シベリウス;交響曲第4番

 この曲については、以前、ヘルベルト・ケーゲル盤(Berlin Classics)を中古音盤堂奥座敷で論じたことがあり、そのときに比較試聴した記録をまとめている。(→ここを押して)
 
 作曲家は、この曲を「心理的交響曲」と呼んだという。
 その真意が那辺にあるのか定かではないが、1908年に喉の腫瘍(ガンであったとも言う)を除去する手術のあと、死の影に脅かされながら作曲された(1910〜11年)、とするのが一般的な解釈である。
 
 第1楽章冒頭に現れる C-D-Fis 、「三全音」(全音3つ分の音程)の動機が、全曲の核となっている。これによって調性感が曖昧になった上、シンコペーションを多用するなどしてリズムも曖昧に、また主題の断片化、再現部の縮小、唐突な楽章終止などによって構成も曖昧になっている。
 ポール・グリフィスも、
シベリウスの第四交響曲は、調性を崩壊させるような音程としての三全音に関する研究ともいえる作品であったが、しかし彼は、それ以上に新しい領域へ進もうとはしなかった。
と書いているそうである(石田一志訳『現代音楽小史』音楽之友社)。
 
 このあたりが「晦渋」とされる所以であろうが、セシル・グレイという音楽学者が
スコアには終始、余分な音符が一つもなく、形式はシベリウスの作品の発展の上で一つの道標となるものである。そして、この曲は官能に訴えるところが全然ないから、通俗曲にはならないだろうが、少数の人々にとっては、シベリウスの最も偉大な作品となるであろう。彼はおそらく、これ以上のものを書かなかった。
と書いて以来、俄然、シベリウスの交響曲の最高傑作とみなされることになった。
 
 楽譜上の問題が一つある。
 
 第4楽章に"Glocken"(鐘、チューブラー・ベル)が指定されているが、実際の演奏では"Glockenspiel"(鉄琴)が用いられることが多く、作曲者もそれを認めて、後年、"Glocken"の後に"sp."を書き足した。
 ところが、「やはりシベリウスはチューブラー・ベルを望んでいた」とする証言もあり、その扱いは指揮者によって様々である。全面的にチューブラー・ベルを使うもの、一部でチューブラー・ベルを使うもの、チューブラー・ベルと鉄琴を重ねるもの等々…。
 概ねフィンランドの指揮者は鉄琴派のようで、ベリルンドも一貫して鉄琴のみを用いている。
 
 ベリルンドによる4回の録音は前後27年間、指揮者の年齢にして39〜66歳にわたっているが、驚くべきことに、いずれの演奏も、それぞれ特色を持つ素晴らしいものだ。
SXL6431 フィンランド放送響
録音;1968年5月、ヘルシンキ SXL6431 (英DECCA、LP)
第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章
10分20秒 4分22秒 10分44秒 9分38秒
架蔵盤は英盤LPだが、FINLANDIAからCD化されている。
 
この曲の聴きどころの一つが、第1楽章冒頭の独奏Vcパートである。
以前、フィンランドのオーケストラの来日公演でこの曲が演奏されたときのこと、首席Vc奏者は、いつもの演奏旅行では万一の事故を慮って使わない銘器を、わざわざ持参したという。フィンランドのVc奏者にとっては、非常に大事なソロとされているのだそうだ。
 
4盤とも入魂の演奏が聴けるが、最も斉諧生の好みに近いのが、この盤。塩辛い音と色気を排した音楽が剛毅である。特にスコア(Breitkopfのミニチュア・スコア、以下同じ。)6頁、練習番号Eで、音がどんどん張り出してくる、エネルギーの横溢には快哉を叫びたい。
 
思うに、エネルギーと緊張感に満ちた骨太の音楽、一言でいえば「雄渾」が、この盤の特長であろう。
 
第1楽章後半(スコア9頁)でも、Vaパートに付されたクレッシェンド・デクレッシェンドを強調して木管を抑え、緊張感を作り出す。
 
第2楽章は、前半のスケルツォ的な楽想と後半の厳しさの対比が印象的に書かれている音楽。
ベリルンドは、後半で頻出する rfz ないし fp の指定を強め強めに演奏し、音楽に強靱さを与えている。
 
印象的なFlのソロで始まる第3楽章では、木管の清澄さが冴え、弦合奏はボディのしっかりした音で熱く語る。
特に楽章終わりのクライマックス(スコア36頁下段)では大きくテンポを落として、がっしりと歌い、ffを指定されたTrbは4盤中、最も激烈な吹奏を聴かせる。
その一方、スコア32頁下段のVn群の p 指定の楽句の清らかな美しさには言葉を失うし、33頁中段で出る独奏Vcも佳い。
 
この曲で第4楽章がこれだけ力強く響くのも珍しいだろう。
スコア63頁のHrnの英雄的なこと!
他方、前の楽章同様、スコア56頁下段から57頁上段にかけて、Vn群が dolce で奏する澄明な旋律美は、北欧の抒情そのものである。
Disky HR703862 ボーンマス響
録音;1975年6月、ロンドン HR 703862 (Disky)
第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章
10分45秒 4分45秒 11分15秒 10分27秒
ここまでの6曲については、積極的にボーンマス響盤を推せるものがなく、乱暴な言い方をすれば、この全集の存在意義は無くなったのではないかと考えていた。
ところが、この第4番については、堂々、他の全集盤に伍せる特長がある。オーケストラの出来も格段に良い。
 
4盤の中では最も演奏時間が長く、全体にゆったりしたテンポで、心理の深淵にたたずむような味わいがある。「沈潜」と評せよう。
37分26秒を要しているが(CDプレーヤーでの実測。以下同じ)、これに対し最短のヨーロッパ室内管盤は33分06秒。
 
第1楽章の終結近いクライマックス(スコア10〜11頁)において、遅いテンポの上に雄大な金管の吹奏とTimpの連打が築かれる部分が好例である。
第2楽章も遅めのテンポで始まり、スケルツォ的な印象は薄い。
この楽章では後半(スコア22頁、練習番号I)から加速し、曲想の転換を導く。
また、第4楽章半ば(スコア47頁)では、練習番号Fから減速し、念を押すような効果が目覚ましい。
 
オーケストラも、目立って上手いソロや性格的な特徴はないが、充実した出来映え。
例えば、第3楽章冒頭のFlや第4楽章終結手前のTrpからTrbへ受け渡される ff の動機など。
弦合奏の響きもしっかりしており、他の6曲での演奏からは一段上のレベルにあると言える。
東芝EMI、CC33-3282 ヘルシンキ・フィル
録音;1984年2月、ロンドン CC33-3282 (EMI、国内盤)
第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章
9分37秒 4分41秒 9分54秒 9分57秒
弦合奏をはじめ、ちょっとかすれたような硬質の音色から、厳しさを前面に出した音楽がひろがる。
この音色から連想したのは、夜明け前、闇が最も深いときに吹いてくる風。
 
第1楽章冒頭の独奏Vcも抑制をきかせた辛口の表情。
 
rfz や、金管などによく見られる「〜ズバッ」という音型は、4盤中、最も鋭く決められている。
第2楽章、木管の rfz(rffz) は、Flの呼気音までが加わって、更に鋭く響く(スコア24頁下段など)。
 
木管群も、華麗さとは程遠い、渋めの音色を持つ。
第3楽章冒頭のFl独奏も、淋しく、暗い。それに続くFgもまた、寂のきいた音色である。
 
この曲の中心は第3楽章にあり、その中でも弦合奏に主題が全容をあらわすところ(スコア34頁下段から35頁上段)が、全曲最大のクライマックスといえる。
ここを導くObの力強い音と、弦合奏の勁烈な響きは、この演奏の厳しさを象徴するものだ。
それに続く楽章最後の高揚(スコア36頁下段)も、弦合奏中心に盛り上がり、fz の切れ味も随一。
 
第4楽章でも厚みのある音楽が素晴らしい。
それに負けまいと強打したせいだろうか、クライマックスでグロッケンシュピールの音が割れてしまうのは残念。
 
4盤中、この曲の「森厳」な側面を最も強調した演奏であろう。
FINLANDIA、0630-14951-2 ヨーロッパ室内管
録音;1995年9月、ロンドン 0630-14951-2
(FINLANDIA)
第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章
9分23秒 5分01秒 9分15秒 9分32秒
ヘルシンキ・フィル盤から約10年を経て、ベリルンドの「第4番」観は大きく変化したのであろうか。
ここで聴ける音は、明るく、暖かい。
第1楽章冒頭、Fg・Vc・Cbによる三全音の動機も、これまで3盤の「ゥッ」という自然音ではなく、「ン」という美しい和音である。
 
この全集の他の曲と同じく、弦合奏は、バランスが明快で和声は美しさの極み
弦の各部が絡みながら上昇していく部分の感動的なこと!
 
Spitze 指定の音型(スコア5頁下段・13頁上段)で、たゆたう味わいは3盤ともに佳いが、やはりこの盤が随一。
また、スコア7頁中下段漸強弱の付け方も、最も堂に入ったもので、ベリルンドの解釈が練り上げられていることを証している。
 
明るいとはいっても、賑やかなのではない。
スコア6頁で出る独奏Vcなど、孤独な歩みを実感させる。
 
第2楽章では、第2主題が弦に出たあと、金管から木管に動機が受け渡される部分の呼吸、それに続く弦合奏の絡みの呼吸、いずれも素晴らしい。
このオーケストラでは、いつもObに苦言を呈してきたが、第2楽章冒頭の独奏は、諧謔味を湛えて、なかなか佳い。
後半では雰囲気が一変して悲劇性を表出、楽章を締めくくるTimpの乾いた響きも、聴き手の胸を締めつける。
 
明るい寂しさ」を最も感じさせるのが第3楽章
Vcに主題が切れ切れに現れる部分では、寂しさが横溢している。
もちろん、冒頭のFl独奏やClの一節も絶妙。前者は名手ジャック・ズーンの笛かもしれない。
 
上記のように、この楽章で弦合奏が主題の全容を奏する箇所が全曲の中心である。
楽譜上のダイナミクス指定が、mf からクレッシェンドして f に至る( ff ではない)ことを重んじたのだろう、まことに清らかな響き。
 
このとき木管には鐘を連打するような音型が現れる。こういうところがシベリウスの「毒」なので、この演奏のようにはっきりと聴こえてほしい。
 
更に続く高揚部分でも、Timpの打撃がくっきりと奥深く、凄惨な響きを演出する。
 
第4楽章も小編成が生きて、Hrnのモチーフなどが効果を挙げている。
グロッケンシュピールの響きも最も美しく、裏を吹くClの音型がきちんと聴こえるのも嬉しい。
 
雄々しさ、暗さ、厳しさは後退しているが、この清明にして寂寥を蔵した音楽、「清寂」の境地は、ベリルンドの到達点として讃えたい。
冒頭に書いたように、4盤それぞれが特色のある素晴らしい演奏で、甲乙つけがたい。
フィンランド放送響盤の「雄渾」
ボーンマス響盤の「沈潜」
ヘルシンキ・フィル盤の「森厳」
ヨーロッパ室内管盤の「清寂」
 
この曲を愛する人にはすべてを聴いていただきたいのだが、あえて、あえて1枚に絞るとすればヘルシンキ・フィル盤を挙げる
ただ、この方向性にはヘルベルト・ケーゲル盤(Berlin Classics)という超名演が存在するのが気になる。
ケーゲル盤と併せ聴くのであれば、方向性の異なるヨーロッパ室内管盤に指を屈したい。

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