紅雲山本利三郎は明治29(1896)年11月16日兵庫県伊丹市に生まれ平成3(1993)年6月19日京都市右京区に歿す。少時より画を好み、長じて竹内栖鳳に師事す。風景画・花鳥画をよくし、とりわけ嵐山・鮎を得意とした。帝展・日展で活躍、紺綬褒章・勲四等瑞宝章・京都市文化功労賞を受く。

…というと偉そうに聞こえますが、なに、斉諧生の外祖父でございます。

 栖鳳門下には上村松園・土田麦僊・小野竹喬・村上華岳・池田遙邨・徳岡神泉といった文化勲章クラスの大画家が輩出しておりますので(遙邨・神泉は同年輩)、紅雲など、本人の自負こそ高けれ、まず無名の画工人と申して差し支えございません。一切の公職に就かず、弟子らしい弟子は1人も置きませんでした(アマチュアの指導には熱心でしたが)。

なお、上記の画家たちについては東京国立近代美術館のWebpageにある所蔵品検索システムを御利用ください。作品目録(一部画像付き)と作家の経歴が出力できます。

  紅雲は、毎年正月に当たって、干支の短冊を描き、子どもたちの一家に一枚づつ与えるのを恒例にしておりました。「音盤狂日録」のページに掲げたのは、ある酉年のものです。
 
 紅雲には、遅筆というか、締切が迫らないと仕上がらない癖があったらしく、展覧会の出品でも搬入の期限ぎりぎりまで、表に運送業者のトラックを待たせながら、筆を入れていた…という話もございます。
 
 正月2日に親戚一統が紅雲の自宅に集うのですが、これらの短冊も、その日の昼過ぎくらいまでかかるのが常でした。絵具が乾かないままの短冊を持ち、仕事着のまま広間に姿を見せたのを記憶しています。

更新となると深夜までかかる斉諧生の性癖は、こういう祖父からの遺伝かもしれません…。(^^;;;

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