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2005年01月14日

草刈津三『私のオーケストラ史』

草刈津三『私のオーケストラ史 回顧と証言』(Duo japan)
著者は1926年生れ、戦後すぐに東宝交響楽団(現・東京響)のVa奏者として入団、その後マネージメントを通じての音楽文化づくりを志してプロデューサーに転じ、創設期の日本フィルや躍進期の東京都響の事務局で指揮者の招聘や演奏会の企画を担当した。
本書は『音楽現代』誌の連載を基にまとめられたもので、昨年12月に亡くなった草刈氏の遺著となった。
例えば、米軍に接収された東京宝塚劇場(米軍名;アーニーパイル劇場)の座付きオーケストラでの活動や、空襲で天井に穴が開いていた日劇(現・マリオン)で東宝響が行ったベートーヴェン・チクルス(指揮は近衛秀麿)、マンフレート・グルリット藤原義江等による「帝劇オペラ」の隆盛(「カルメン」「椿姫」を1か月間・二十数回公演し、すべてがほぼ満席、数万人の客を集めた)など、戦後まもなくの音楽シーンの回想も興味深い。
叙述に最も力が入っているのは日本フィル時代(1956~68年)で、構想段階から深く関わり、渡邉暁雄と二人三脚で進めた楽員の採用や客演指揮者の人選、「日本フィル・シリーズ」となった新作の委嘱、小澤征爾の登場等が、いきいきとした筆致で描かれている。
特に1965年7月のストコフスキー招聘については10頁もの紙幅が割かれ、客演交渉の顛末(「皇族が演奏会を聴きに来られること」が条件の一つ)、練習風景、アンコールの「星条旗よ永遠なれ」のためにブラスバンド1隊とピッコロ奏者数十名(少女に限る)を用意させたこと等々、まことに面白い。
 
斉諧生的に最も興味を惹かれるのは、1960年から数次にわたって日本フィルを指揮したイーゴリ・マルケヴィッチのエピソード。
・ホテルの部屋に等身大の鏡を運び込ませ、それに向かって指揮法の練習を欠かさなかった。
・指揮棒さばき以上に雄弁だったのが彼の眼で、ときに厳しくときに優しく変幻自在。ただし小さなミスでも聴き逃さず、必ず眼がそちらを向いて楽員を震え上がらせたという。
「春の祭典」では自分が改訂したパート譜を持ち込み、変拍子や複合拍子は棒の振り方に合わせて小節線を微妙にずらされているなど、演奏上の工夫が凝らされていた。
 
全部で300頁超、巻を擱く能わず一気に読了。ぜひぜひお薦めしたい。
発行元のWebpageに案内があり、メールでオーダーし、書籍に同封されてくる用紙で代金送料の計2,290円を振り込むようになっている。一般の書店では扱っていないらしい。

投稿者 seikaisei : 2005年01月14日 23:46

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コメント

こちらのHPにコメントをつけるのは初めてかと思います。 近衞関連の資料を集め、日本のオーケストラの歴史に 興味がある身として、ぜひとも入手したい本ですね。 早速注文させていただきました。ありがとうございました。

投稿者 よしじゅん : 2005年01月16日 01:04

よしじゅんさん、コメントありがとうございます。
 
もちろん近衛秀麿についての記述も充実しており、東宝響でのリハーサル風景や、東響から近衛室内管が分かれる事情等、興味深いお話が多うございました。 到着をお楽しみになさってください。
 
では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

投稿者 斉諧生 : 2005年01月16日 12:57

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