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2004年10月10日

音楽の生命感

シャーンドル・ヴェーグ(指揮) カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク
ドヴォルザーク;弦楽セレナード(Orfeo)
音楽を聴く上で、斉諧生にとって最も重要なのは、いきいきした生命(いのち)の弾みを伝えてくれるかどうか、生きてあることの歓びが沸き立つような情感を胸に吹き込んでくれる演奏なのかどうか、ということである。
こう書くと非常に抽象的になるが、音楽は(特に音盤で聴く音楽は)耳から入ってくるものがすべてであるから、「それ」かどうかは、演奏者が発し(音盤やオーディオ装置を通じて)斉諧生の聴覚で検知する、具体的な「音」の姿に必ず反映されているはずである。
「それ」は、例えばリズムのちょっとした伸縮、例えば心もち強めのアクセント、例えば幾分大きいクレッシェンド、例えば和音を構成する一つの音の僅かな低さ、例えば楽器の振動に含まれる倍音成分のふくらみ…といった個別具体の要素に還元され、しかしそれらの総和・蓄積として、聴く者の感動を左右する。
一瞬の音でも解析するためには膨大な単語を要するゆえに、音楽の逐語的な描写は不可能だが、その一斑をすくい取ることは不可能ではないと考えている。
 
閑話休題、このヴェーグの演奏について、に「生命を掘り起こせずんば音楽にあらずと言わんばかりの勢い」と記した。
それを具体的に書けばどうなるか、というのが今日の課題。
第1楽章冒頭の美しいレガート(弦の音色の温かいこと!)、旋律の流れに沿ったクレッシェンドとデクレッシェンドの細かい扱いから生まれる優しい表情など。
第2楽章では、ワルツの旋律を奏でる第1Vnの下で、ドローンのような音型を弾く第2Vaに与えられた寂びの強い音色と強いアクセントが見事な効果を上げている(楽譜ではfz指定なのだから当然といえば当然だが、ここまではっきりさせているのは珍しい)。
内声部が生き生きしているのもこの演奏の特徴で、特にこの楽章のトリオ部でVcのピツィカートを強奏させる部分が目覚ましい。
第3楽章スケルツォは速めのテンポと強いアクセントで猛烈なスピード感を生み出す。
その一方で大きめのリタルダンドや美しいレガートを織り交ぜることで、音楽を立体的なものにしているのである。
第4楽章は、放っておいても美しいラルゲットだが、遅めのテンポ、暗めの音色、音符の末尾の僅かなディミヌエンドが、落ち着いた音楽、内省的な美感を生んでいる。
終楽章は、スケルツォ同様の疾走する音楽。
内声のリズムが実に良い。ジャズでいうスウィング感がある。
コーダの追い込みと、回想的に挿入される第1楽章の旋律との対比が、回想部末尾の大きなリタルダンドで更に強調され、猛然と駆け込んだ終結に、拍手大喝采が浴びせられたのも頷ける結果だ。
 
惜しむらくは、録音(又はマスタリング)が硬質で、弦合奏が強奏時に金属的に響く。
演奏にも多少のライヴ的な傷を免れていないところがあり、即座にこの曲のベスト盤として推すことはためらわれるものの、「音楽の生命感」を大事にする聴き手にとってはかけがえのない演奏(音盤)の一つである。
このところblogがサーバーに重くなってきたのか、トラックバック機能がちゃんと使えなくなってきて困っている。
当記事から購入時の記事へのトラックバックも張れない状況なので、上記本文中からリンクを張ることで代えさせていただきたい。
<(_ _)>

投稿者 seikaisei : 2004年10月10日 22:48

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