シベリウス;交響曲第3番

 カラヤンオーマンディといった有名シベリウス指揮者が録音を残さなかった曲である。全7曲中、おそらく実演で取り上げられる回数が最も少ないものだろう。録音にしても、全集企画の中で取り上げられることがほとんど。
 
 第1楽章冒頭で低弦が素朴な舞曲のリズムを刻むあたりがナイーヴすぎるのか、第3楽章が今ひとつ弱いせいか。
 特に後者は演奏会にかけるには致命的かもしれない。所要時間約30分で前プロには長いが、メインに持ってくるには終結が盛り上がらない感じになるから…。
 
 しかし、第2楽章の抒情(主題の歌謡的な美しさ!)は、音楽に親しむ人なら誰もが好むものではなかろうか。また、第1楽章での金管の咆哮なども、後期様式の先駆として考えられると思う。
 
 斉諧生按ずるに、第3番は、チャイコフスキーやワーグナーの影響が強い初期(第1番など)から後期の様式へ作風が移行していくさまを示す曲であり、シベリウスの音楽を愛好する者にとっては捨てがたい佳曲であろう。
Disky HR703862 ボーンマス響
録音;1977年6月、サウザンプトン HR 703862 (Disky)
第1楽章 第2楽章 第3楽章
10分41秒 11分17秒 9分0秒
一聴して感じるのは管楽器の弱さである。
 
第1楽章で弦の第1主題に呼応する木管のパッセージで、すでに響きの薄さが感じられ、その後の高揚(第2主題が出る直前)でも、Hrnに音の濁る奏者がいることが聴きとれる。
このHrnは、楽章を通じて、金管合奏の足を引っ張っている。
 
弦合奏がpppに沈み、静けさのなかでFlが吹く印象的なモチーフでは、腰が重いというか、蒼天に涼風が吹き抜けるような清涼感が得られない。
もっとも、これは奏者ではなく指揮者の問題かも知れない。
 
ややあってHrnの持続音とVaの刻みに乗ってFgが第2主題を吹くところも、pp指定に拘っているのか、espressivoの味わい(濃さ)が出ていない。
こういうところで寂びのきいた剛直な音が聴こえると、北欧の風土感がサッと立ちのぼるのだが。
 
もっとも弦合奏はよくやっており、広々とした風景が眼前する。
 
第2楽章も同様で、主題を提示するFlが重く、憂愁味が勝ちすぎており、斉諧生的には採りたくない。
シベリウスの憂愁は晴朗でなければならない。
 
弦の歌が一段落したあとのVcが三声部に分かれるパッセージの柔らかな音色は素晴らしいが、それに応える木管群の響きに落胆。
更に弦のピツィカートに乗ってFlとObが主題を歌い交わす部分や、主題再現前にリタルダンドがかかってObがカデンツァ風に吹く部分では、Obの音の薄さ(チャルメラ的な音)が気になる。
 
第3楽章でも管楽器の弱さは目立ち、特に終結がオルガン的な綺麗な和音になっていないのは大減点である。
ただ、この楽章では、ベリルンド自身、あまり力強く表現しようとはしていないようだ(後述)。
また、管弦楽の響きが整理し切れておらず、シベリウスの精妙な書法をじゅうぶんには生かせていないように聴こえる。
EMI、CDC7-49175-2 ヘルシンキ・フィル
録音;1987年8月、ヘルシンキ CDC 7 49715 2 (EMI)
第1楽章 第2楽章 第3楽章
10分17秒 9分48秒 8分31秒
ボーンマス響盤から引き続いて聴くと、弦合奏の透明度が一段、上がったように感じる。あるいは録音の技術的な問題かも知れないが…。
 
不思議なのは、第1楽章冒頭、VcとCbにVaが加わる直前、指定もないのに音を弱める点である。これは小細工というものだろう。
それ以外ではボーンマス響盤の欠点が、ほぼ解消され、理想的な演奏になっている。
 
楽章終結の和音などで、金管の生々しい音を抑え、柔らかい響きを作り出しているのは、是非はともかく、特筆しておきたい。弦に第2主題が出るところでTimpの漸強弱を強調しないのも同然である。
 
第2楽章の主題を出すFlは、まさしく「晴朗な憂愁」。
引き継いで歌ってゆく弦合奏は、少しざらっとした手触りの、暖かい響きが懐かしい。
 
力強い足どりを思わせる低弦のピツィカートに導かれた主題再現でも、この手触りの良い暖かい響きは美しい
 
第3楽章も、ほぼ理想的な演奏になっているのだが、2点だけ、意にそわない表現がある。
 
1つめは、楽章後半、Vaに顔を出した主題が、VcとCbを加えて、mf から f に音量を高めるところで、"con energia"という指定があるにもかかわらず、2小節目ですぐに音量を弱め、少しクレッシェンドしたかと思うと、また6小節目で落としてしまうところ。
12小節目にディミヌエンドがあるのに連動させたのかもしれないが、ここの漸強弱が楽章全体の構造・性格を曖昧にしていると言わざるをえない。
 
2つめは、木管やHrnが主題を変形させて英雄的に吹き上げたあと終結に向かう部分。
弦の刻みには f → ff → sempre ff という指定が与えられており、滔々、轟々と膨らんでゆくべきなのに、ベリルンドは、ff の箇所で逆に抑えてしまうのである。
 
おそらく、ここから金管が入ってくるのを際立たせる意図だろうし、しばらくあとに再びクレッシェンドして ff に戻すのだが、これではせっかく手に汗握りかけたのが拍子抜け、と言わざるをえない。
 
思うに、ベリルンドには、この楽章を第2番の終楽章のようにはしたくない、この曲は混沌(闘争)から主題が姿を現し歓喜の終結に至るという直線的な図式の音楽ではない…という大きな意図があるのではなかろうか。
斉諧生としては、この表現意図に賛同すべきか、まだ意を決し切れていない。正直申せば、現時点では否定的である。
 
なお、残響が多めで、ほの暗い雰囲気の録音になっており、この点も好みを分かつと思われる。
FINLANDIA、3984-23388-2 ヨーロッパ室内管
録音;1997年10月、
ヒルフェルスム(オランダ)
3984-23388-2
(FINLANDIA)
第1楽章 第2楽章 第3楽章
10分04秒 10分41秒 9分10秒
弦合奏が、Vnは第1・第2合わせて18人、Va6人、Vc5人、Cb4人という編成、その上、音程が良く、加えて録音の抜けも良いことから、すべてのパートが実に明快に聴こえてくる。
 
第1楽章冒頭の低弦にかぶさってくるHrnの和音もクリアそのもの、Vcの第2主題も憂愁味が薄まって清冽に響いている。
明快すぎるような気もしないではないが、この晴朗な音楽には、代え難い喜びを覚える
 
また、埋もれがちな音型などが浮かび上がって聴こえる快感があちこちにある。
例えば弦に第2主題が出るところ、木管の生き生きとした表情やTimpの漸強弱も面白いが、CbとTrbが同時に加わって和音が充実する効果など、実に素晴らしい。
 
これで木管に、もう少し表現力があり詩情があればと思うが、望蜀の嘆というものであろうか(特にOb)。Hrnは3種の中で最も上手いだろう。
 
第2楽章では、冒頭のFl重奏に表情が付きすぎているのが気になるが(これは斉諧生の好み)、弦合奏の音程が良く、また第2VnとVaの内声がくっきり聴こえるのは、たいへんに気持ちが良い。新しい美を発見させてくれる。
 
FlとObが主題を歌い交わすところで、Obが少しリズムを変形させる部分がある。その中で八分音符2つにスタッカートが付いているが、この音は軽みを帯びて憧れに満ち、聴く者の胸を衝く。このオーケストラのObには、これまでたびたび疑問を付してきたが、ここは本当に素晴らしい。
もっとも、主題再現直前のカデンツァ風音型では、いつもどおり冴えないのだが…。(苦笑)
 
主題再現から楽章終結までの弦の響きは最高に素晴らしい。
 
また、Timpがマルカートで叩く音が実在感に満ちていること! (これは録音エンジニアの勝利かもしれない。)
 
第3楽章では、シベリウスが書いた弦合奏の絡みの立体感がみごとに表出され、Hrnのfpやゲシュトップ音の処理など、解釈の成熟が手に取るようにわかる。
 
ヘルシンキ・フィル盤で疑問を呈した1点めの主題の漸強弱は、この盤では見られない。音量を落とす代わりに、ドルチェの表情を与えている。
これが、すなわち楽章後半の基本的な性格を「エネルジコ」ではなく「ドルチェ」としているところが、新盤の大きな特徴である。音楽をゆったりと運び、けっして力まない。金管の音色も軽めの柔らかいもの。
 
ヘルシンキ・フィル盤の2つめの疑問点は、この盤では更に徹底しており、弦合奏は最後まで f で押しきり、 ff には上げない。
思うに、ベリルンドにとって交響曲第3番は、室内楽的表現をもって良しとする曲なのだろう。第2番の流れを汲む英雄的な音楽ではなく、第4番や第7番を導く音楽なのであろう。
 
そういう彼の意図が最もよく現れているヨーロッパ室内管盤をベストとしたい。
ただ、斉諧生としては、この曲にはシンフォニックな表現を求めたい気持が強く、他の指揮者も含めてのベスト盤であれば、ブロムシュテット(DECCA)、C・デイヴィス(BMG)、ヴァンスカ(BIS)といったあたりから選びたいと思う。

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