音盤狂日録


6月30日(火): 

 

イーゴリ・マルケヴィッチ(指揮)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、マーラー;交響曲第1番&チャイコフスキー;交響曲第4番ほか(TAHRA)
マルケヴィッチの晩年の録音に、ムソルグスキー(ラヴェル編);展覧会の絵ほか(ETERNA)があり、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管を指揮しているので驚いたものだが、ライヴ録音が出現した。
チャイコフスキーとシューベルト;第3交響曲(D200)が1978年5月12日、マーラーが1982年3月5日の録音。
マルケヴィッチは限られたレパートリーをくり返し演奏するタイプで、チャイコフスキーはフランス国立放送管との録音(EMI、モノラル)やロンドン響との全集(PHILIPS、ステレオ)もあったし、マーラーはフランス国立放送管との1967年のライヴ(DISQUES MONTAIGNE)があるが、晩年の芸術の深まりを聴けそうで、大いに期待したい。
ちょっと聴いてみたが、録音状態はきわめて良好。
トマス・オッリラ(指揮)タンペレ・フィル、シベリウス;劇音楽「カレリア」ほか(ONDINE)
「カレリア」の全曲版は、前にBISから出たオスモ・ヴァンスカ盤がカレヴィ・アホによる補作だったが、今回はヨウニ・カイパイネンの補作によるもの。
シベリウス・ファンとしては買わざるべからずだが、最近、シベリウスのCDは、メジャー・レーベルから有名曲が出なくなり、こういうマイナー・レーベルから世界初録音等、珍しい曲の出ることが多いように思う。
喜ぶべきか、案じるべきか。

6月28日(日): ワールドカップ疲れで(^^;、昨日は久しぶりに家にいたがほとんど音楽は聴けず、今日もいつもの半分くらいの時間しか聴けていない。

 今日の後半は、中古音盤堂奥座敷試聴会の次回課題盤、ヘルベルト・ケーゲル(指揮)ライプツィヒ放送響、シベリウス;交響曲第4番(Berlin Classics)に向け、同曲異盤の聴き比べ。

ポール・パレー(指揮)デトロイト響、メンデルスゾーン;組曲「真夏の夜の夢」(Mercury)
前からLPで持っているが、先日購入したCDを聴く。
序曲劈頭の木管はデリカシーの極み、軽やかに疾走する弦の裏でピツィカートが冴える。金管もまったくうるさくない。
もう「生き生き」としか言いようのない、見事な音楽。
飛び来たり飛び去ってゆくスケルツォも素晴らしく、渋めの音のトランペットが素敵な結婚行進曲では弦を主体にした縦割りの克明でノリのいいリズムが快感を呼ぶ。
夜想曲では旋律の息が短く、ちょっと雰囲気を欠いてしまった。
この曲は最近出たブリュッヘンヘレヴェーヘといった古楽器組もよろしいが、何といってもベストは遅めのテンポがメルヘンチックなクレンペラー盤。
パレー盤は*快速組では*ベストと言えるだろう。
エサ・ペッカ・サロネン(指揮)フィルハーモニア管、ストラヴィンスキー;バレエ音楽「ペトルーシュカ」(SonyClassical)
格好いい! 格好良すぎる!
思わず叫んでしまった…。(^^;
1947年版を使っているので、聴く前は少々不満だったのだが(1911年版の方がいいのだ!)、鳴らしてみて納得、このアプローチならば演奏会用の改訂版がマッチしている。
「聴いていてバレエの舞台が目に見えるような…」というのが志鳥栄八郎あたりがドラティアンセルメを誉める決まり文句だが、それとはまったく逆!
例えば第4場「ジプシー女と行商人」のスピード感、踊るどころではないが、快感そのもの。
あるいは第3場「ムーア人の部屋」を導入する小太鼓のリズム、これは完全にスウィングしている!
そして第2場までとは雰囲気を一変させる音楽、ムーア人の踊りを支える弦のピツィカートが醸し出す*南方*の空気感! 第3場に関しては、すべてのディスクに冠絶すると言い切りたい。
全編を通じてリズムのキレは抜群、とりわけ弱音器付きのトランペットの鋭さは絶妙。
曲の鍵を握るフルートやピッコロも上乗の出来だし、47年改訂版の決定盤的存在といえるだろう。
もっともストーリー性はかなり後退、幕切れなど全然幽霊が出てこない。(^^;
リチャード・グード(P)オルフェウス室内管、モーツァルト;P協第25番(NONSUCH)
グードのピアノは素晴らしい。くどくならずに濃やかな味わい、「明るい悲しみ」を奏でてやまない。
オルフェウス室内管も上手いのだが、音色にややデリカシーを欠くのと、弦合奏の音の溶け合いが足りないのが気になった。
ヨゼフ・フラマーフェルト(指揮)ウェストミンスター合唱団、リリー・ブーランジェ;詩篇第24番ほか(CHESKY)
手許に聖書がないのでライナーノートからの試訳だが、「大地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、すべて主なる神のもの」に始まる、旧約聖書所収のダヴィデ王の作とされる神への讃歌に付曲したもの(ただしフランス語詞)。
この曲にはマルケヴィッチ盤(EVEREST)もあり、そちらではブリリアントな金管の吹奏と、それに負けぬ熱っぽい歌唱を聴くことができる。
この盤ではオルガン伴奏によっており、落ち着いたテンポで堂々と歌い上げている。
併録のデュルフレやヴェルディなども摘み聴いたが、いずれも旋律と和声の美しい曲であった。
ネーメ・ヤルヴィ(指揮)イェーテボリ響、シベリウス;交響曲第4番(BIS)
第1楽章冒頭の低弦のffが、「ゴリッ」という感じで入ってくる。
このコンビの全集は、CDが出始めた頃、まだ@4,000円位のころに輸入盤で聴いていたが、その記憶を蘇らせる音だ。
それまでのシベリウス演奏とは一線を画す「自然音」の響きを、無名の指揮者とオーケストラ(だったんですよ。イェルヴィとかヨーテボリ響とか、いろんな書き方をされていたのです)が奏でるのに、瞠目したものだ。
あらためて聴き直してみると、細部がやや甘く、込み入ったところでは響きが混濁気味になったり、横の線の絡みが見えにくくなったり、指揮者・オーケストラの力不足が垣間見える。
この曲の演奏でよく問題になるのが、第4楽章でグロッケン(チューブラー・ベル)を使うか、グロッケンシュピール(鉄琴)を使うかなのだが(楽譜の指定が曖昧)、ヤルヴィは両方を重ねているようだ。
ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)サンフランシスコ響、シベリウス;交響曲第4番(DECCA)
オーケストラはイェーテボリ響よりかなり上手く、ブロムシュテットの指揮も堂々たるもの。
ただし、第1楽章冒頭のチェロ独奏の語り口や、フルートのヴィブラートなどが、少々人間的というか、余分なものが付いているのが不満。残響豊かな録音が、その印象を助長している。
もっと非人情@漱石な、自然音がほしい。
第4楽章で、終始、チューブラー・ベルを鳴らしている、珍しい盤。
タウノ・ハンニカイネン(指揮)ソビエト国立響、シベリウス;交響曲第4番(蘇MELODYA、LP)
ハンニカイネンはEMIに第2・5番を録音しており、いずれも素晴らしい演奏、メロディアには第4番とレミンカイネン組曲を遺している。
モスクワのオーケストラなので心配したが、別にチャイコフスキーにもならず(^^;、それどころか、実に渋いシベリウス。
モノラル録音で盤質も良くないが、それを超えて、厳しい音楽が伝わってくる。
ヴィブラートを排したフルート、重心の低いファゴット、渋みの利いた弱音器付きのホルン、ティンパニの轟き…
丁寧なマスタリングでCD化してほしい秀演である。
第4楽章は鉄琴だが、少々音は貧弱。
サイモン・ラトル(指揮)バーミンガム市響、シベリウス;交響曲第4番(EMI)
弦合奏の和音が美しく、ヴィブラートを抑えた木管の音色は清澄、横の線の絡みも明晰に表出した、ラトルらしい快演。
第3楽章後半で、初めて主題が全貌を顕すところ、普通の演奏だとクレッシェンドする弦合奏に木管の音型がマスクされてしまうのだが、ラトルのバランスは絶妙で、きちんとオーボエ→クラリネット→ファゴットという受け渡しが聴き取れる。
音場の立体感が見事な録音も、この演奏にぴったり。
一部でオーケストラが力量の限界を見せるのと、無い物ねだりかもしれないが、更に突き抜けた情感がほしい気がする。
第4楽章では鉄琴を使用。
パーヴォ・ベルグルンド(指揮)ヨーロッパ室内管、シベリウス;交響曲第4番(FINLANDIA)
ベルグルンド4回目の録音。
第1楽章は、やや早目のテンポが人間くささを吹き払い、小編成を生かした清澄な弦合奏が優に美しい。
第2楽章冒頭のオーボエの諧謔味、後半は雰囲気を一変させて悲劇性を表出、乾いた音のティンパニで締め括る。
第3楽章では透明な寂しさを漂わせ、主題が出るところも、木管の音型を聴かせつつ、弦合奏はラトル盤になかった高揚感を持つ。
第4楽章は鉄琴だが、ちょっと鐘に近い肉厚の音で、もっとも美しい。裏を吹くクラリネットがきちんと聴こえるバランスも見事。
トランペット・トロンボーンが、やや非力な様子だが、第4楽章終わりのクライマックスでは見事な自然音を吹き抜いている。
トータルでは、これが今日聴いた中でのベストといえよう。

6月26日(金): 昼休みに職場のPCで某BBSを見ていたら、京都・十字屋四条店でバーゲンをやっているとのこと、残業を部下に任せて(^^; 馳せ参じた。
 そのまま中古CD屋から書店に回ったところで、 吉本多香美嬢の写真集 "Surfacing[多香美]" が平積みになっているのを発見、狂喜乱舞して購入。
 いや〜、こういうのが出るとは、全然知らなかった(発売元が*ぶんか社*ではね…)。
その書店では週間ベストテンの6位、斉諧生以外にもRENA隊員のファンは多いようだ。(^^)
 で、帰宅後、Infoseekで検索してみたら、ファン・サイトができているのを見つけた。

吉本多香美@FIELD
OhtaWorks

 なんでも東京では発売記念のサイン会があったとか、誠に羨ましさの極みである。

 

ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)ブレーメン・フィル、ベートーヴェン;交響曲第3番「英雄」ほか(ORIGINALS)
1950年代のライヴ録音、おそらくTAHRAから出ているのと同じ音源と思われる。
宇野功芳*尊師*によればクナの「英雄」のベスト演奏であり、すべてのCDの中でも屈指のものとか。
かねて探求のORIGINALS盤を中古CD屋で見つけ、迷わず購入。
ミュンヘン・フィルとのワーグナー;「タンホイザー」序曲をフィルアップ。
ヤン・パスカル・トルトゥリエ(指揮)BBCフィル、ヒンデミット;交響曲「世界の調和」ほか(CHANDOS)
トルトゥリエお得意のヒンデミット、上記バーゲンで@1,000円のものを掘り出した。
ウルフ・シルマー(指揮)デンマーク国立放送響、ニールセン;交響曲第4番「滅し難きもの」ほか(DECCA)
「不滅」と訳されるのが一般的だが、英訳題は"Inextinguishable"、そんな大それた語感はないとのこと。
これも上記バーゲンで@1,000円。地元勢の演奏であり、国内盤発売時の評判も悪くなかったので、購入。
ラデク・バボラク(Hrn)イルジー・ビエロフラーヴェク(指揮)ほか、シェック;Hrn協ほか(SUPRAPHON)
デニス・ブレインを超える天才Hrn奏者との令名高い、バボラク@ミュンヘン・フィルの初ソロ録音。
どうしようか迷っていたが、『レコード芸術』誌7月号海外盤試聴記で好意的に紹介されており、シェックも聴きたい作曲家であるので、購入してみた。
ミシェル・コルボ(指揮)ローザンヌ・ヴォーカル・アンサンブルほか、モンテヴェルディ;聖母マリアの夕べの祈り(ERATO)
斉諧生が、バッハ以前の音楽の中で最も愛好する曲であり、最近は録音も多い。見つけるたびに買い込んでいる。
この曲を世に弘めたのは、コルボが1967年に録音したLP。菅野浩和氏は「寝ても覚めてもこの曲のどこかの部分が耳に鳴り、この曲以外のどんな音楽も虚ろにしか響かない日々が、来る日も来る日も続いた。…これほどの感銘は、残念ながらコルボ盤以外では起こらない。」と熱烈な讃辞を捧げた。
これは、そのコルボの再録音(1982年)。実は永らく未架蔵であったところ、中古CD屋で輸入盤に出会ったので購入したもの。
買っていなかったのは、曲集中、これまた最も愛好する「6声のマニフィカト」を省略しているから。
曲の最後に置かれる「マニフィカト」を、モンテヴェルディは2通り作曲した。器楽伴奏の7声のものと、通奏低音のみの6声のものと。
楽器編成を一貫させれば7声のものを採るべきなのだが、深遠な美しさでは6声のものが優る。
初めての人には、必ず「6声のマニフィカト」を収めた盤を購入し、そこから聴き始めることを、強くお薦めしたい。

6月25日(木): 洋泉社MOOK『名指揮者120人のコレを聴け!』を購入、ザッと通読。
 各人ごとに「キーワード」、「星取表」、代表盤3枚が掲げられているのが特徴だろう。
 「指揮列伝」掲載の5人の指揮者が、いずれも120人のうちに数えられているのが、とりあえず嬉しい。
 5人の「星取表」を比較してみれば次のとおり。

項   目 カザルス アンゲルブレシュト レイボヴィッツ マルケヴィッチ パレー
統率力・集中力 ★★★★★ ★★★ ★★★★★ ★★★★
造形感覚 ★★★★★ ★★★ ★★★ ★★★
オペラ的手法 ★★★ ★★ ★★
音楽の純度 ★★★★★ ★★★★ ★★★★★ ★★★ ★★★
デフォルメ度 ★★ ★★★★ ★★★★
細部への執着 ★★ ★★★ ★★★ ★★★★
過激な表現性 ★★★ ★★ ★★★★ ★★★★★

 個々の採点には異論もあるし、そもそも各項目が何を意味しているのか、考えれば考えるほど判らなくなってくるのだが、マァ、目を瞑りましょう。(^^;
 なお、クナッパーツブッシュの頁では、中古音盤堂奥座敷の同人、鈴木さんSyuzo's Homepageが「推奨ホームページ」として紹介されている。

 

サイモン・ラトル(指揮)ウィーン・フィル、マーラー;交響曲第9番ほか(EMI)
国内盤にやや遅れて輸入盤が入荷。
ネット上でも毀誉褒貶の振幅が大きいようだが、『レコード芸術』誌7月号では宇野功芳*尊師*が「こんなに管弦のバランスの悪い録音は珍しく、(略)これではラトルが気の毒でまともな批評は書けない」と匙を投げておられた。
少々怖いもの見たさ(?)もあって、購入。
一聴してみたが、きわめて演奏会的なバランスといえる。よほどステージに近い席でない限り、金管の強奏が弦合奏をマスクしてしまうのは、よくあることだ。
宇野*尊師*ならば「これこそムジークフェライン・ザールの響き」と褒めてもいいんじゃないのかな?
むしろ、演奏からラトルらしい鋭敏さが後退しているようなのが気になるが、これについては後日ゆっくり聴いてから書きたい。
マリス・ヤンソンス(指揮)ロンドン・フィル、ショスタコーヴィッチ;交響曲第15番ほか(EMI)
ヤンソンスのショスタコーヴィッチのシリーズは、必ずしも全部買っているわけではないが、この曲は見れば買うことにしているので、迷わず購入。
今回はロンドン・フィルを起用しているが、何か特別な意図でもあるのだろうか?
ミハイル・ルディ(P)とのP協第2番をカプリング。
フランク・ペーター・ツィンマーマン(Vn)マリス・ヤンソンス(指揮)ベルリン・フィル、ヴァイル;Vn協&交響曲第2番ほか(EMI)
現役ヴァイオリニストの御贔屓ナンバーワン、FPZの新録音ゆえ、ただちに購入。
あ、"FPZ"という表記はAYA@サロ様と彩ちゃんの部屋さんに倣ったものです。
ウェルナー・カーリンガー(Hp)「ミューズの竪琴」(カメラータ・トウキョウ)
デュシェク;ハープ・ソナタハ短調愛惜佳曲書掲載が収録されているので、国内盤フルプライスではあるが、買い求めたもの。
曲目解説はカーリンガー自身の手になるが、CDの曲順では3番目のデュシェクを、真っ先に紹介している。その思い入れに期待したい。

6月24日(水): 15日(月)の項に記した横田庄一郎『「草枕」変奏曲 −夏目漱石とグレン・グールド−』@朔北社に引かれて、漱石の『草枕』を読了。
 開巻劈頭の名文句「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。云々」はともかく(昔、TVーCMにあったなぁ…桃屋だったけ。)はともかく、通読するのは、恥ずかしながら、生れて初めて。(^^;;
 後期の作品と異なり、雅俗折衷、自在の美文。高踏的の芸術論を小説仕立てで開陳したと覚しい。なかなか、気に入った。

 余が心は只春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹に練り上げて、それを蓬莱の霊液に溶いて、桃源の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間に毛孔から染み込んで、心が知覚せぬうちに飽和されてしまったと云いたい。(略)
 この境界を画にして見たらどうだろうと考えた。然し普通の画にはならないに極っている。(略)
 忽ち*音楽*の二字がぴかりと眼に映った。成程音楽はかかる時、かかる必要に逼られて生まれた自然の声であろう。

 

 通販業者からLPが届く。

アレクサンダー・ギブソン(指揮)ロイヤル・フィル、グリーグ;劇音楽「ペール・ギュント」(抜粋)(仏TRIANON)
原盤は英World Records Club、RPOとの組み合わせゆえ、1960年代の録音と思われる。これは1970年代中葉の再発廉価盤。
全曲中から12曲を収録、「ソルヴェイグの歌」は、エイプリル・カンテッロの独唱。
北欧音楽を得意としたギブソン、いずれ逸匠列伝で取り上げたい人であるので、購入。
カール・タシュケ(Vn)ヘルベルト・ケーゲル(指揮)ライプツィヒ・フィル、ド・ベリオ;Vn協「バレエの情景」ほか(米VARESE SARABANDE)
ケーゲルの未知の録音ゆえ、ただちに発注したもの。
ところがディスクの大半を占めるレスピーギ;グレゴリオ聖歌風協奏曲は別人の指揮。ヴァイオリンの「おけいこ名曲」(@渡辺和彦)として有名なド・ベリオ(シャルル・オーギュスト、1802〜70)の曲のみケーゲルの指揮で、これは演奏時間10分程度。オケの名称も怪しいし、困ったものだ。
ライナー・ノートによれば、原盤は米Urania、URLP-7166として1955年に発売されたモノラル録音。
ルネ・レイボヴィッツ(指揮)パリ・フィルほか、ビゼー;歌劇「真珠採り」(全曲)(米RENAISSANCE)
レイボヴィッツ・ディスコグラフィに掲載はしていたが、細目未詳としていた録音ゆえ、ただちに発注したもの。
SP盤アルバムの如きジャケットの造り、フラット盤ゆえ、ごく初期のLPと思われる。あるいはSP録音のLP切り直しかもしれない。
マージン部分に「PB」の刻印があるので、マスタリングはピーター・バルトーク(作曲家の息子)の手になるものだが、レーベルには「Made in France」とあり、そのくせ第1面と第6面が表裏になるオートチェンジャー仕様、ブックレットやジャケットはアメリカ印刷…という不可思議な製品。
ソーア・ジョンソン(指揮)シンシナティ響ほか、シベリウス;カンタータ「火の起源」&交響詩「ポヒョラの娘」ほか(米VARESE SARABANDE)
アメリカのオーケストラによるシンシナティでの録音だが、合唱はマルッティ・トゥルネン(指揮)ヘルシンキ大学合唱団。B面はシベリウス;フィンランディア讃歌ほかのフィンランド合唱曲集。この団体のシベリウス歌唱なら、ぜひ聴いてみたいと発注したもの。
ソーア・ジョンソンといえば、日本洋楽史上初の本格外来オケ、シンフォニー・オヴ・ジ・エアが1955年の来日公演に帯同した指揮者だった。
これは、その前々年、1953年に録音された米REMINGTON原盤を、1970年代末に復刻したLP。

 レイボヴィッツ・ディスコグラフィに、上記のLPの情報を追加。


6月22日(月): 20日(土)に記したダヴィード・オイストラフ(Vn)ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(Vc)ほか、ショスタコーヴィッチ;Vn協第1番・Vc協第1番(Sony Classical)、「待望のCD化」としましたが、初CD化ではない旨、工藤さんから御教示いただきました。
 己の浅学菲才を恥じ、皆様にお詫び申し上げます。<m(__)m>
 工藤さんのHPにはショスタコーヴィッチの充実したページがありますので、ぜひ御覧ください。
 工藤さん、どうもありがとうございました。

 退勤後、タクシーで閉店間際のCD屋にかけつける。
 こういうときは、えてして収穫に乏しいものなのだ…。

スティーヴン・クレオバリー(指揮)ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団、「ザ・キングズ・コレクション」(DECCA)
アレグリ;ミゼレーレバッハ;「主よ、人の望みの喜びよ」モーツァルト;アヴェ・ヴェルム・コルプスからブリテン;聖母讃歌タヴナー;アテネの歌まで、ムリョ14曲を収めた名曲集。
少年合唱団の名曲集など、普段は無視するのだが、これはフォーレ;ラシーヌの雅歌愛惜佳曲書掲載を含んでいるところ、『レコード芸術』誌7月号で畑中良輔氏が「まさしく”天使の声”そのもの…名曲名演揃い」と絶讃しておられたので、これは聴かずばなるまいと買い求めたもの。

6月21日(日): 斉諧生も俄サッカー・ファンと化し、ワールドカップ・サッカー症候群か、日中も寝たり起きたり。
 ほとんど音盤を聴けませんでした。m(__)m

 とにかく、これだけは聴かなくては…。

宇野功芳(指揮)アンサンブルSakura、ベートーヴェン;交響曲第5番ほか(自主製作盤)
「コリオラン」序曲の冒頭の和音の、凄まじいタメ。というか、ズレ。(^^)
オーケストラは、アマチュアとしても上手とはいえないが、ティンパニの鋭い打ち込みが、なんとか音楽を引き締めている。
きわめて巨匠風な表現でフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュも顔負け、下手をすると戯画になるところだが、そこがアマチュア・オーケストラの有難さ、一所懸命の献身ぶりで救われている(と、思います。でも、笑い転げる人もいるに違いありません。)。
結尾のクライマックスに向けて、金管がどんどん膨れ上がっていく迫力は、なかなかのもの。プロの指揮者、オーケストラも、こういう積極性は見習ってほしい。
運命交響曲も同様で、とにかく「熱い」。
技術的には悲惨だが(^^;、ある意味では貴重な演奏であり、「爆演」マニア必聴といえよう。

 申し訳程度ながら、電網四方八通路の手入れ。
 中古音盤堂奥座敷の新加入同人、大黒さんのWebpageクラシック音楽の殿堂を追加。
 オーケストラ・リンクから、CLASSICA掲載の8件を外し、新発見のサイト5件を追加。しかし、そろそろネタが厳しい。(^^;;;
 レコード会社リンクに、マイナー・レーベル4件を追加。


6月20日(土): 

 またしても休日出勤。あまり出たくはないのだが、CD屋に行くついでに職場に寄る心持ちで、自分を説得している。(^^;;;

ジョージ・セル(指揮)クリーヴランド管、ドヴォルザーク;交響曲第7・8・9番ほか(Sony Classical)
"MASTERWORKS HERITAGE"シリーズの新譜。いつもながら丁寧な作りで、ブックレットにはクリーヴランド管の首席奏者連中の写真満載。
ドヴォルザークは1958〜60年のステレオ録音。「謝肉祭」序曲も収録。
ディスコグラフィ的には、セル自編スメタナ;弦楽四重奏曲「わが生涯から」(管弦楽版)の1949年録音を含んでいるのが貴重。
なお、この編曲は、CHANDOSにジェフリー・サイモン(指揮)ロンドン響のCDがある。
サイモン・ラトル(指揮)ロサンジェルス・フィル、ラフマニノフ;交響曲第2番(EMI)
ラトルはマーラー;第4を中古音盤堂奥座敷で議論したが、「ラトルらしからぬ、狙いの定まらない演奏」というあたりで意見が一致。
ラトルの本領を聴ける盤として浮月斎@Pseudo-POSEIDONIOS大人が推奨される録音を、国内廉価盤のそのまた中古格安価格で購入したもの。
ダヴィード・オイストラフ(Vn)ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(Vc)ほか、ショスタコーヴィッチ;Vn協第1番・Vc協第1番(Sony Classical)
"MASTERWORKS HERITAGE"シリーズの新譜。
それぞれ決定盤と目される、両巨匠壮年期の録音、待望のCD化である。
付けはオイストラフがミトロプーロス(指揮)NYP、ロストロポーヴィッチがオーマンディ(指揮)フィラデルフィア管
寺神戸亮(Vn)ボヤン・ヴォデニチャロフ(FP)、ベートーヴェン;Vnソナタ第1・3・5番(DENON)
寺神戸氏の新録音、買わざるべからず。
前作のバッハも素晴らしかったが、今回は一挙に時代を下ってベートーヴェン。レコード会社の都合優先ではと、多少不安もなくはないが、名手の音楽性に期待したい。
諏訪内晶子(Vn)フィリップ・モル(P)、「スーヴェニア」(Philips)
諏訪内嬢の小品集、ようやく輸入盤が出たので購入。
シマノフスキ;「神話」op.30全曲が収められているのも嬉しい。
ローレンス・ウィンタース()カミラ・ウィリアムス()リーマン・エンゲル(指揮)ほか、ガーシュウィン;歌劇「ポーギーとベス」(Sony Classical)
"MASTERWORKS HERITAGE"シリーズの新譜。今年はガーシュウィン生誕100年、それを意識してのリリースと思われる。
ライナー・ノートの写真を見るかぎり、合唱も含めて、すべて黒人歌手による、1951年のスタジオ録音。
宇野功芳(指揮)アンサンブルSakura、ベートーヴェン;交響曲第5番ほか(自主製作盤)
帰宅すると、以前頼んでおいたCDが届いていた。
今年1月18日、石橋メモリアルホール・ライヴ。
ライナー・ノートは、度々、宇野*尊師*の棒の下で演奏された新星日響のコンサートミストレス、佐藤慶子さん(「元」と紹介されている。お辞めになったのか)。
「あそこも、ここも、密かに待っていたリタルダンドやフェルマータをふんだんにやってくれた。あの熱気、振動がCDでは味わえないのが残念である。」
怖いもの見たさ(^^;;;、早く聴いてみたい。

6月16日(火): 

 CD TeleshopからCDが届いた。初めて利用する店である。
 Music Boulevard等に比べて、検索結果の表示が雑だし、反応も鈍いが、オランダのサイトなので、アメリカのサイトで見つからないCDが出てくるのが取り柄。

ミクロシュ・ペレーニ(Vc)デジュー・ラーンキ(P)ベートーヴェン;Vcソナタ全集(HUNGAROTON)
近頃贔屓のチェリスト、ペレーニ。やっとベートーヴェンが手に入った。伴奏がラーンキとは懐かしい。(^^)

6月15日(月): 世にグールド本は数知れないが、凄いものが出てきた。
 横田庄一郎『「草枕」変奏曲 −夏目漱石とグレン・グールド−』@朔北社が、それである。
 何でも、1967年、旅行中のグールドが列車の中で知り合ったカナダ人の大学教授@化学にベートーヴェン;P協第5番のLP(もちろんストコフスキーとの共演盤)を進呈したところ、漱石の愛読者だった教授から返礼として英訳本を贈られて以来、「20世紀の小説の最高傑作の一つ」と絶讃。
 遺された彼の蔵書には英訳本と日本語版各2種、ついでに漱石では『それから』『道草』『猫』『こころ』『三四郎』『行人』まで入っているとのこと。
 著者の推測では、例のラジオ・ドキュメンタリーで、『草枕』をドラマ化するプランを練っていたのではないか、という。
 まだ半分ほども読んでいないが、「夏目家の音楽」の章では東京フィルのVn奏者になった長男純一(というか*房之介*の父)の留学の話も出てくる。

 久しぶりに週日にCD屋を覗くことができた。
 リリー・ブーランジェ全録音蒐集プロジェクト(^^;、昨夜サーチ・エンジンで検索したときのデータどおりのCDが見つかった。

ヨゼフ・フラマーフェルト(指揮)ウェストミンスター合唱団、「詩篇と聖歌集」(CHESKY)
リリー・ブーランジェ23歳(といっても死の2年前)の作品「詩篇第24番」(4分弱)を収録。
「ウェストミンスター合唱団」といってもロンドンの教会の聖歌隊ではなく、アメリカ、プリンストンの団体、1995年8月のニューヨーク録音。
パレストリーナからモーツァルト、ヴェルディからデュルフレ、ハウエルズ、アイヴズまでの珍しい作品のオムニバス。
ロベルト・アラーニャ(T)ミシェル・プラッソン(指揮)トゥールーズ・キャピトル管ほか、「聖歌を歌う」(EMI)
ブーランジェが死の床で口述した遺作「ピエ・イェズ」(4分強)を収録。
これは吃驚、テノールによる録音は前代未聞、あるいは空前絶後?
1997年1月に国内盤でも出ており、見落としていたのは残念。バッハ/グノー;アヴェ・マリア、フランク;パニス・アンジェリクス等、盛りだくさんのオムニバスの掉尾をブーランジェが飾っている。

 

ロベルト・アラーニャ(T)ミシェル・プラッソン(指揮)トゥールーズ・キャピトル管ほか、ブーランジェ;「ピエ・イェズ」(EMI)
いくらアラーニャが美声だといっても、朗々たる男声歌唱では、この曲の「昇天する風船のごとき無軌道さと無垢さ」浮月斎大人は雲散霧消。
まぁ、珍品コレクションに留まろう。(^^;

6月14日(日): 「新譜試聴録」に書いた、リリー・ブーランジェのことが気になって、少しネットで検索してみたところ、アメリカの女性が作っているWebpageが見つかった。
 The Boulanger Sisters
 ディスコグラフィのページもあるのだが、彼女が挙げているのは、わずかCD3枚。それでいて、これだけの熱意を夭折の女性作曲家に注いでくれたのだから、感心する。
 他にフォーレのページ、文学や絵画のページもあり、なかなか興味深い。
 ついでにフィアンセの熱烈な紹介まであるのは御愛嬌。

 サッカー・ワールドカップの深夜中継、あまり遅くまでは見ないようにはしているのだが、余波を受けて音楽に集中できる時間が短くなってしまっている。

クリストファー・ウォーレン・グリーン(音楽監督)ロンドン室内管弦楽団、ブリテン;シンプル・シンフォニー(Virgin)
この曲にはブリテン自演の決定盤があるので、後発組は分が悪い。ウォーレン・グリーンも違うアプローチを試みたようだが、意気込みはともかく、結果的にはブリテン盤の地位を揺るがすには至らないようだ。
指揮者無しにもかかわらず、表現意欲は旺盛、しかもアンサンブルは乱すまい、というのだから、少し余裕のない音楽になったのかもしれない。
中では疾風迅雷の第1楽章が印象に残る。あまり愉しくない第2楽章や深刻そうなわりには心に響かない第3楽章は減点。
ちょっと残響過多の録音も気になるところ。
ミハイル・ルディ(P)マリス・ヤンソンス(指揮)レニングラード・フィル、チャイコフスキー;P協第1番(EMI)
ピアノには不案内な斉諧生、この曲というとアルゲリッチ&コンドラシン盤(Ph)が刷り込まれているので、ルディのケロケロした弾きっぷりには少々戸惑い気味。
とはいえ、けっこう満足してしまうのは、ピアニストの音楽性のしからしむるところか。ともあれこの人は、もう少し色々なものを聴いてみたい。
第1楽章冒頭のホルンの鳴りっぷりは、いかにもロシアのオーケストラだが、粗っぽいところはまったく無く、ヤンソンスのコントロールが隅々まで行き届いた仕上がり。第3楽章での木管の強調など面白い。
ヤーノシュ・バリント(Fl)デボラ・シプカイ(Hp)リリー・ブーランジェ;FlとHpのためのノットゥルノ(CAPRICCIO)
原曲は「VnとPのためのノクチュルヌ」(1911)、メニューイン&カーゾン盤(EMI)やシャルリエ&ナウモフ盤(MARCO POLO)がある。
一聴してがっかり。
ブーランジェ独特の不思議な和声への慈しみはどこへやら、ちょっと綺麗なメロディを吹いてみました、という感じで流してしまっている。
メニューイン盤をお薦めしておきたい。

6月13日(土): プリンタの消耗品を買ったついでに、マジック・マット@3Mを購入。
 なくてもなんとかなるのがマウス・パッドというものだが、机の上で直に転がすのも精神衛生的に良くないので、常用している。
 これまでの職場ではワープロ専用機だったのだが、今度の所でノートPCを使うようになったので、以前、他の課のPCを使ったときに感触が良かったこの製品を買ったもの。
 以前に比べて少し値下がりしていたので、自宅用と合わせて2枚を購入。

 本業の多忙モードは続き、平日は一度もCD屋に行けず、土曜に休日出勤のついでに買物をする、というパターンが続いている。

イルジー・ビエロフラーヴェク(指揮)チェコ・フィル、ヒンデミット;交響曲「画家マティス」ほか(CHANDOS)
「画家マティス」交響曲は好きな曲なので、気にはなっていたのだが、ビエロフラーヴェクにいい印象がないので、放っておいた。
今日覗いたCD屋のワゴン・セールに出ていたので、バーゲン・プライスならばと購入。
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー(指揮)イギリス全国青年管、R・シュトラウス;「ツァラトゥストラはかく語りき」ほか、(CARLTON)
ミスター・Sの新録音、ユース・オーケストラでも何でも購入。
ヴィクトル・トレチャコフ(Vn)ソビエト国立響、ショスタコーヴィッチ;Vn協第1・2番(RVELATION)
最近パッとしないようだが、一時はクレーメル、スピヴァコフと並んでソ連期待の若手ヴァイオリニストだったトレチャコフ。
以前聴いたブラームス;Vn協(OLYMPIA盤CD、指揮はフェドセーエフ)が、スラヴ的なダイナミックさに彩られた名演だったので、ちょっと贔屓にしている。
骨太のショスタコーヴィッチを期待して、購入。
付けは第1番(1981年)がユーリ・テミルカーノフ、第2番(1979年)がマリス・ヤンソンス
イザベル・ファン・クーレン(Vn)マルク・スーストロ(指揮)バンベルク響、デュティユー;Vn協「夢の木」ほか(KOCH SCHWANN)
デュティユーのVn協を、アモイヤル(DECCA)やシャルリエ(CHANDOS)に続いてクーレンが録音したので、買ってみた。
スーストロは、以前、FORLANEレーベルでのフランス音楽が、なかなか良かったので今回も期待してみたいが、さて、バンベルク響がどこまでデュティユーの音を出せるか?
ラサールQほか、シェーンベルク;「浄められた夜」ほか(DGG)
7日の項に書いたが、「浄められた夜」の弦楽六重奏版を探していたが、新しいものが見つからず、ラサールQの1984年録音のバジェット・プライスCDを購入。
LP初出時のカプリングは弦楽三重奏曲だったが、この盤では、同Qの代表盤「新ヴィーン楽派の弦楽四重奏曲」から抜いてきた、シェーンベルクの2番とウェーベルンの作品5と作品9。
ファビオ・ビオンディ(Vn、指揮)エウローパ・ガランテ、ヴィヴァルディ;合奏協奏曲「調和の幻想」(Virgin)
ヴィヴァルディの作品中、もっとも密度の高い名作といわれる作品3をビオンディが録音したというので、待ちかねていた盤。
でもライナー・ノートの写真を見て吃驚、ビオンディが髭面のオッサンになっている!
ヤーノシュ・バリント(Fl)デボラ・シプカイ(Hp)「FlとHpのための小品集」(CAPRICCIO)
普通なら、こういうCDは無視するのだが、ジャケットのポートレート写真でハーピストの美貌にクラッときたところ(^^)、生憎ハープの弦越しなのでよく見えない。裏ジャケットに別な写真があるのでは、と引っ繰り返してみると、写真はなかったのだが(^^;、曲名リスト中にリリー・ブーランジェの名前。
収録されているのはわずか3分の"ノットゥルノ"という小品ながら、全録音蒐集を心がけている作家ゆえ、迷わず購入。

6月7日(日): 京都のJリーグ・チーム、京都パープルサンガハンス・オフト監督が辞任した。
 外来の才能を迎えるときのチヤホヤぶりと見切りをつけたときの冷たい追い払い方は、源義経から井上道義まで、京都の伝統と化しているのが嘆かわしい。
 京都市響の常任指揮者、ウーヴェ・ムント氏の行く末も案じられる。

 昨日書いた渡辺和彦『名曲の歩き方』に登場する曲の、渡辺氏推薦盤又は斉諧生未聴盤を中心に聴く。

ペーター・マーク(指揮)マドリッド響、メンデルスゾーン;交響曲第3番(ARTS)
「スコットランド」はマークの十八番で、以前、中古音盤堂奥座敷試聴会でブリュッヘン盤を取り上げたとき、比較のために聴いたこともある(ベルン響盤)。
ARTSではパドヴァ室内管とのコンビが多かったが、今回はマドリッド響との組合せ、聴く前は、失礼ながら、少々心配だった。
結論としては大当たり、「スコットランド」のファースト・チョイスとして推薦できる録音である。
マドリッド響、名人上手の集まりではないが、持てる力を十二分に発揮して、ロンドンあたりのオーケストラの賃仕事なんぞよりは、遙かに上の音楽を作っている。さすがマーク、名伯楽である。
編成を小さめにしているのか、合奏の精度が高いのか、おそらく両方であろうが、透明度の高い響きである。加えて、リズム・フレージングも清潔、まことにメンデルスゾーンにふさわしい。
パドヴァでのモーツァルトでもそうだったが、おそらくマークの徹底的な譜読みとトレーニングの成果だろう、フレージングは隅々まで徹底されている。
例えば、終楽章444小節からのホルン。楽員に任すと「ラッパ節」になるところだが、コントロールの利いた実に見事な吹奏である。
一方、ティンパニ・金管の強奏も随所で絶大な効果を挙げ、音楽に立体感を与えている。
1楽章107小節〜、同114小節〜のティンパニの強打や172小節〜のホルンが好例、4楽章では更に冴えわたり、38小節〜51小節〜83小節〜98小節〜のホルン、214小節〜のティンパニなど、快感! である。
弦楽器の端正なカンタービレも美しく、1楽章17小節からのヴァイオリンの「ため息に身をよじるような」(渡辺)旋律、同313小節からのチェロの歌は331小節から再現部に入って主題を吹くクラリネットの対位旋律となって更に美しさを増す。
また、1楽章では423小節からのピアニッシモの弦合奏の美しさも忘れ難い。
3楽章の聴きどころ、75小節〜のチェロは、もちろん美しさの極みだし、その直前、62・64小節の低弦のクレッシェンド音型の立った音色も耳をそばだたせるものがある。
その他では、1楽章238小節以降の各楽器の出し入れは名人芸の極みだし、3楽章31小節〜や96小節〜の大きなリタルダンドの味わいは特筆したい。4楽章396小節からのマエストーソが、ちょっと軽くなったのは残念だが…。
驚くべきは、細部のバランスや表情が、前に聴いたベルン響盤(1986年録音)と、かなり異なること。マークは1919年生れだから、もう80歳近いわけだが(録音は1997年7月)、なお芸境を高め続けているのだ。
ああ、一度、この人の音楽をライヴで聴いてみたい。
なお、オーディオファイルを標榜した録音も素晴らしい。ライナーノートには、マイク2本(Shoeps MK-2S)だけのワンポイント録音で、圧縮やイコライジング等は一切やっていない、とある。
ピエール・モントゥー(指揮)シカゴ響、フランク;交響曲(BMG)
フランクは渡辺氏の推薦盤、モントゥーで聴く。
シカゴ響がライナーの下で黄金時代を迎えていた1961年の録音、名人が名手達を振ると、かくも素晴らしい音楽になるのだ、という見本のようなCD。
強奏時にやや音の古さを感じるが(LIVING STEREOシリーズでの丁寧な復刻を望みたい)、弦合奏の清楚な美しさ、木管のソロの艶やかさ、実に見事なもの。
「この曲には、錯綜した転調の谷間にこういう可憐な花の咲く瞬間があちこちに用意されている」と渡辺氏は書いているが、まことにそのとおり。
氏が挙げるのは1楽章175〜178小節のホルン、293〜296小節のフルートだが、斉諧生は、これに1楽章465〜467小節のオーボエや2楽章232・233小節のヴィオラを付け加えたい。
それにしても、この曲は、一般に人気がない。思うに、1楽章冒頭、序奏→主題の確立が2回もくり返されるあたりで、ついていけなくなる人が続出するのだろう。斉諧生も、あそこは疑問に思うが、まぁ、気にせずに聴いて、好きになってほしい曲である。
この秋に関西フィルがアントニ・ヴィットでやるが、ぜひ聴きに行きたいもの。
ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)ジョージ・ロンドン(Br)ウィーン・フィル、ワーグナー;楽劇「ワルキューレ」第3幕より「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」(DECCA)
渡辺氏が特筆していたのが、ヴォータンの告別の歌が終わってから、火の神ローゲを呼ばわる声が出るまでの間奏にあたるところ。
チェロの奏でる史上もっとも美しいメロディがきける部分」と氏は書いている。
うーん、そこまで行くかなぁ、とは思うが、なるほど、ドイツ・ロマン派の美質を練り上げたような響きではある。
ロンドンの声は、ちょっと癖があって好みではないが、クナとウィーン・フィルは美しく、巨大。最後に出る「ジークフリートの動機」の、思いっ切り腰を据えた巨大さは、このコンビ以外には実現できない!
ハリウッドQほか、シェーンベルク;「浄められた夜」(TESTAMENT)
新ウィーン楽派に弱い斉諧生、原曲の弦楽六重奏版は、この1950年録音しか架蔵していない模様。カプリングのシューベルト;弦楽五重奏曲しか聴いていなかった盤。
冒頭の空虚な和音と苦悩の音楽、中間近く(この曲のCDだと、たいてい3番目のトラックになっている筈)、ニ長調に転じてからの薄明。なるほど、こんな音楽だったのかと蒙を啓かれた。
往々ぼってり・ノタクタとした音楽になりがちな弦楽合奏版より、この六重奏版の方が曲の真価を発揮していると思われる。新しい録音で聴いてみたい。
エサ・ペッカ・サロネン(指揮)ロサンジェルス・フィル、ドビュッシー;交響詩「海」(SONY CLASSICAL)
斉諧生未聴のサロネン盤が、渡辺氏の推薦盤と一致。
全曲を通じてまことに精妙な美演で、またまたサロネンに感服した。
まず第1曲冒頭、弱音器つきのチェロとヴィオラの分奏が、クリアに聴こえるのに驚嘆。
それに続くヴァイオリンの繊細な高音! まったく濁らず、実に美しい。名器ロス・フィルを得たサロネンの腕の冴え。
また、トランペットの弱音の美しさも、全曲を通じて光っている。特筆したいのは、練習番号44(全音版)第3曲31〜36小節、とても弱音器つきとは思えない。
オーケストラ演奏技術の粋を尽くしてくれるこのコンビで、ぜひラヴェルを聴きたい。サロネンは先日のフィルハーモニア管との来日公演で「ダフニスとクロエ」第2組曲を演奏しているが、早くロス・フィルと録音してほしいもの。
ピエール・ローラン・エマール(P)ほか、メシアン;世の終わりのための四重奏曲(ADDA)
中古音盤堂奥座敷同人にして現代音楽の大通、野々村さんの推奨盤(KAKASI MUSIC ZAIN中「現代音楽を聴く100組のCD」参照。)。
この曲をきちんと聴くのは、恥ずかしながら、初めてだ。TASHI盤も持っているのだが、ながら聴きで流したことがあったかどうか。
メシアンがドイツ軍の捕虜収容所の中で作曲・初演したという成立事情は承知していたので、凍りつくような、凝集された、切実な音楽を想像していたが、どうしてどうして、良く言えば官能的な、悪い言い方をすれば肥大したところもある曲だ。
ブーレーズの手兵、アンサンブル・アンテルコンタンポランの首席奏者(当時)によるきわめて優れた演奏とのことだが、斉諧生の聴く限りでは、ピアノとクラリネットはともかく、弦楽器の2人の技量は少々落ちるのではないか。
もう少し、いろんな演奏で聴いてみたい。さしあたり、TASHI盤の聴き直しと、渡辺氏推薦のジークフリート・パルムがチェロを弾いているEMI盤か。

6月6日(土): 月曜日に異動の発令を受けて金曜まで、仕事と呑み会の嵐、CDを1枚も買わず、アンプのスイッチを1度も入れず、という5日間だった。
 さて、渡辺和彦『名曲の歩き方』@音楽之友社を読了。近頃の書き手のなかでは最も注目している一人である。

 「音楽を文学に置き換えられてはかなわない。作品について直接考え、楽譜を分析し、書き手がその結果をどう判断し、どう聴いたか、それが問われなければ音楽を語ったことにならない。」

 あるいは

 「技術は時に、技術そのものを極めることで突然『芸術』に転化することがある。(略)芸術分野において技巧と内容は対立概念ではない。高度な技術表現を伴わない芸術など、そもそもありえないからだ。」

等々、旧世代の評論家からは決して聞けない論旨であろう。
 渡辺氏は「作品をサカナに『私』を語るのを恥じないこと」を執筆の方法論の一つとした、と「はじめに」で書いているが、さて、次の文章はどうなのだろうか。

(ブルックナー;交響曲第8番の項)
 延々と同一音型やその変型を反復しながら転調また転調をくり返し、とんでもない遠隔調の霧の中へ迷い込んで行ったかと思うと突然のように主調で主題がドーンと鳴り出すようなのは悪くない。たいていの男はここに性的な類推をしていると思う。

 たしかに、「主調で主題がドーンと鳴り出す」時に感じるのは一種の「生理的快感」に近いと思うし、ブルックナーの音楽は聴き手の心の奥底の性的衝動を揺り動かしているのだ、と言われれば、うーん、そうなのかもしれない。
 でも「性的な類推」を*意識に上らせながら*ブルックナーを聴いている人が、そういるとは思えない。
 宇野*尊師*なんか激怒するんじゃないかな。

ブルックナーの「第八」は神の御業を思わせる。(略)
音楽は暗から明へ、静から動へと巨大な起伏をもって盛り上がり、ついに眼前に展けるアルプスの威容が人間業を超えたクライマックスを形成しつつ終わりを告げるのである。 (『交響曲の名曲・名盤』@講談社現代新書)

 京都・十字屋三条本店の新譜棚の横のモニターで、最近ずっと、米良美一のプロモーション・ビデオが流れている。「何か善い物が入っていないか」と探している間中、「イェライシャーン」を聴かされ続けるのには、しかも毎回だから、ちょっと参ってしまう。(^^;

ヴァレリー・ポリャンスキー(指揮)ロシア国立響ほか、チャイコフスキー;交響曲第4番ほか(CHANDOS)
ロシア系ではもっとも期待する指揮者、ポリャンスキー。
チャイコフスキーでは、同じCHANDOSから第5番・第6番も出ていたし、OPUS111の弦楽セレナードも実に良かった。
名演を期待したい。
ヤーツェク・カスプシク(指揮)クラクフ・シマノフスキ国立フィルほか、グレツキ;交響曲第3番(EMI)
これは、上記の渡辺氏の著書で「感動的な演奏」と推奨されていたものを、中古屋で見つけたので思わず購入。
クリーヴランドQ、ベートーヴェン;弦楽四重奏曲第12・14番(TELARC)
同じく渡辺氏の著書で取り上げられた第14番の推薦盤を購入。
エリック・カンゼル(指揮)シンシナチ・ポップス管ほか、ガーシュウィン;歌劇「ポーギーとベス」(抜粋)ほか(TELARC)
「ポーギーとベス」には目がないので、さっそく購入。
なんと、スポーティン・ライフの”It Ain't Necessarily So”を歌っているのが、キャブ・キャロウェイ@「ミニー・ザ・ムーチャー」
映画「ブルース・ブラザーズ」の時でも相当な爺さんになっていたが、なんでもガーシュウィンが彼をモデルにスポーティン・ライフの音楽を書いたとか。
とりあえずそこだけ聴いてみた。少々苦しそうだしマイクを舐めるようなポジションのようだが、それでも自在な歌い回しは見事としか言いようがない。1907年生れ、生前最後の録音となった老翁の至芸である。
アンサンブル「アルバ・ムジカ・きょう」、「シェークスピアの音楽」(CHANNEL CLASSICS)
佐藤豊彦さんのアンサンブル、しばらく新譜が途絶えていたが、新しいスポンサーを得て、メンバーもほとんど入れ替えての新録音は、「柳の歌」「グリーンスリーヴス」等を含む、シェークスピア劇の音楽。
LP時代には懐かしいアルフレッド・デラーの名アルバムがあったのを思い出す。
以前の録音も、佳曲の名演、名録音だったので、今回にも期待高し。

音盤狂昔録へ戻る

トップページへ戻る

斉諧生に御意見・御感想をお寄せください