが漂いはじめ、だんだん陳腐なフレーズが耳につくようになってくる。なんとなくグノーのミサ曲を連想してしまう。
ライナーノートによれば、作曲者はフランクをはじめとするフランスロマン派のオルガン音楽の影響を強く受けているとのこと、あるいはそれか。
グスタフ・ヴァーサ・オラトリオ合唱団は、たぶんアマチュアだと思われ、アインザッツなど少々不揃い。
NORDIC FOREST北欧のクラシック音楽でWebmaster「パパさん」が推奨されていたCaprice盤で聴くべきだろうか。

9月5日(土): せっかくの休日のはずなのに、本業関連で朝から他行。
 帰りにCD屋を覗いて回る。

 帰りにCD屋を覗いて回ったところ、中古屋で種々収穫あり。帰宅すると、通販業者からLPが届いた。

アルトゥール・ロジンスキ(指揮)クリーヴランド管、シベリウス;交響曲第5番&ショスタコーヴィッチ;交響曲第1番(米CBS、LP)
これは1970年代後半の擬似ステレオ盤なのだが、ロジンスキのクリーヴランド時代なら1933〜43年頃。SP復刻なのか、LP時代に客演したのか?
ともかく、シベリウスの珍しい盤なら買わずにいられない習性が出てしまった。
(9月6日追補)疑問符を付した録音時期について、浮月斎大人から御教示いただいた。
シベリウスが1941年12月、ショスタコーヴィッチが同年4月、ともにSPで発売された後、戦後LP化されたとのこと。
あらためて、御教示に感謝。
ネヴィル・ディルクス(指揮)イギリス・シンフォニアほか、ウォーロック;カプリオル組曲ほか(EMI)
作曲者の生誕100年を記念したアンソロジー盤、歌曲集「たいしゃくしぎ」ほか代表作を収録。
これは3日の項に書いた山尾敦史『近代・現代英国音楽入門』@音楽之友社で教えられた1枚。
特に興味があるのは、「ディーリアスのクローンかと思うくらい似通っている」という弦楽合奏のための「セレナード」。ディーリアス60歳の誕生日に捧げた作品とか。
ヴィクトリア・ムローヴァ(Vn)ムローヴァ・アンサンブル、バッハ;Vn協集(Philips)
初発の時から気になっていったが、も一つ気乗りがしないまま、買わずにいたCD。
今日、中古CD屋でよく見ると、ObとVnのための協奏曲BWV1060フランソワ・ルルーが付き合っている。
この人のバッハなら聴いてみたく、購入。
ボロディン四重奏団ほか、シューベルト;弦楽五重奏曲(TELDEC)
好きな曲なので、初発の時から気になっていったが、も一つ気乗りがしないまま、買わずにいたCD。
中古格安で見かけたので、これなら後悔もしまいと、購入。
ジョルジュ・プリュデルマシェ(P)ジャン・クロード・カサドシュスほか、ラヴェル;P協・左手のためのP協ほか(HMF)
ジョルジュ・プリュデルマシェ(P)ドビュッシー;「子供の領分」ほか(HMF)
ジョルジュ・プリュデルマシェ(P)ドビュッシー;練習曲集ほか(LYRINX)
ジョルジュ・プリュデルマシェ(P)ブラームス;ヘンデル変奏曲・7つの幻想曲(LYRINX)
中古音盤堂奥座敷同人に評価の高いプリュデルマシェを中古屋で大量に発見。
ちょっと迷ったが、どれも格安だったので、全部購入。

9月4日(金): ううむ、不覚。
 今夕の京都コンサート・ホールは「熊本マリ:ガーシュウィン ピアノ協奏曲の夕べ」
 予定より仕事が長引き、ホールに馳せつけたのが開演20分前、既に「本日の当日券は完売しました」の看板が。(T_T)
 これでもう、二度と聴くことができないかもしれない…
 小林研一郎が振る「パリのアメリカ人」「ラプソディ・イン・ブルー」「ヘ調の協奏曲」は。


9月3日(木): 山尾敦史『近代・現代英国音楽入門』@音楽之友社を読む。
 網羅的にすぎて、思い入れに心うたれるようなことはないが、裏返せば、ハンドブック的には役に立つ。各作曲家のコンパクトなバイオ等、便利だろう。
 しかし、この本を出発点に、いっぱい買ってしまいそう…。

 

岩城宏之(指揮)アンサンブル、ストラヴィンスキー;兵士の物語(日本語版)(KING)
早世した観世寿夫と、弟・観世栄夫がナレーションを担当した伝説的な録音。
器楽アンサンブルは、田中千香士(Vn)有賀誠門(Perc)ら、N響のピックアップ・メンバー。
「現代音楽に強くなろう!」とジャケットにあるのが可笑しい(1972年初発時の復元)。
もっと笑えるのは、ライナーノート(これも復元)に長々と載っている岩城の略歴、
「世界楽壇に彗星の如く登場」
「定期的に客演指揮者としてベルリン・フィルハーモニーの指揮台に立つことを約束された。」
"日本の火山"の愛称そのもののように爆発的な活躍を続けている。」

平成10年5月5日(祝): 「作曲世家」に近代スウェーデンの作曲家ステンハンマルを掲載。

平成10年2月8日(日): 「逸匠列伝」にルネ・レイボヴィッツを掲載。

平成9年11月24日(休): 「名匠列伝」に、アンゲルブレシュトを追加。

平成9年9月15日(祝): 「畸匠列伝」に、マルケヴィッチを掲載。

平成9年8月24日(日): 「名匠列伝」にカザルスを追加。

平成9年8月8日(金): 『斉諧生音盤志』を公開。


音盤狂昔録へ戻る

トップページへ戻る

斉諧生に御意見・御感想をお寄せください