SLPX12270-72より          
         

ミクローシュ・ペレーニ

Miklós Perényi

(1948-)


彼はどの曲を弾いてもその作曲家の魂の声が響く数少ない演奏家の一人ではないでしょうか。
長谷川陽子〜  
 
『クラシック不滅の名盤800』(音楽之友社、1997年)より

<ペレーニと出会う>

 斉諧生がミクローシュ・ペレーニの名を強く印象づけられたのは、この長谷川陽子さんの言葉である。
 上掲書の「演奏家が語る『不滅の名盤』」というコラム(1頁)に登場して、彼女が「私の白馬の王子様」と憧れるヨーヨー・マでも師匠のアルト・ノラスでも、はたまた幼時にチェロへの愛を植え付けられたカザルスの録音でもなく、日本ではあまり知られていないペレーニの名を挙げられたのに、少々驚いた。
 長谷川さんのペレーニ讃を更に掲げる。(上掲書より)
コダーイの無伴奏チェロ・ソナタでシュタルケル以上の緻密さを持つすさまじい情熱を、
またドヴォルザークのチェロ協奏曲では真の孤独と望郷を、
バッハでは神々しいまでの均整のとれた美しさと崇高な人間性を、
チェロで表現してくれていました。
 長谷川さんほどのチェリストをして、ここまで言わしめるペレーニのチェロはどんなものだろうと強い関心を持っていたところに発売されたのが、アンドラーシュ・シフと共演したシューベルト;アルペジオーネ・ソナタ他のアルバムだった(TELDEC)。アルペジオーネはもともと好きな曲なので、買って一聴、衝撃を受けた。なるほど、音楽的にも技術的にも途方もない高みにいる人だ、と。

 

<ペレーニの音盤を集める>

 その後は、彼のCD・LPを捜しに捜し、集めに集めた。HUNGAROTONのCDは珍しくはないが入荷が安定しない憾みがあり、なかなか店頭で見つからない。海外のオンライン・ショップでオーダーしたり、LPの通販業者のカタログを蚤取り眼で読んだりしたものである。
 そうして集めた音盤をペレーニ・ディスコグラフィにまとめたので、どうぞ御覧いただきたい。
 HUNGAROTONには、ハンガリーの現代作曲家の作品集の、ごく一部にだけ参加したCDも少なくない。こういうものは検索が難しく、店頭でチェックが欠かせない。
 有名でないとはいえペレーニを捜している人は少なくないようで、バッハ;無伴奏チェロ組曲のLPは、カタログに見つけて、すぐ電話したのに既に売れてしまっている…ということが3度も続いた。ようやく東京・神保町の輸入LP店で見つけたときの喜びと、演奏を聴いたときの感激は忘れられない。
 また、同じくペレーニを敬愛する畏友かとちぇんこさんには、何度もお世話になった。改めて謝意を記したい。
 
 それにしても、これだけの人なのに、録音活動が極めて低調なのは本当に残念。
 エルガーショスタコーヴィッチの協奏曲や、ラフマニノフショスタコーヴィッチのチェロ・ソナタは録音してほしいし、ドヴォルザークの協奏曲やベートーヴェンブラームスのチェロ・ソナタは、もっといい条件で再録音を、そして、バッハ;無伴奏チェロ組曲のCD化か再録音を、是非是非、行ってもらいたい。

 

<ペレーニの演奏会を聴く>

 ぜひ一度、彼の生演奏を聴きたいと願っていたが、1998年10月の来日時には、折悪しく本業の出張が重なり、関西で演奏会のあるときは自分が東京に、東京で演奏会があるときは京都に帰っている…という間の悪さ。
 ようやく2000年2月、NHK交響楽団に来演する際にカザルス・ホール無伴奏リサイタルが行われる…という情報を知人から得て、チケットを取ってもらった。年度末を控えて本業の日程が詰まっている時期だったが、その日(2月2日)はちょうど、やりくりをつけて午後から東京へ出かけることができた。1日早くても1日遅くても聴きに行けなかったので、まさしく僥倖だった。終演後は夜行バスで京都に帰ることになり、翌日の仕事には厳しいものがあったが…。
 
 やはり知る人は知っているもので、満席の盛況。玄人筋の評価が高いとの噂どおり、当日券(学生券)の売り出しにはチェロ・ケースを抱えた行列ができたとか。また、藤森亮一(N響首席奏者)・向山佳絵子夫妻の姿も見えた。
 
 当夜の曲目は、
バッハ;無伴奏チェロ組曲 第3番
ヴェレシュ;無伴奏チェロ・ソナタ
(休憩)
バッハ;無伴奏チェロ組曲 第2番
コダーイ;無伴奏Vcソナタ
(アンコール)
バッハ;無伴奏チェロ組曲第4番より「アルマンド」
同第1番より「アルマンド」
 最後のコダーイが、文字どおり「天下一品」と唱うべき名演。技術的な完璧性に情熱や気迫が加わり、ただただ心を奪われるばかり。第2楽章の、どこか馬子唄のような、民俗的旋律の味わいに熱いものを感じた。
 
 しかしながら、やはり感動したのはバッハ。
 どこがどうとかいう問題ではなく、どんどん、心が満たされてゆく。毎日毎晩、このバッハを聴いていても、他の音楽が何もなくても、それでいい…という思いで、胸いっぱいになってしまった。

 

<ペレーニのチェロ>

 ペレーニのチェロ、ペレーニの音楽には、虚飾がない。「虚」どころか「実」として派手なところのあるロマン派の大曲であっても、見得を切って大向こうを唸らせるような、派手な身振りはない。
 ドヴォルザーク;チェロ協奏曲の第1楽章、独奏チェロの入りを、ペレーニはフォルテ(フォルティッシモではなく!)で美しくじっくりと弾きはじめる。冒頭に引用した長谷川さんの言葉どおり、彼のドヴォルザークには望郷と孤独がある。何と美しく、何と哀しいのだろう…と思わずにはいられない。
 1997年にN響定期でこの曲を演奏した録画を見ても、客席よりも楽員が熱烈に拍手し、足踏みして感動を表現しているのが印象的だ。
 こうした点で、その薫陶を受けたと言ってもカザルスとは資質が異なる。
 上記ドヴォルザークの同じ箇所で、カザルスは生徒に「英雄の到来を告げるのだ!」と指示し、自身の演奏では弓を発止と弦に打ちつけて爆発的な効果をあげたそうだ。
 カザルスにとって、この曲は「英雄のドラマ」であり、終楽章のコーダで独奏チェロがピアニッシモに沈む部分(489〜92小節)に「英雄の死」の描写を見ていたという。
 
 ペレーニのチェロは、右手(弓の方)が物凄く上手く、弾きはじめのところで汚い音が出たり、弓の先の方で音が揺れたりということが、全くない。音程は弦のどこへ行っても完璧、和音の美しさも比類がない。
 これは専門家から見てもペレーニ最大の特長のようで、上記2000年2月2日のリサイタルのプログラムに寄稿した藤森氏は、彼の人柄を讃えるとともに、
ペレーニさんの魅力の一つは、日頃の鍛錬から生み出された強靱なテクニック、そしてそれがこれ見よがしに前面には現れないところではないだろうか。
 
特にボーイングのすばらしさは他にはないものがある。弓先残り数センチというところで信じられないような美しい音が紡ぎだされる。それはまるで弦と弓の接点上で直接コントロールされているかのようだ。
 
どうしたらこんなことができるのだろう……? いったい私はなにをしてるんだ……。自分もチェリストであるが故に反省する事と、感激することの繰り返しだ。
と述べておられる。
 
 また、斉諧生的には、彼の少々渋めの音色、「塩辛い音」と形容したくなる音色が好ましい。聴きはじめには少し抵抗があるかもしれないが、すぐ慣れて、病みつき(?)になってしまう。
 強いて難点をあげれば、最高弦の高音が、やや硬い音になることだろうか。もっとも他のチェリストに比べれば、ずっと上のレベルでのことだが。
 
 20年来、彼が教授を務めるブダペシュトのリスト音楽院ではもはや大御所のごとき地位を占めるそうだが、同地では聖者のように尊崇されているという。
 このことはステージでの彼を見ているだけで実感される。挙措動作は訥々として、誠実で仁慈ある人柄を想像させずにはおかない。
 弾いているときの表情が、また佳い。本当に暖かな微笑を湛えているのである。

 


略歴

 1948年、ブダペシュト生まれ。音楽一家に育ち、幼時から才能を認められて7歳でリスト音楽院に入学、エデ・バンダに師事。9歳でソロ・デビュー。
 ザルツブルクやルツェルンで開かれたエンリコ・マイナルディのマスタークラスに参加、1960年にローマ・聖チェチリア音楽院に進んで彼の教えを受け、ディプロマを得る(1962年)。
 1963年、ブダペシュトで開催されたパブロ・カザルス国際チェロ・コンクールで入賞。ツェルマット(1965年)やプエルト・リコ(1966年)で開かれたカザルスのマスタークラスに出席、また1969〜72年にはマールボロ音楽祭で巨匠の薫陶を受けた(このとき音楽祭のオーケストラに参加した録音が残っている。)。
 1974年からリスト音楽院で教鞭を執り、1980年には教授に就任、現在に至る。
 1978年に初来日してNHK交響楽団・東京都交響楽団と共演し、また無伴奏リサイタルを開催。その後、1979年、1982年、1988年、1995年、1997年、1998年、2000年と来日を重ねている。  


推薦盤

バッハ;無伴奏チェロ組曲  (HUNGAROTON、SLPX12270〜72、LP)
SLPX12270〜72    「完璧」の一語に尽きる。まさに神品。
 リズム、音程、造型といった音楽の骨格が極めて堅固な上、情感の豊かさにも不足しない。カザルス流の英雄的な身振りはないが、それゆえにバッハの音楽がまっすぐ聴き手の心に届く。
 第2番の寒風吹き荒ぶ「クーラント」第3番「プレリュード」冒頭の強靱さ・輝かしさ、第6番「アルマンド」の情感に満ちた懐かしさ!
 それ以上に言葉を失うのが、瞑(くら)い情熱が滾っている第5番「プレリュード」
 第1音の響きには空虚を蔵し、ディミヌエンドが虚無感をいや増す。玄玄たる玄(くろ)い音。
 この名盤がCD化されず、再録音もなされないのは痛恨の極み。
     
 シューベルト;アルペジオーネ・ソナタ (TELDEC、0630-13151-2)
TELDEC13151 アンドラーシュ・シフ(P)  ペレーニ独特の塩辛い中低音、音程の良い高音が快い。テンポ・節回しに間然とするところがなく、シフのピアノも出過ぎず引っ込み過ぎずの呼吸が見事。
 第1楽章の展開部の終り、シフの左手がデモーニッシュに響くのも凄いが、そのあとペレーニが引き伸ばす哀切な弱音は鳥肌もの。2楽章終結へ向けてどんどんテンポが遅くなっていくのも肯ける。
 トルトゥリエ(新)、アルト・ノラス、ヨーヨー・マなど特徴ある盤を抑えて、この曲のベスト・ワンに推す。
     
 コダーイ;無伴奏チェロ・ソナタ (HUNGAROTON、HCD32196〜98)
HCD32196〜98    この曲を演奏しては、おそらく当代一。
 コダーイの楽譜から、超絶技巧の展示ではなく、溢れるような音楽を拡げることができるのは、古今東西、ペレーニただ一人ではあるまいか。民族への讃歌、望郷の思い、悲しみ、あるいはハンガリー平原の夜を吹きすさぶ風。
 第1楽章に漲る激しい緊張感、第2楽章の意味深いエスプレッシーヴォ、第3楽章の力強い民族舞曲、いずれも他のヴィルトゥオーゾ連をして顔色なからしむるものだ。
 技術はますます高く、音色はますます深く、音楽はますます円熟した、ペレーニ・ファンの「新約聖書」である。
     
 ドヴォルザーク;チェロ協奏曲 (HUNGAROTON、HCD12868)
HCD12868 イヴァン・フィッシャー(指揮)
ブダペシュト祝祭管
 ペレーニの独奏は、まさに理想的な出来映え、これ見よがしの派手な動きは排して、美音とカンタービレをじっくり聴かせる
 第1楽章224小節以降の美しい音にたっぷりヴィブラートを効かせたカンタービレから、237小節へかけてディミヌエンドへ沈み込んでいく味わいの、感動的なこと!
 オーケストラも悪くない。第1楽章提示部で第2主題を吹くホルンは、特別な表情付けはしていないが自ずから望郷の哀感を漂わす。
 音像の引っ込みがちな録音が残念。1997年のN響との実演は更に素晴らしく、再録音を期待したいところだ。
     

 


関連リンク集
Terry Harrison Artists Management
イギリスのマネジメントのWebpageにあるバイオグラフィー。協奏曲レパートリー・リストあり。(英語)
 
daniela wiehen artists management
ドイツのマネジメントのWebpageにあるバイオグラフィー。(ドイツ語、英語)
 
HUNGAROTON
ペレーニの録音の大部分を出しているハンガリーのレーベル。カタログのページはあるが、検索ができず、非常に捜しづらい。英語ページあり。
 
METROPOLITAN
ドイツの映像製作会社。入手方法を問い合わせているのだが、梨の礫…。
(追記) ようやく回答があったが、ビデオ・カセットは既に在庫切れで販売していないとのこと。 (2000/10/01)
 

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