マルケヴィッチ 略年譜 (1)作曲家時代

 

年齢 主 な 出 来 事 主 な 作 品 備    考
1912 0 7月27日、キエフで貴族の家に生まれる。
父ボリスはダルベールに学んだピアニスト。
  幼少の頃 幼少の頃のマルケヴィッチ
1914 2 一家でパリへ逃れる。  
1916 4 スイスのヴヴェイへ移る。  
    父にピアノと作曲を学ぶ。
アンセルメ指揮のスイス・ロマンド管の演奏に接する。
 
1923 11 父の死去。    
1925 13 スイス来訪中のコルトーに自作を演奏して認められ、パリ留学を勧められる。 ピアノ組曲「結婚」(4)  
1926 14 パリ留学。
エコール・ノルマルでコルトーにピアノを、ナディア・ブーランジェに作曲を学ぶ(〜28年)。
  ブーランジェの回想によると、最初の1時間が終わる頃には「生徒の半数は敬服の念を持って彼に仕え、残る半数は決して彼を許しはしなかった」とか。
1928 16 ディアギレフの知遇を得る。    →マルケヴィッチとディアギレフを見る
 
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1929 17 6月、自作のピアニストとしてデビュー。
8月、ディアギレフ死去。
ピアノ協奏曲
小交響曲ヘ長調(1)
 
1930 18   カンタータ(詞はコクトー)
合奏協奏曲(2)
セレナード(Vn、Cl、Fgのための)(4)
 
1931 19   映画序曲(1)
「謎々」(3)
 
1932 20 2月、アムステルダムコンセルトヘボウ管で自作を振って指揮者デビュー。
「イカロスの飛翔」(管弦楽のための)(2)(4)
ギャロップ(9楽器のための)(4)
このとき、モントゥーに指揮の手ほどきを受ける。
    この頃には新進作曲家としての地歩を確立、「イーゴリ2世」の異名を取る。   「イーゴリ1世」ストラヴィンスキーは嫌がったらしい。
1933 21   讃歌(3)
詩篇(ソプラノと合唱、管弦楽のための)(5)
 
1934 22 シェルヘンに指揮法を学ぶ(〜36年)。    
1935 23   オラトリオ「失楽園」  
1936 24 ヴァーツラフ・ニジンスキーの娘キュラと結婚。 愛への讃歌(管弦楽のための)(2) ニジンスキーもディアギレフの「恋人」だった!
1937 25   「新しい時代」(管弦楽のための)(1)  
1938 26 自作(「イカロスの飛翔」「新しい時代」)を指揮して初録音。    
1939 27   詩人ステファン(ピアノのための子供の印象) 藤井一興盤(Pavane)あり
1940 28 フィレンツェに滞在して、合唱交響曲「ロレンツォ・イル・マニフィコ」(5)に着手。
ダラピッコラと知り合う。
  ロレンツォは、ルネサンス期のフィレンツェを支配したメディチ家全盛期の当主(1449〜92)。ボッティチェリ、ミケランジェロらのパトロンで、自身も詩をよくした。
    スイス国籍を喪失してしまった上に、ムッソリーニが参戦し、イタリアから出国できなくなる。    
1941 29   ヘンデルの主題による変奏曲、フーガとアンヴォワ(ピアノのための) 藤井一興盤(Pavane)あり
1942 30 大病。作曲を断念し、指揮活動に専念することを決心。    
(1)… "MARKEVITCH Complete Orchestral Music Vol.1"(MARCO POLO、8.223653)に収録
(2)… "MARKEVITCH Complete Orchestral Music Vol.2"(MARCO POLO、8.223666)に収録
(3)… "MARKEVITCH Complete Orchestral Music Vol.3"(MARCO POLO、8.223724)に収録
(4)…"L'Envol D'Icare"(LARGO、5127)に収録
(5)… "MARKEVITCH Complete Orchestral Music Vol.4"(MARCO POLO、8.223882)に収録
 

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