Westminster WST14046より   逸匠列伝
 

ルネ・レイボヴィッツ

Rene Leibowitz

(1913-1972)


輝ける50年代

斉諧生の手許に2冊の古本がある。いずれも紙は黄ばみ、造本はいまにも壊れそうであるが。

柴田南雄著『現代音楽』(1955年、東京、修道社)
『「ディスク」臨時増刊−特集 LP名演奏家選集』(1956年、東京、ディスク社)

前者には作曲家として「ルネ・ライボヴィッツ」(ママ)が取り上げられている。前後はジョリヴェマルタンが並んでいる。後者には指揮者としてルネ・レイボヴィッツが紹介されている(1ページ)。前後はオイゲン・ヨッフム(1ページ)とブルーノ・ワルター(2ページ)である。

 

忘れられた現在

では、現在ではどうなっているか。ONTOMO MOOK『指揮者のすべて』(1996年、東京、音楽之友社)に辛うじて掲載されているものの、わずか13行。
前後はジャン・レイサム・ケーニック(って知ってますか?)とヨエル・レヴィ(CD持ってますか?)である。なお、同書ではヨッフムワルターは、その4倍のスペースを与えられている。

作曲家としてはどうであるか。彼の作品集として発売されたCDはわずか1枚(もちろん輸入盤のみ)にすぎない。
音楽理論家としてはどうであるか。著作の邦訳は、

『シェーンベルクとその楽派』(入野義朗訳、1965年、東京、音楽之友社)

をはじめ、絶版となって久しい。

まず、忘れられた指揮者と化していると言っていいだろう。

数年前、許光俊氏等、いわゆる*洋泉社系*の執筆者から注目された時期もあったが、すぐに顧みられなくなってしまった。
参考:許光俊「奇想のカデンツァ 第9回 おませな子のためのレイボヴィッツ入門」(『音楽現代』1992年9月号)

 

レイボヴィッツとの出会い

斉諧生がレイボヴィッツに注目しはじめたのは、1990年である。『レコード芸術』誌は、よく名曲の名盤選びを何カ月かかけて特集するが、この年の8月号から「CD時代の名曲名盤300」という企画が始まり、第1回がバッハからベートーヴェンまで。
そのうちベートーヴェン;交響曲第2番の項を執筆した3人の中で、丸山桂介が、第1位にレイボヴィッツ盤を挙げ、次のように激賞していた。

レイボヴィッツ盤は大分以前の録音であるばかりでなく、他の二者(斉諧生注、ノリントン盤・ホグウッド盤)と異なって普通のオーケストラを振った演奏である。
にもかかわらず、この第二番のみならず全九曲の交響曲にわたって、その演奏ははるかに他の指揮者のものを超えている。
切れ味のよいテンポ、そうして何よりも美しい和声の響き、各声部の対位的動きを明確に捉えてゆく点等、まことに見事なベートーヴェンである。

普段は点の辛い丸山氏の絶讃なので気に留めていたところ、しばらくして輸入盤店で、ディスコグラフィにも掲げたCHESKY盤を見つけ、買ってみたところ、なるほど名演であった。
ブリュッヘンをはじめ有力な新録音や、ワルターシュミット・イッセルシュテット等往年の名演奏にことかかぬが、斉諧生は今でもレイボヴィッツ盤を第2番のベストとして挙げたいと思う。

そして、このことが、「逸匠列伝」に彼の伝を立てる所以である。

 

謎の出生地

レイボヴィッツは1913年2月17日生れ。生地は従来ワルシャワとされてきたが、上記の作品集のライナーノートではラトヴィアのリガでユダヤ人商人の家に生れたとある。5歳からヴァイオリンを始め、13歳ころまでは各地で演奏会を開いて「神童」時代を送ったようである。

1930年頃、ベルリンで音楽を学んでいたが、シェーンベルク;「ピエロ・リュネール」を聴き、作曲家を志した。ウィーンでウェーベルンに学び、のちシェーンベルク本人にもついた。

1933年からパリに居を定め(これはナチスのユダヤ人政策によるものだろう)、独学で作曲を始めた。もっともオーケストレーションはラヴェルに、指揮はモントゥーに学んだとか。

 

録音活動(1)−新ウィーン楽派の使徒

指揮者としてのデビューは1937年とされているが、本格的な活動は戦後開始された。

モノラル時代に新ウィーン楽派の使徒として、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの代表作を数多く録音し、そのほとんどが世界初録音かLP初出であった。とりわけハイドン・ソサエティから出したシェーンベルク;「グッレ・リーダー」はステレオ時代に入ってクーベリックらが録音するまで唯一のレコードであり続けた。

 

録音活動(2)−ベートーヴェン交響曲全集

ステレオ時代に入ると、米RCAや、米RCAが製作を請け負ったリーダーズ・ダイジェスト(会員制の直販方式)に多く録音した。この頃、米RCAは英DECCAと提携関係にあったため、レイボヴィッツ等、ヨーロッパでの録音は英DECCAのスタッフが行っているケースがほとんどのようである。

リーダーズ・ダイジェスト社では家庭向けの名曲集の編曲・指揮も多く行ったようで、斉諧生も、その全貌は把握できていない。

リーダーズ・ダイジェスト社録音のうち最大のものは、ロイヤル・フィルと録音したベートーヴェン;交響曲全集である。

この録音のプロデューサー、チャールズ・ゲルハルト(その後指揮者としても活動している。)がライナーノートに寄せた文章によると、その経緯は次のようなものであった。

Reader's Digest RDS220〜226より

私たちはこの不朽の名作に対して、「王侯にふさわしい考え方」をしている指揮者に偶然出会ったのである。この九つの交響曲全曲をもう一度まとめて出そうという想念はパリの歩道に面したささやかなカフェーで生まれた。
私はルネ・レイボウィッツと一緒にモーリス・ラヴェルの「ラ・ヴァルス」と「ボレロ」の録音をやっていた。二人はコーヒーを飲みながら音楽について議論を戦わしていた。話はベートーヴェンに移った。
レイボウィッツはこう言った。

「世界で一番演奏回数の多いベートーヴェンの第五の出だしのところで、ここのところの小節が一度も正確に演奏されたことがないということに気がついたことがあるかい? それからここのところと…ここのところ」
そして48時間後には彼はベートーヴェンの交響曲の中で一般に行なわれている約六百ほどの誤りをみつけ出していた。
話し合いや手紙のやりとりを6カ月つづけたのち、私たちが「俳優としての王侯」をみつけ出したことは明らかとなったので、この劇をやらない理由はもうどこにもなかった。
  • 斉諧生注、「王侯」云々は、引用部分の前でゲルハルトが言及したシェークスピア;「ヘンリー五世」冒頭の反映である。
  • 斉諧生注、上記の経緯にかかわらず、レイボヴィッツの演奏は必ずしも「原典主義」ではない。「英雄」第1楽章コーダでのTrp音型の補足、「運命」第1楽章再現部でのHrn追加、「合唱」第2楽章でのHrn追加といった慣例的なスコアの改変はしっかりやっている

 

録音活動(3)−うなるウィンドマシーン

RCA本体に録音したもののうち最も有名になったのは、 "The Power of Orchestra" と題されたアルバム。メインの「展覧会の絵」ではなく、フィルアップの「禿山の一夜」が話題となったのである。
通常使われるリムスキー・コルサコフ版ではなく、レイボヴィッツが自分で再編曲したため、結尾など全く違う音楽になっている。更に録音上のテクニックを駆使し(エンジニアは英DECCAのケネス・ウィルキンソン)、楽器の遠近感や定位の操作によって目くるめくような効果を生み出しているのである。止めはウィンド・マシーンの起用!

その他、*覆面オーケストラ*を振ってのフランス系作曲家のオペレッタの録音といった賃仕事も数多くこなしたようで、ディスコグラフィの全貌は明らかではない。

 

斉諧生推薦盤(1)−ベートーヴェン交響曲全集

レイボヴィッツが指揮したCDで入手できるのは、米CHESKY社から復刻されたリーダーズ・ダイジェスト音源のものに限られると思う。

いちはやく20ビット・オーバーサンプリング技術を採用したCHESKY社の復刻はきわめて上質、最新録音に紛うばかりで、ウィルキンソンら英DECCAチームの優秀録音を伝えて余すところがない。とても1960年前後の録音とは思えぬほどである。

曲目等の詳細はディスコグラフィに拠られたいが、まずお薦めしたいのは上記の第2番を含むベートーヴェン;交響曲全集キビキビした進行、各声部の明晰さ、遠慮ない金管の咆哮、決め所で見せる迫力、まさに第一級のベートーヴェン演奏である。

全曲のベストはもちろん第2番(CD17)、ついで第1番(CD74)・第8番(CD69)をお薦めしたい。
テンポが速くリズムが軽快なため、いわゆる奇数番号系の大曲では「巨大さ」を欠く憾みがあるが、前へ前へ進んでいくベートーヴェンを好きな人には堪えられないものがあると思う。
とりわけ、第3番(CD74)の第1楽章はトスカニーニというか、ワルター&シンフォニー・オブ・ジ・エア盤を髣髴とさせる、速いテンポで決め所を決めまくった名演。

 

斉諧生推薦盤(2)−フランス管弦楽曲集

ついでは "A Portrait of France" (CD57)と題されたオムニバス物である。オーケストラは「パリ・コンセール・サンフォニーク協会管」という覆面オーケストラだが、実体はパリ音楽院管と噂される。
曲目はラヴェル;「ラ・ヴァルス」・「ボレロ」ドビュッシー;「牧神の午後への前奏曲」・「小舟にて」等。いずれも羽毛のような弦、これぞフランスの音という木管、強奏してもちっともうるさくない金管といったオーケストラの音色に陶然となること請け合いである。
「ラ・ヴァルス」や「ボレロ」ではトロリとした舞曲に始まって狂騒的なクライマックスに至る確かな設計、「小舟にて」の懐かしさの限りを尽くす味わい、「牧神〜」のみロンドン録音だが、これもフランスのオーケストラに匹敵する出来である。

また、 "An Evening of Opera" (CD61)でも同じオーケストラとの名演を聴くことができる。この中では「カルメン」組曲が、管楽器のソロの魅惑、聴きどころ中の聴きどころを選りすぐった編曲、ツボを心得た指揮で、実に楽しめる。「魔法使いの弟子」も破壊的な迫力が凄まじい。

 

音楽理論家としてのレイボヴィッツ

さて、レイボヴィッツについては音楽理論家・教育者としての活躍も重要であり、20世紀の音楽史には、むしろ「十二音音楽の使徒」として記録されるであろう。とはいえ当「斉諧生音盤志」の趣旨からは外れる内容であるので、摘記するに留める。

  • 両大戦間の時期にはシェーンベルク、ウェーベルン、ベルクらの狭いサークルの中に留まっていた十二音音楽が、戦後、作曲界に知れ渡ったのは、レイボヴィッツの著作、講演、教育活動を通じてであった。
     
  • 著作は多数あるが、主著としては、
    『シェーンベルクとその楽派』(パリ、1946年)
    『十二音音楽とは何か』(リェージュ、1948年)
    『十二音音楽入門』(パリ、1949年)
    があげられる。
     

  • 特に、初期のダルムシュタット国際現代音楽夏期講習ではフォルトナーと並んで主導的な役割を果たし、これによってヨーロッパ中に十二音技法が普及するに至った。
     
  • 当時レイボヴィッツから教えを受けた中には、ピエール・ブーレーズハンス・ウェルナー・ヘンツェベルント・アロイス・ツィンマーマンらがいる。映画音楽で有名なモーリス・ル・ルーもシリアスな音楽についてはレイボヴィッツの弟子である。
     
  • 日本における十二音音楽の受容も、1948年8月、戸田邦雄が持ち帰った1冊の『シェーンベルクとその楽派』が濫觴である。戸田は、戦時中は官吏としてインドシナ半島に赴任していたのだが、終戦後、抑留されていたサイゴンで、フランス進駐軍の将校から、その本を貰ったという。
     
  • 柴田南雄は、1950年暮に父君(柴田雄次、化学者)がフランスへ出張した際に、レイボヴィッツの『十二音音楽入門』を買ってくるよう依頼し(斉諧生注、今と違って外貨制限が厳しく、海外旅行や個人輸入は簡単なことではなかった)、それを入野義朗が借り出す、といったこともあったとか。
     
  • とはいえメシアン以後の前衛音楽の流れには取り残され、1950年代後半以降には輝きを失ってしまったようである。この時期の弟子にはトロンボーン奏者兼作曲家のヴィンコ・グロボカールがいる。

 

なお、作曲家としての作品については、ディスコグラフィを参照されたい。

ルネ・レイボヴィッツは、1972年8月28日、パリで死去。59歳。

 


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